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細野ゼミ 8コマ目(前編) 細野晴臣とエレクトロニカ

ナタリー

「細野ゼミ」メインビジュアル

活動50周年を経た今なお、日本のみならず海外でも熱烈な支持を集め、改めてその音楽が注目されている細野晴臣。音楽ナタリーでは、彼が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する連載企画「細野ゼミ」を展開中だ。

ゼミ生として参加しているのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人。これまでさまざまなジャンルを取り上げてきた同連載だが、第8回では細野と高橋幸宏によるユニット・SKETCH SHOWのオリジナルアルバム全3作品のコンプリートパッケージがリリースされたことに合わせてエレクトロニカをピックアップする。前編では同ジャンルが生まれた背景とSKETCH SHOWをフィーチャーし、その音楽性を掘り下げる。

取材 / 加藤一陽 文 / 望月哲 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん

新しい音楽として今世紀に生まれたエレクトロニカ

ハマ・オカモト 今回のテーマ、僕、全然明るくないです(笑)。

安部勇磨 僕もです(笑)。

ハマ なので今日は細野さんにいろいろ聞きたいなと思って。

細野晴臣 いや、どうしようかな……あんまり記憶がないんだよ。ニューウェイブのときとちょっと似てるんだよな。エレクトロニカって一時期いっぱい出てきたんだけど、今、あまり音源が残ってないから。

安部 そもそもエレクトロニカって、いつぐらいに出てきた音楽なんですか?

細野 エレクトロニカという言葉が使われ始めたのは2000年前後かな。

安部 そんな最近なんですか?

細野 うん。流行したのは今世紀の初めだよね。ノストラダムスの予言で、みんな1999年に世界が滅ぶと思っていたんだよ(笑)。

ハマ 子供ながらに当時の雰囲気は覚えています(笑)。

細野 五島勉という人の主張で世界が終わると思っていた。

──五島さんが書いた「ノストラダムスの大予言」という本が大ヒットした影響で。

細野 そう。でも、2000年になっても何も起こらなかったわけ。何も起こらないどころか、すごくユルい時代になっちゃった。もうガッカリしたっていうかね。緊張が解けたせいもあるけど。

ハマ ガッカリされたんですね?

細野 ガッカリした。なんにもないなと思った。白けた時代だなって。音楽的にもそうだったわけ。でもボチボチと変な音楽が出てくるようになってきて。その下敷きっていうのはアンビエントとかアシッドハウスとか。そういう流れの中から主にボーカルもので面白いものが出てきた。

安部 そうなんですね。エレクトロニカって歌がないと思っていました。

細野 アメリカ以外の国で、ヨーロッパはドイツとオーストリア、それから北欧、そこからもっと北のアイスランドとか、あそこらへんから面白い音楽がいっぱい出てきて。僕は渋谷のタワーレコードに毎週1回くらい通ってたんだ。5階に面白い音楽を取りそろえたコーナー(※COMPUMAこと松永耕一がバイヤーを務めていた通称“松永コーナー”)があってね。

ハマ 当時すでにエレクトロニカというジャンルが存在していたんですか?

細野 そういう名前はまだ付いてなかった気がする。

安部 名前は付いてないけど、なんとなくまとまって取り扱われていたというか。

細野 うん。新しい音楽として出てきた。

ハマ こういう音楽が今あるらしいみたいな?

細野 うん。適当に買っても、どれも面白かったわけ。それで病み付きになって。

ハマ エレクトロニカって、そもそもアンビエントとかが源流にある感じなんですか?

細野 そういうのを全部経験した30代くらいの人たちが自宅でレコーディングしだしてね。

ハマ それで細野さんに刺さったんですね。

細野 テクノ系の人もいるけど全員が音響派になってきたわけ。

ハマ安部 ああ、音響派。

細野 みんな音をいじくりだした。自宅でそういう作業ができるようになった時代なんだよね。僕も「Pluggo」っていうソフトを見つけて使いだしたんだよ。CD-ROMで販売されてたからそれをパソコンにインストールして。

安部 CD-ROM、カッコいい……。

ハマ それは感覚的に使える感じだったんですか?

