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KID FRESINOとカネコアヤノの個性が交わる「Cats & Dogs」 移りゆく街の日常を描写するふたつの視線

リアルサウンド

20/6/9(火) 12:00

 「Cats & dogs」欧米では土砂降りのことをこう表現する。その由来は諸説あるようだが、北欧の神話が語源となっているという説が有力だ。その神話とは猫には雨を降らせる力があり、犬には風を起こす力があるというもの。猫がもたらす雨と犬のもたらす風があい交わることで土砂降りになるというわけだ。

(関連:フレシノとカネコアヤノ、日常を切り取る視線

 5月29日に配信リリースされたKID FRESINOの「Cats & Dogs (feat. カネコアヤノ)」では、曲名が示唆するとおり、KID FRESINOとカネコアヤノの個性があい交わることで土砂降りのような強烈なエネルギーを生み出している。KID FRESINOが同世代のミュージシャンとして敬愛するカネコアヤノに楽曲制作を依頼してから約1年の歳月を費やし完成した本作、実は昨年2019年に開催された恵比寿LIQUIDROOMの15周年アニバーサリーライブ『KID FRESINO BAND SET LIVE』でカネコアヤノも客演し初披露されており、ファンの間で音源化が待ち望まれていた。

 そんな送り手、受け手ともに気合の入った本作は、鍵盤に佐藤優介(カメラ=万年筆)、エレキギターに斎藤拓郎(Yasei Collective)、ドラムに石若駿(Answer to Remember、millennium parade)、ベースに本村拓磨(カネコアヤノバンド、Gateballers、ゆうらん船)を起用し、楽曲のミックスはThe Anticipation Illicit Tsuboi、マスタリングはStering Soundのランディー・メリルが務める抜け目のない布陣である。また、MVは米津玄師「Lemon」やサカナクション「years」を手掛けた映像作家で映画監督の山田智和がディレクションしており、KID FRESINOの作品であれば「Coincidence」などのMVも彼の作品だ。本作のMVの舞台になっているのは東京都練馬区のとしまえん。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言発令前に撮影されたようで、同所であわせて撮影されたジャケットは仲野太賀が写真を、須山悠里がアートディレクションを手がけている。

 さて、このあたりで楽曲に目を向けてみよう。本作の舞台は雨まじりの曇天。生音のビートを英詞混じりのライミングで乗りこなすKID FRESINO。〈ゆえに雲は泣いている〉〈傘はないし I’m bored いつも内心〉〈濃霧 先のgoal〉といったリリックが雨の気配を想起させる。小刻みに刻むハイハットから一転し、カネコアヤノのパートが突然の土砂降りのように差し込まれ、アコースティックギターのストロークにあわせて、彼女独特の世界が展開する。ラッパーとシンガーのコラボものにありがちなラップの掛け合いなどなく、そこに繰り広げられるのは純粋なカネコアヤノの世界観だ。そして、やはり〈洗濯物が揺れる様を見たいよ〉〈花たちはなんだか嬉しそうでなにより〉と語感の鋭い日本語表現で曇天模様を暗示する。

 一曲を通してKID FRESINOとカネコアヤノは互譲することなく、自らのスタイルを貫くわけだが、なぜか調和が取れているように感じるのはどうしてだろうか。ひとつは、雨まじりの曇天というテーマを共有しているからであり、もうひとつは、詞(リリック)で描かれる情景が共通して街の日常であるからだと推察する。振り返るとKID FRESINOとカネコアヤノは既発表曲でも街の日常を描写しており、その描写は切実なまでにリアリティを帯びている。例えば、C.O.S.A.×KID FRESINO の「Love」における〈片側だけLightが灯るClubの朝方のノリを遠くから眺める〉や、「Retarded」での〈新宿この歓楽街高いビルに/飲まれ Feel like I’m dead/むしろ Kill me〉といったリリックは、寂寞とした雰囲気が滲み出る真に迫った一節だ。カネコアヤノであれば「燦々」での〈出窓から見える向かいの家のこどもがひとり/バスケの練習してる〉や、「アーケード」の〈騒がしい路地の隙間から/西日が差すだけ泣きそうで〉という詞。なんともありがちな街の風景に少しの物悲しさを添えて切り取っている。

 本作に立ち返ると、KID FRESINOのパートでの〈濡れて色を増すよう大東京 0時過ぎの信号 一人きりで反射してるstreet〉というリリックと、カネコアヤノのパートの〈都市開発は進んでく〉という歌詞を並べると、別々のふたりの目を通して映し出された同一の街の日常のように感じる。アプローチや表出方法こそ違えど、見えている世界が近しいからこそ、違和感なくひとつの作品として成り立ち、むしろ立体感さえ感じることができるのだろう。そういう意味において、KID FRESINOとカネコアヤノの共作は「同世代である」という理由を超越し、作家性からくる必然性を感じずにはいられない。そして、ふたりの持ち味がそのまま相乗りしているような本作は、互いの既発表作品への有効なイントロダクションになるはずだ。ぜひ、既発表作品にも触れ、ふたりの目を通して映し出された世界を感じ取って欲しい。(Z11)

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