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いま、最高の一本に出会える

小栗旬というスターの顔が剥がされた? 「太宰治」という特異な役を成立させた“笑い”という武器

リアルサウンド

19/10/2(水) 6:10

 いやあ、面白かった。

 のっけから、主人公の太宰治(小栗旬)は“面白い人”として描かれていた(以下ネタバレあります)。蜷川実花が太宰治の映画を撮ると知ったとき、太宰治のデカダンスが、さぞ美しく描かれるだろうと想像していたが、いい意味ではぐらかされっぱなしだった。

 太宰治が「人間失格」を書くまでの物語で、人気作家・太宰は、三人の子をなした妻・津島美知子(宮沢りえ)の庇護の元、小説のネタのために太田静子(沢尻エリカ)と恋愛しヒット作「斜陽」を書き、次に手を出した山崎富栄(二階堂ふみ)とも恋のスリルを楽しんでいた。が、病魔が彼を蝕んでいく。三人の女たちとの均衡の崩壊、死の予感を感じながら「人間失格」執筆に取り掛かる。

 こう書くと、孤独で創作のために己のすべてを捧げたかっこいい話に思えるが、小説のためと言いながら、「死ぬ死ぬ」詐欺の死に損ない。それが『人間失格 太宰治と3人の女たち』の太宰治。思わずぷぷっとなる箇所が満載なのだ。

 最高だったのは、太宰が静子の日記を使った「斜陽」がバカ売れして大作家になったとき、成田凌演じる担当編集者に街なかで詰めよられ、合わせて祭りの喧騒に煽られて神輿に乗るみたいに感情が沸騰していくところ。つい『モテキ』(大根仁監督)で主人公・幸世(森山未来)が女神輿に乗って浮かれている場面を思い出してしまった。さすがに太宰はもっと悲壮だけれど、根本的には同じ。理性じゃないところで動いちゃうのねえ……という感じ。

 日本人の心・庶民の誇りたる祭りを、蜷川実花は太宰治を追い込んでいく大衆の無自覚な怖さとして描いているようでそれもまた面白かった。

 祭りのあとは無数の風車と子ども。子どもたちに嗤われる太宰。そこへ山崎富栄が子犬のように寄ってくる。二階堂ふみの太宰が好き過ぎて尽くしすぎてやばい女はパーフェクト。彼女のせいで太宰は徹底的に追い詰められていく。

 太宰を巡る三人の女がそれぞれ最強。

 頭のあがらない妻を宮沢りえが圧倒的な母性で演じている。演技対決では群を抜いている。沢尻エリカは相手に尽くすというよりは自分の名誉や信念を大事にしている凛としたところがさすが。とにかく誇り高く美しい女王のよう。二階堂ふみは前述したとおりメンヘラ性奴隷的な女子を完璧に演じた。小柄なところも嗜虐性をくすぐるのだ。そんな三者三様の女性を振り回し、小説に取り入れているようで、実のところ振り回されている太宰治がとことんかっこ悪い。太宰治ってこんなにかっこ悪いのか(小栗旬のことではありません)。最後の最後に多額の税金のお知らせを見てめそめそ泣くところで爆笑してしまった。小栗旬、究極のめそめそ男子。

 無様に太宰を演じる小栗旬がじつにすばらしい。これまで見た男性が描く太宰にはナルシシズムが感じられるし、太宰役に限らず、地獄に堕ちても芸術や文学をとか言いながら他者(主に女性)を都合のいいように扱う行為をかっこよく演じる俳優は多い。もちろんかっこよくないと女性にモテる説得力がないわけだが、小栗旬はそういう自己正当化をけっして行わないように心がけているように見受けられた。徹頭徹尾、情けないのだ。それが女性の庇護欲をくすぐるテクニックかもしれないが、情けなさ丸出しは正妻にのみ見せ、あとのふたりにはせいいっぱいかっこつけている。その無理している感もほんとうに笑える。

 2004年~06年くらいの間、シェイクスピア劇に出ていた小栗旬をマントの似合う男ナンバー・ワンと私は思っていた。ところが今回、和式マントことトンビがそれほど素敵に見えない。太宰はいつでも居心地悪そうな風情を漂わせ、それでも精一杯かっこつけている人に見える。

 美知子がいいことを言っている場面での彼の弛緩した表情。何度だって讃えたい。小栗旬、すばらしい。

 ただ、唯一、手指だけは美しい。面長の頬を覆う長い指ととがった顎を乗せた手首と手のひらの境目の角度は何度映っても、どんな角度でも決まっている。そこにタバコを挟んだら尚、精巧な細工のようだ。その手が、肺を蝕まれじょじょに太宰が衰弱していくにつれ、無数の筋が刻まれていく。顔はそれほど変わらないが、手が古い木のように老いていく。そこにとてつもないリアリティーと悲しみが見えて胸をついた。特殊メイクなのだろうか。それとも痩せたからなのだろうか。この映画のために現場で倒れそうなほど減量したそうだ。