細野 そうだね。音が飛んだり、ノイズっぽくなったりとか、そういう効果をすぐに使えるプラグインだった。でも、そういうスタイルが蔓延して、飽き飽きして、その後誰もやらなくなっちゃった。

安部 飽き飽きするくらい、そういう音楽が広がったんですね。

細野 僕はそういう音楽全般を音響派って呼んでたんだけど、宅録だからできる音ってあるでしょ? スタジオではできないような空間の音が。音楽は普通なんだけど音が違うっていう。そういう音楽はアンビエントの頃からあったんだけどね。

ハマ やっぱりアンビエントの延長にあるというか、当時でいえばアンビエントの現代版みたいな感じだったんですね。でも何をもってエレクトロニカと呼ぶかというのは、線引きが難しそうですね。

細野 今は言わなくなったけど、一時期はラップトップミュージックとか呼ばれていたね。デクストップじゃなくてラップトップね。膝の上。当時はMacユーザーが多かったんだけど、ミュージシャンがPCを使って音で遊びだしたんだよ。それに加えて音楽の構造自体も変わってきちゃって、作曲できない人でも音楽を作れる時代になって、自分では思いつかないような、へんてこりんな音楽がいっぱい出てきたから新しかったのかな。

細野晴臣が衝撃を受けたOvalのスクラッチノイズ

細野 エレクトロニカって、そもそもはアンビエントハウスあたりから始まっているんだな。あの手の音楽はアメリカにはないね。

ハマ それはなぜなんでしょう? 国民性なんですかね。

細野 かもね。

ハマ ああいう音では踊れないというか。

──90年代中盤から2000年代初頭にかけては、アメリカだとヒップホップが台頭している時代ですね。

ハマ そっか、時代的にそうですね。

細野 最初に僕がびっくりしたのはOvalっていうドイツの音楽ユニット。僕が初めて聴いたOvalの曲は一聴すると普通の電子音楽なんだけど、不定期的にスクラッチノイズが入ってくるわけ。CDなのに、まるでレコードをかけてるみたいな。びっくりして不良品だと思ったの。

ハマ 「音が飛んでる!」って(笑)。

細野 それで同じCDを持ってる人に聞いたら、自分のCDにもノイズが入っていると言っていて。これは意図的に入れてるんだ、と。CDに音楽とは関係なくノイズを入れてたので、あれはぶったまげたね。その前までミュージシャンは、音に対してエフェクトをかけていたのに、Oval はCDというメディア自体にエフェクトをかけてたんで。コペルニクス的転回だった。

ハマ CD特有のデジタル的な針飛びが?

細野 レコードをシミュレーションするような針飛びとは違うんだけど。ただのありふれたノイズが不定期的に入っているから音楽には関係ないわけ。リズムとして使っているわけじゃないし。

ハマ 確かに不良品だと思うでしょうね(笑)。

細野 それをやってたのがOval。サラリーマンみたいな人だった。東京に来たんだよな。

──お会いしたんですか?

細野 会った。クルーカットで真面目そうな感じ。ハンサムなやつなんだよね。普通の人なのよ。

ハマ そのときはライブをやるために来日したんですか?

細野 うん。青山のCAYでやったかな。そんな人がいて、びっくりしちゃった。

ハマ その人は現役ではないんですか?

細野 今もやってる。面白いよ、今も。音がよくなってる。わりとまともになって(笑)。

細野 Mouse On Marsというユニットも面白かった。彼らも活動の拠点はドイツだね。このスタジオにも来たことがある。

ハマ安部 へえ!

細野 来日したときにラジオに出てくれて。

安部 どのジャンルの人も直接会いに来るんですね(笑)。

ハマ いろんな方にお会いしてますもんね、細野さん。

──巡礼みたいな(笑)。

細野 そういうやりとりはいっぱいあったよ。エレクトロニカのアーティストでいうと、自分が一番影響されたのはアトム・ハートだよね。彼は自ら「一緒にやりたい」って、ここに来たんだよ。テツ・イノウエっていう人と一緒に、このスタジオでアルバムを作った気がする(細野、アトム・ハート、テツ・イノウエによるユニット・HATが1996年にリリースした「Tokyo-Frankfurt-New York」)。

──アトム・ハートは坂本龍一さんとも親交がありますよね。

細野 アトム・ハートはフランクフルトのテクノ系の人で、MPCだけで曲を作る。テープを使わないで(笑)。それをここでやってたから見ててびっくりしちゃった。

ハマ へえ、STUTSとかに聞いたら絶対に知ってるだろうな。

いいなと思っていた人たちは四つ打ちを使わない

──代表的なエレクトロニカのアーティストとしては、あとは有名どころだとAutechreとか。

細野 今言おうと思ってたんだ。Autechreはすごい。

──あとは、捉え方はいろいろあると思いますが、エイフェックス・ツインとかも一応。

細野 まあクラブ系の人とは、ちょっと分かれるんだよね。

ハマ 違うんですか。例えばThe Chemical Brothersとかはどうなんですか?

