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遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

80年代展覧会ブーム?

月2回連載

第12回

19/2/15(金)

鈴木 最近、1980年代をテーマにした展覧会がいろいろ開催されてるけど、何か見た?

遠山 私は1月の頭に、静岡市美術館でやっている「起点としての80年代」(3月24日まで)を見に行ってきたよ。

鈴木 この展覧会を見に行ったのはどうして?

遠山 やっぱり馴染みがある人たちが多いからかな。それに80年代というもの自体が、自分が生きた時代であり、その時代のアートが目の前に当たり前にあった時代。だから気になって行ってみた。これって、巡回展だったんだっけ?

鈴木 うん。金沢21世紀美術館から始まって、高松市美術館、静岡市美術館に巡回してる。

遠山 東京に来ないのがもったいないね。あとはどこで80年代展やってるんだっけ?

鈴木 もう終わっちゃったけど、大阪の国立国際美術館で「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」っていうのがあった。僕は去年見たんだけど、これは単館開催。国立国際美術館は、1970年の日本万国博覧会開催の時に建設された万国博美術館の建物を活用して、1977年に開館した。その後、今の場所に移転したけれど、開館以降ずっと国立の現代美術の美術館として活動してる。それといま開催中なのが、熊本市現代美術館の「バブルラップ」(3月3日まで)。これは村上隆さんがキュレーションしてる展覧会。村上さんのコレクションが中心となった展覧会なんだけど、バブル経済期を中心とするアートの動きを軸に、独自の視点で1990年代以降の陶芸芸術を合わせて俯瞰するっていう展覧会。

遠山 村上さんのコレクションでそれがほぼ俯瞰できるってすごいよね。

「起点としての80年代」を見て

鈴木 遠山さんにとって80年代ってどんな時代だった?

遠山 そもそも80年代っていうことに対して、すごく照れくささがある。

鈴木 僕たちにとって80年代って地続きだっていうのもあるのかな。知りすぎているというか、自分たちが生きた時代だから、いま改めて突きつけられるのがちょっと恥ずかしいというか。

遠山 そう、まさしくそれ。私は85年に三菱商事株式会社に入社して、当時ダンヒルのベルトしたり、アルマーニの肩にでっかいパッドの入ったスーツ着てたりとかしてたんだけど(笑)。

鈴木 本当に?(笑)。いまからはその姿が全然想像つかない(笑)。

遠山 だから私にとって、ある意味この時代はちょっと黒歴史っぽいところがある(笑)。

鈴木 ということは、80年代のことあまり好きじゃない?(笑)

遠山 うん(笑)。世の中もアイドルもギラギラ派手だったでしょ? それが苦手だった。でも最近美術だけじゃなくて、いろんなところで80年代リバイバルしてるよね。

鈴木 確かに。ボディコン着た女子高生がダンス踊って一大ブームになったり、ファッションとかでもリバイバルしてる。スタジャンに、スポーツミックスにそれこそボディコン的な服装とか。それとトレーナーとかもそうかな。お父さんの服を娘さんとかが着るのも流行ってるらしい。

遠山 そうそう、若い人からすれば、すごく興味が持てる過去の、自分が体験していない時代。そして真似したい時代。でも私からしたら、芳雄さんの言うように地続きだからか、なんか照れ臭くてムズムズとした感覚を覚えてしまうわけ(笑)。で、この「起点としての80年代」を見に行ったら、日比野克彦さんとか、杉山知子さんの作品がまさしく私の思う80年代アートだなって思った。日比野さんの段ボールアートとかイラストレーションは、大きくあの時代のアートを揺さぶった感じがある。なんかそれまでのアートから一気にいろんなことが変わって、一瞬ついていけない感じがあったんだよね。