 太宰は自分の生命を酒、タバコ、女……に吸い取られていく。だから、太宰が弱っていく一方で美知子も静子も富栄もどんどん美しくなっていく。ついでにいえば、太宰に愛憎を抱く編集者を演じる成田凌、静子の弟役の千葉雄大、太宰の親友役の瀬戸康史ら新世代の俳優たちもつややかで、それと比べて太宰はやせ細ってかさかさだ。その差がいい。その差こそが堕ちた底の深さだ。きらきらした“生”の世界から死の世界へと堕ちていく。

 太宰の行為を坂口安吾(藤原竜也)の悪魔的なささやきが後押ししている。己の臓物を引きずり出すように書く(大意)ことができたら本望だと語ったそれを太宰は遂行する。己の命を女性によって引きずり出し、それによって輝いていく女たち、それこそが太宰治の作品。

 坂口安吾役の藤原竜也が水を得た魚のように太宰を翻弄し挑発する。悪魔的に頭のきれる作家を隙なく演じている。叫ぶよりも難しい言葉を呪文のように熱と速度で語るときの藤原竜也は無敵である。東の阿部サダヲ、西の藤原竜也か(東西はどちらでもいい)。そんな彼を同世代のライバルと思っているであろう小栗は意地になってどこまでも堕ちようとする。まるでチキンレースに挑むように。ふたりは、師匠・蜷川幸雄のもとで地獄の演劇道を経験しているから、彼らが何を渇望しているか本人たちにしかわからないものを持っているのだとここで感じられる。

 全く余談だが、蜷川実花監督で藤原が主演した『Diner』(小栗旬も出演していて、『人間失格』を思わせるところもある)では手を差し伸べる絵画(横尾忠則)があって、『人間失格』にも手の絵が出てくるうえ、心中のときに相手と手をつなぎ合う、手が離れるなどの「手」がモチーフになっている。手を差し伸べられた男を藤原竜也が、のばした手の行き場のない男を小栗旬が演じている。その差が面白かった。

 それはともかく、藤原は『Dinner』よりもこっちのほうがノッて演じているように見える。セリフがいいからかもしれない。なんといっても孤高、無二の才能なのである。彼に対抗できる小栗旬の武器は、世間の中央値的なところにいることだ。どんな役でも、上過ぎず、下過ぎず、観客の日常の近いところに寄せる力をもっているから、いささか難しいかと思われる作品でもヒットさせてきた。今回も、文芸もの、R-15作品でありながら意外と観客を集めている。

 小栗が太宰を演じると、三島由紀夫(高良健吾)をはじめとして、文壇での力関係が、出世作『クローズZERO』(07年)に見えてきてしまう。「全部ぶっ壊して書く」と言い出す太宰に、『クローズZERO』で、「全部壊してゼロになれ」がキャッチコピーだったことを思い出してしまうのだ。

 『クローズZERO』文壇ver.をやってほしいとさえ思った。いや、そういうふうに置き換えてみたらこの時代の文学者たちのライバル関係が見やすくなる気がする。

「全部ぶっ壊して書く」

 小栗の師・蜷川幸雄が舞台『身毒丸』で装置の家が組み立てられたり解体されたりする演出で家族制度を描いたが、娘の実花は太宰治が妻と子供を閉じ込めていた家が小説を書くことで解体されていく様子を描いた。それまでは唯一夫の作品を褒めないことで応援してきた美知子が、それだけではもう足りず、自分たちを敢然に捨てることでしか書けないところまで太宰を追い詰める。それまでふたりを隔てるものは透けてみえる蚊帳だったのが、最後には格子戸になる。蚊帳の前でいつもの儀式(遅く帰ることを許してもらうお約束)を行う太宰の子供っぽさもほんとうに笑えた。

 カリスマ作家太宰治を、小栗旬は微笑ましさも含め、笑える人物とすることで大衆の目線と並べることに成功した。ここで小栗旬は「笑い」という武器も手に入れたように思う。

 私はこれまで、映画や舞台で福田雄一の演出する笑いをやる小栗旬が、ほかの俳優のように型にはまりきらないところが気にかかっていた。福田作品は彼の型にハマってしまったほうが小気味よく笑えると思うのだが、それが似合わない小栗旬は、「笑い」とはあまり相性が良くないのかなと気になっていたのだが、蜷川実花との出会いで喜劇性を俄然花開かせたことは驚きだった。無理してかっこつけて破滅を求めながら、自分からはとことんまで堕ちきれない。そんな弱い男が追い詰められてボロボロになっていくときのペーソス。その域へと肉薄した小栗旬。筋トレして映画でも舞台でも歯を食いしばって中心に立ち続けるスターとしてのイメージを一枚剥いで、一歩、前進させたのが蜷川実花だったとは。(文=木俣冬)

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