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ハリウッド映画やドラマシリーズと“カーニバル”の関係性 『ストレンジャー・シングス』などから探る

リアルサウンド

20/5/10(日) 8:00

 ハリウッドで作られた映画やドラマシリーズを観ていて、移動遊園地のシーンがしばしば登場するのに気づかれたことはあるだろうか。小型の観覧車などの乗り物、景品があたる射的、鏡の迷宮に迷路、フードの屋台などが並び、夜になると色とりどりのライトが灯るあれである。こういった移動遊園地は主に「カーニバル」と呼ばれ、アメリカで広く親しまれている。この記事ではそんなカーニバルと、ハリウッドの映画やドラマとの関わりについて書きたいと思う。

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 カーニバルの起源は19世紀後半まで遡ると言われているが、現在ではその多くが夏のシーズンに1週間などの期間限定で開催され、街から街へと移動するのが一般的である。ちょうど日本人にとっての夏祭りのようなイメージだが、特に大都市から離れた小さな町の住人たちにとっては、年に一度の楽しみの一つになっている。

 こういったカーニバルは、基本的には子供や若者のためのイベントであることから、映画やドラマでは、特にティーンエイジャーが主人公の映画の中で、非日常感の演出として用いられることが多い。例えば、自分がゲイであることの秘密を抱えた男子高校生サイモンの日々を描いた名作青春ラブコメ映画『Love, サイモン 17歳の告白』(日本では配信のみ)では、クライマックスの重要な要素にカーニバルの観覧車が用いられているし、HBOのシリーズ『ユーフォリア/EUPHORIA』では、第4話の大半を使って、美しくライトアップされたカーニバルを広く使い、もつれる恋愛感情、ドラッグの問題、主人公の妹の捜索など、多数の登場人物たちが入れ替わり立ち替わりストーリーを展開していく。

 一方、ホラーやサスペンスにおいては、そんな若者の領域に大人が迷い込んだことによる違和感や非力感が表現されることも多い。例えば2019年公開の『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』や、『バットマン』フランチャイズのスピンオフとも言うべき『GOTHAM/ゴッサム』シーズン3などでは、カーニバルの中で悪の存在を前にしながらも、何もすることのできない人々の姿が描かれた。『ストレンジャー・シングス 未知の世界』シーズン3では、暗殺者と対峙する街の保安官の緊張感のあるシーンが登場する。また、『シャザム!』や『ウォッチメン』などに見るように、スーパーヒーローものでは、しばしばヴィランやモンスターからの襲撃対象や戦いの舞台として選ばれる。

 このように、様々な作品で重宝されるカーニバルだが、その大きな理由の一つは、その場所がもつ多様な顔である。カーニバルには数多くのアトラクションやゲーム、屋台などが揃い、これらはストーリーに様々なバリエーションを与えてくれる。ジェットコースターやフリーフォール、お化け屋敷などはホラー映画などに格好の材料になるし、夕暮れとともに照らされる綺麗な照明や観覧車、そして主にチャリティ目的で設置されるキッシング・ブースなどは、ロマンスの展開にはうってつけだ。

 また、子供たちが自由に走りまわる迷路の中を、いい大人が転げまわり、ひどい目に遭って出てくるのは、コメディ映画でよく見る画ではないだろうか。これらを様々に組み合わせることで、『ユーフォリア』や『ストレンジャー・シングス』のように、複数のストーリーラインを、並行して効果的に回すことが可能になる。一つのロケーションとして、これほどコスパの良い場所もそうあるものではない。

 さて、アメリカ人にとって、「カーニバル」は一体どういう意味を持つのか、この記事を書くにあたって、様々な映画でそれが登場するシーンを観ながら、何人かのアメリカ人の映画関係者に尋ねてみた。多かったのは「若さ」「若い時の記憶」という答えで、「純粋さの象徴」や、ロサンゼルスに住んでいながら「地元での年に一度のカーニバルには必ず家族一緒に行く」というコメントもあった。

 また、これらの答えだけでは飽き足らず、海外で広く使われている掲示板サイトRedditで、アメリカ人にとってカーニバルがどういった意味を持つのかを質問してみた。「最近はチケットや売り物の値段が上がり、行く人が減少している」「酔った10代の子がうろうろしている」といったどこか廃れたイメージを思い起こさせるコメントの他、「どう見ても簡単そうなゲームなのに、実際に賞品を取るのはほぼ不可能」「飼う場所もないのに、金魚すくいをやってしまう」といった、日本の夏祭りとどこか共通する声もあって、興味深かった。

 だが、それらのコメントの裏には、今ではスマートフォンやオンラインゲーム、配信プラットフォームなどの陰で、カーニバルの存在自体が少し時代遅れになっているという寂しさと、だが結局つい毎年足を運んでしまうというノスタルジアのようなものが感じられた。確かに、現代のニューヨークやロサンゼルスなどに生きる若者を描いた映画では、スマートフォンや現代のテクノロジーを介入させることは当たり前だし、ホラー映画やサスペンスの中でも、最近ではSNSの怖さを描く作品を観ることも多い。そういった中にあって、いまだにカーニバルがいろいろなシーンに登場し続けるのは、人々が心のどこかで、カーニバルで感じた「リアル」なときめきや興奮を、求めているからなのでないだろうか。

 コロナウイルス禍の緊急事態宣言が延長され、海外旅行の再開可能性についてもまだ先が見えない状況ではあるが、収束後にアメリカを訪れる機会があれば、ぜひカーニバルにも足を運び、映画やドラマで観たあの雰囲気を味わっていただきたい。そこにある古き良きアメリカの姿を経験することができるかもしれない。(田近昌也)

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