ゆうめい『姿』MITAKA “Next" selection 20th
19/9/29(日)
すでにご紹介した「第27班」「犬飼勝哉」に続き、筆者自らが手掛ける企画で恐縮です。三鷹市芸術文化センター星のホールにおいて、毎年実施してきた
MITAKA”Next”Selection
20回目を迎える本年の第3弾、「ゆうめい」のご紹介です。
<<<>>>
ゆうめい『姿』
正も誤も定めず、すべての人生をかき混ぜて見つめる、人間への愛おしき視線。
フィクションか否か、その狭間に吸い込まれていく、稀有なる感覚。『ゆうめい』。
<<<>>>
五島ケンノ介とクレジットされている役者が、作演出の池田亮の実父である。2018年6月、新宿眼科画廊で公演された『あか』にも出演していた。上半身裸で、少しポコっと出てしまっているお腹に、個人的に激しい親近感を覚えた。実の父が、実の父の役を演じ、作家が描くのは父と子の、父と母と子の物語だった。
ややもすると舞台の冒頭は、フィクションなのかノンフィクションなのかに、否応なく興味をリードするように仕掛けられている。
しかし。
時にセリフの応酬に笑いながら、時にそのセリフに笑っている頬の筋肉が涙腺を刺激していることに気付かされるうちに、フィクションなのかノンフィクションなのかはどうでもよくなり、その狭間に吸い込まれていく頃には、人間の業(ごう)や、どうしようもないほどのやるせなさを、丸ごと抱きしめてしまいたくなる。世の中には色々あるから、決して強くなくていいから、すべての人生を自らの心の沼でかき混ぜる力だけ持とうと。かき混ぜた分だけ、また少し柔らかくなって、また少しだけ優しくなれて、なんとか、迷いながらも、一歩、また一歩だけ、足を踏み出そうと。
いつしか、その思いが込み上げてくる、ここにしかない、人間讃歌。
<<<>>>
『ゆうめい』の由来は「夕と明」「幽明」人生の暗くなることから明るくなるまでのこと、「幽冥」死後どうなってしまうのかということから。(劇団HPより)
<<<>>>
「ゆうめい」が映し出す、今現在の『姿』を、ぜひ見つめてほしい。
新着エッセイ
新着クリエイター人生
水先案内