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川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

映画のなかのハーモニカ。『幻の馬』『野良犬』『マダムと女房』…ハーモニカ工場を舞台にした『明日をつくる少女』『涙』など。戦後すぐの時代、ハーモニカはもっとも手頃な楽器だった。

隔週連載

第54回

20/7/7(火)

 洋画だけではなく、日本映画にもよくハーモニカが登場する。まだ世の中が豊かではなかった時代、ハーモニカはもっとも手頃な楽器だったからだろう。
 子供の頃に観た大映の児童映画、競馬の競走馬を育てる青森県八戸市の牧場一家を描いた若尾文子主演、島耕二監督の『幻の馬』(1955年)では、若尾文子の弟の次郎という少年がハーモニカ好き。
 子馬が生まれると子守歌がわりによくハーモニカを吹く。その音色に励まされるように子馬は成長して、ダービーに出馬することになる。ところがレースの前に病気になる。心配した次郎は東京に行き、馬にハーモニカを吹いて聞かせる。馬はそれで元気になり、みごと優勝する。
 しかし、無理がたたってレース後に死んでしまう。大映の社長、永田雅一がオーナーだったトキノミノルがモデル。競馬史上のレジェンドで、府中競馬場にはその銅像がある。

 終戦後の映画、黒澤明監督の『野良犬』(1949年)にもハーモニカが登場する。
 若い刑事の三船敏郎がピストルを奪われ、犯人を追って、夏の炎天下、東京の町を歩く。ある時、下町を歩いていると材木置場のところで工員らしい若い男が丸太に座ってハーモニカで『ドナウ川のさざ波』を吹いている。
 連日、猛暑のなかピストルを盗んだ男を探して東京の町を歩き回っている刑事には、そのハーモニカの音色が一瞬の慰めになる。

 国産ハーモニカの登場は大正のはじめという。昭和6年には、従来より音域の広いハーモニカが作られ、広く普及していった。
 その昭和6年に作られた日本最初のトーキー作品、五所平之助監督、田中絹代主演の『マダムと女房』(1931年)には、音楽にハーモニカの演奏が使われている。
 日本のハーモニカ製作の祖、宮田東峰が作った学生ハーモニカ・バンドによる演奏。日本のトーキーはハーモニカから始まった。

 昭和30年代、ピアノは高嶺の花だった時代、ハーモニカは庶民にも手の届く楽器だった。町には小さなハーモニカ工場も多かった。
 東京の下町出身の作家、早乙女勝元原作、井上和男監督(脚本には若き日の山田洋次)の昭和33年の松竹の青春映画『明日をつくる少女』(1958年)は、東京の下町、荒川放水路沿いの鐘ヶ淵あたりのハーモニカの町工場で働く若者たちを描いている。山本豊三、桑野みゆき主演。
 山本豊三はじめ工員たちが、隣の小学校の生徒たちにフォスターの『草競馬』をハーモニカで吹いてみせる楽しい場面がある。ハーモニカはたいていの若者が少し練習すればすぐに吹くことが出来た。

 昭和31年の松竹の青春映画、川頭義郎監督、楠田芳子脚本の『涙』(1956年)は、静岡県の楽器の町、浜松を舞台にしている。
 主演は大映の若尾文子(可愛い!)、客演になる。
 彼女は大手楽器メーカー(モデルはヤマハらしい)のハーモニカ製作部門で働いている。当時、多かった“女工さん”。
 会社の合唱団に入っていて、昼休みに仲間たちとシューマンの『流浪の民』を歌う。伴奏はハーモニカ・バンド。ここでハーモニカを吹く石浜明が彼女の恋人。同じ会社だが、彼のほうは事務職。
 二人は愛し合っているが、若尾文子の家の事情で結婚に踏み切れない。以前、父親(明石潮)が会社の金を使い込んで逮捕された。母親はそれを苦にして自殺した。
 いま父親はうらぶれて旅役者をしている。兄(佐田啓二)は気がいいが風来坊で頼りにならない。伯父夫婦(東野英治郎、岸輝子)に育てられた。
 石浜明の家は農家だが、地元の名家で、二人の結婚に反対する。若尾文子は、育ててくれた伯父夫婦への気兼ねもあって、二人のすすめる相手と見合いをする。
 こういう場面、見合い相手は悪役になりがちだが、この映画の田村高廣演じる青年は、貧しくともすがすがしい好青年。
 若尾文子に好きな男性がいたと知っても怒らない。それどころか、「僕は、誰も愛したことのない、誰からも愛されたことのない人をお嫁さんにもらおうとは思わない」と彼女をあたたかく受け入れる。
 この二人が愛情を確かめ合う場面でハーモニカが使われる。田村高廣が、銀座のヤマハで買ってきた楽譜を見ながらフォスターの『夢見る人』をハーモニカで吹く。
 ハーモニカの素朴な音色が二人のつつましい愛情によく合っている。

 

イラストレーション:高松啓二

紹介された映画


『幻の馬』
1955年 大映
監督:島耕二
脚本:島耕二/長谷川公之
出演:若尾文子/北原義郎/岩垂幸彦/見明凡太郎
DVD:KADOKAWA



『野良犬』
1949年 東宝
監督:黒澤明
脚本:黒澤明/菊島隆三
出演:三船敏郎/志村喬/淡路恵子/木村功/千石規子/三好栄子/河村黎吉/千秋実
DVD&Blu-ray:東宝



『マダムと女房』
1931年 松竹蒲田
監督:五所平之助
脚本:北村小松
出演:渡辺篤/田中絹代/市村美津子
DVD:松竹(『春琴抄 お琴と佐助』とのセット販売)



『明日をつくる少女』
1958年 松竹
監督:井上和男 原作:早乙女勝元
脚本:馬場当/山田洋次
出演:桑野みゆき/清川虹子/藤木満寿夫/中川明/山本豊三



『涙』
1956年 松竹=松竹大船
監督:川頭義郎 脚本:楠田芳子
出演:若尾文子/佐田啓二/石浜朗/末永功/田村高廣/夏川静江/東野英治郎/明石潮/村上記代/本橋和子/山根七郎治



プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう)

1944年東京生まれ。映画評論家/文芸評論家。東京大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者として活躍後、文芸・映画の評論、翻訳、エッセイなどの執筆活動を続けている。91年『大正幻影』でサントリー学芸賞、97年『荷風と東京』で読売文学賞、2003年『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞、2012年『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。1970年前後の実体験を描いた著書『マイ・バック・ページ』は、2011年に妻夫木聡と松山ケンイチ主演で映画化もされた。近著は『あの映画に、この鉄道』(キネマ旬報社、10月2日刊)。

  出版:キネマ旬報社 2,700円(2,500円+税)

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