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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

初代林家三平(写真提供:ねぎし事務所)

山本益博の ずばり、落語!

第十五回『初代林家三平』 令和の落語家ライブ、昭和の落語家アーカイブ

毎月連載

第15回

19/8/30(金)

林家三平は、昭和の落語界のスーパースターである。1950年代、1960年代テレビから生まれた演芸ブームの立役者、落語界の異端児でありながら、寄席への集客力で最も貢献した落語家と言える。この点では、圓歌も談志も円鏡も敵わない。

「異端児」と呼ぶのは、寄席では紋付き袴姿で登場しながら、まともに落語を一席やらずに、ダジャレの小噺をつないだだけの高座、または、最初から立ち姿で、歌謡曲、シャンソンなどを歌う高座ぶりゆえ。そのダジャレは「お正月」を「和尚がtwo」、「サイトシーイング」を「斎藤寝具店」という程度の内容。これでも、三平が言うと、客席は沸いた。小噺がうけないと、「これはどこが面白いかというと」とスベッた噺を説明しながら、拳を額にやって「どうもスイマセン」。これで、また爆笑。つまり、出てくるだけで可笑しく、何をやっても笑ってしまう。

さらに、客席を「いじる」。客の笑いの反応が今一つだと、客席を二つに分け、「(ウケないほうに向かって)こちらを重点的にやりますから、(ウケてるほうに向かい)こっちは休め!」。噺の途中で客が入ってこようものなら、そのお客に向かって「今、お出でになるかと、みんなで噂してたところです」と笑いの種にしてしまう。

歌う高座では、アコーディオンの「小倉義雄」さんを登場させ、フランク永井ばりに『有楽町で逢いましょう』を歌い、最後には「よしこさーん」と叫んで笑わせた。このアコーディオン師の小倉さん、三平がどんなにおかしなことを連発しても、クスリとも笑わず、最後まで無表情でアコーディオンを弾いていたので、高座の面白さが倍増した。こうして、寄席の落語のタブーを次々と破ってしまい、新しいファンを開拓した天才と言ってよい。

古典落語をやらなかったかと言えば、『湯屋番』『浮世床』『たらちね』『源平盛衰記』は何度も聴いた。『湯屋番』『浮世床』は、サゲまでやった高座を聴いているが、『源平盛衰記』は「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」「驕る平家は久しからず」まで言いながら、決して先に進まず、いつもそこから漫談になってしまっていた。

三平の芸を認めなかった立川談志だが、談志の『源平盛衰記』は三平からの直伝で、それを大幅に書き直し、談志ならではの傑作に仕立て上げたのは有名なエピソード。

落語カセットテープ『林家三平 落語名人選』(ビクター)

林家三平(本名海老名泰一郎)は1925年(大正14年)11月30日、七代目柳家小三治(後の七代目林家正蔵)の長男として、東京・根岸に生まれた。

1955年、KRテレビ(現TBS)『新人落語会』(後に『今日の演芸』)の司会者に抜擢され、一躍人気者となった。1957年(昭和32年)10月中席の上野・鈴本で二代目三遊亭歌奴(後の三代目三遊亭圓歌)とともに、二つ目ながらトリを取った。1958年(昭和33年)、前座名林家三平のまま、真打に昇進した。

以後の活躍ぶりは、周知の通りだが、1979年(昭和54年)正月、脳溢血で倒れ、入院。その年の10月の新宿・末広亭に新作『源氏物語』をかけて、奇跡の復帰と呼ばれたが、その高座は精彩がなかった。

1980年(昭和55年)死去、54歳の若さだった。

私は、三平師匠の晩年、『三平・小朝二人会』を企画したりした縁で、三平師匠が亡くなってから、それまでの録音を集め、放送作家の高平哲郎さんと二人で監修し、ビクターから『三平グラフィティ』(すでに廃盤)という追悼盤のカセットを出した。林家三平の芸を再評価すべき機会を作りたかったためである。三平の高座での小噺、ギャグを集め、つなぎ合わせ、タイトルを『三平グラフィティ』とした。改めて聴きなおすと、現代の風俗、日常茶飯事、新聞の三面記事をどれほど丁寧に見て、小噺を作り上げていたかがよく分かり、その天才ぶりに脱帽したのだった。

豆知識 『香盤』

(イラストレーション:高松啓二)

落語家の序列のことを「香盤(こうばん)」と呼びます。語源は香道からきています。東京の落語界では、毎年、春秋に新しい真打が誕生しますが、この真打昇進の順番がそのまま「香盤」順となり、先輩後輩の順番が、原則終生変わることがありません。

落語家になり、寄席で前座として働き始めたときが早くとも、二つ目になってから真打昇進まで順当に行っても、真打に昇進した時が、序列の決定で、かつての春風亭小朝、近年の春風亭一之輔などは、先輩二つ目の落語家を何人、何十人も追い抜いてスピード出世し、話題をまいたのは、ご存知の通り。

入門したのが早かった立川談志が、一足先に真打昇進が決まってしまった古今亭志ん朝に「待ってくれないか」とじき談判して、駄々をこねたことは有名な話です。それほど、落語家にとって「香盤」は大切なんですね。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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