杉山知子《the midnight oasis》1983年 作家蔵 撮影:木奥恵三

鈴木 最近は、「具体」とか「もの派」が再注目されて、70年代までの戦後日本美術っていうのが国内外で再評価されているよね。確かに、作家の精神を具現化するために、木とか石に紙や鉄という物質そのものを用いた「具体」、作家の精神という部分を取り除いて、これまたほぼ未加工の木、石、紙、鉄といった物質そのものを主役として提示するという「もの派」から考えると、一気に視界が揺さぶられるような気分になった。
日比野さんも「段ボール」という「物質」を使ってるけど、抽象ではないし、形ある作品を多く作ってる。そこに「もの」とか作家の精神だけを反映させたっていうことはない。そしてイラストレーションにしたって、それまである意味下に見られていた「イラスト」という分野が、一気に美術の中に押し上がってきた感じもあるかも。
この時代活躍していた作家の多くが、美大の油画出身じゃなくて、デザインとかグラフィック、それに芸術学科とかの出身だということもあるのかもしれないね。そういう人たちが、絵を描いたり、オブジェを作っている。

日比野克彦《PRESENT AIRPLANE》1982年 岐阜県美術館蔵

遠山 で、サブカルチャーやインターネットなんかに影響されて、さらに複雑、煩雑化していった90年代。ここを見ると、原始から急にアニメに飛んじゃってるみたいな、そういう感覚がある。だからその間の失われた80年代じゃないけど、そこをもう一回見てみようっていうのが、ここ最近の80年代展覧会の意義だよね?

鈴木 そうそう。バブル期真っ盛りの80年代アートって、これまで焦点が当てられているようで、当てられてこなかった。実は「インスタレーション」や「メディア・アート」は80年代に生まれたんだよね。いまでは当たり前になっているけど、そこを紐解く必要がいまあると思うキュレーターがたくさん出てきて、いろんなところで展覧会が開催されたんだろうな。

遠山 80年代にキュレーターになった人が過去への憧憬とかを持って、企画したのかもしれないよね。自分たちが生きた時代を証明したいというか。

「起点としての80年代 / Starting Points: Japanese Art of the '80s」図録 2018年 My Book Service Inc.

鈴木 それはあると思う。で、この展覧会は図録も大事だと思う。80年代をある意味作った人たちがたくさん寄稿していて、作品だけじゃなくて、資料としても重要。

遠山 確かに文字の多い図録だなって思ったけど、すごく詳細に書かれていて、読み物としても面白いなって思った。
この頃に貸画廊とかそういうのが増えていったんだっけ?

鈴木 いろんな形態のギャラリースペースがどんどん出てきて、誰でも個展ができるようになった。ある意味敷居が低くなったところもあるかな。そして新しい若いギャラリストたちがギャラリーを作ったり、目の肥えたひとが才能ある作家を紹介する、美術館でも画廊でもない場「オルタナティヴ・スペース」なんかも登場して、そこで個展をした作家がいま世界的に有名になり、第一線で活躍してる。

遠山 オルタナティヴ・スペースだと、佐賀町エキジビット・スペースがその最たる例かな?

鈴木 まさしくそうだね。小池一子さんの「いま生まれつつあるアートを発信しよう」っていう意志から、1983年に江東区佐賀でスタートしたスペース。杉本博司さん、森村泰昌さん、大竹伸朗さん、内藤礼さんとか錚々たるメンバーが個展してる。そういえば横尾忠則さんもやってたな。

遠山 でもすごく失礼な言い方だけど、今回の展覧会を見て、80年代になると一気にアートが良くも悪くも軽い時代になったと思うんだよね。もうちょっと良い言い方をした方がいいと思うんだけど……。でもそれこそがその時代の気分であったり、新しさでもあったんだなと思う。

鈴木 これらの展覧会は、それを体現しているよね。

遠山 うん。そしてこの時代で特に重要な作家は、日比野さんだなって思った。

鈴木 この3つの展覧会ではすべてメイン作家扱いの感じがあるし、今なお最前線で活躍してるしね。確かに、80年代を代表する作家って言ったら日比野克彦かも。1958年生まれの彼は、多摩美術大学にいったん入って、東京藝術大学とその大学院に進むんだけど、大学院生時代にはデビューして、時代の寵児だった。突出した存在。

遠山 で、実は初めて今回まじまじと日比野さんの作品を見た気がする(笑)。

鈴木 改めて見てどうだった?

遠山 デカくて、迫力がすごかったね。立体もなかなか大雑把なように見えて、けっこう緻密だって気付いた。改めてちゃんと見て、好きだなって思った。

アートは神聖?

遠山 人って、どうしてもどこかでアートを神聖化したいっていう思いが、少なからずあると思うんだよね。

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