細野 違うんだよ。

ハマ 文脈としてたまに言われたりするから。

細野 四つ打ち系はダンスグループだよね。

ハマ The Chemical Brothersとかは、もうちょっとダンス寄りなのか。

細野 僕がいいなと思って聴いていた人たちは、四つ打ちは使わない。踊らせるための音楽じゃないんで、リスニング系って呼ばれてたね。

──あとは、これも解釈やバンドの音楽性の変化などはいろいろありますが、Sigur RósやMúmとか。どちらもアイスランド発のアーティストです。

ハマ Sigur Rósは一時期日本ですごく売り出されてましたよね。

細野 信じられない。売ろうとしてたんだ。

安部 そうですよ。僕らが学生の頃、写真集とか込みで作品がリリースされていて。それを持ってる人はセンスあるみたいな(笑)。

細野 商業主義に絶対に乗らない音楽がエレクトロニカだから(笑)。

ハマ 真逆ですね(笑)。当時、今を生きる音楽ファンとしてSigur Rósを聴かないとダメみたいな感じがあったけど、僕は1mmもわからなかったです。

細野 Sigur Rósは僕も全然聴いてなかったな。でもMúmは面白かった。彼らのライブを観に行ったんだけど、ちょうどカントリーシンガーのジョニー・キャッシュが亡くなった時期だったんだよ。そしたらジョニー・キャッシュの曲をやって、「これだよ!」と思った。Sigur Rósはたぶんやんない(笑)。

ハマ安部 ははは。

細野 発想が自由なんだよね。あえてパターンを作らないようにしてるっていうか。パターンができちゃったら繰り返すしかないから。それをやらないのがエレクトロニカのよさ。

2000年代のはっぴいえんどの気持ちで始まったSKETCH SHOW

ハマ 細野さんにとって、ユルくなっちゃって嫌だったという2000年代の始まりだったわけですが、ご自身の制作についてはいかがだったんですか?

細野 2001年くらいはダメだったんだけど、だんだんモヤモヤっと変なものが出てきて。それで俄然面白くなってきた。

ハマ それはワクワクしますよね。2000年代の初頭って俺ら小学生?

安部 12歳くらいか。

ハマ ミレニアムベイビーとか言われてましたもんね、2000年に生まれた子供が。

細野 僕の孫がミレニアムベイビー。

ハマ あっ、そうですか! てことは今、21歳ってことですよね。数えやすいですよね。

細野 そうそう。

安部 昨日SKETCH SHOWのライブ動画を観たんですけど、僕が12歳の頃に細野さんは、高橋幸宏さんと2人でこんなことしてたんだと思って(笑)。

細野 ははは。

安部 2人でシンセとか演奏して、ライブもカッコよくて。「すげー!」って。

ハマ SKETCH SHOWって何年にスタートしたんですか?

細野 2002年。2000年代に入って1年くらいボーッとしてたけど、突然そういう動きが始まったんだね。

──でもSKETCH SHOWは音源制作だけだったら3年くらいで終わってるんですよね。

細野 2000年代のはっぴいえんどの気持ちだよね(笑)。実質2年くらいしかやってない。

ハマ安部 ああ!

安部 幸宏さんも細野さんと同時期にエレクトロニカに興味をお持ちになったんですか?

細野 幸宏のことはわからないけど、最初は自分1人で楽しんでいた世界なんで。お互いにそうだったのかも。

ハマ 振り返ると一緒ですね、ずっと(笑)。トロピカル3部作を制作されていた70年代当時もそんな感じだったとおっしゃっていたし。

細野 そうそう(笑)。で、 そんなときに幸宏からソロを作りたいと声をかけてきて。プロデュースしてくれって言うんで、最初はそういう気持ちで関わったんだよね。

ハマ プロデューサーとして?

細野 うん。だから幸宏が何やりたいのか探って。昔のフランス映画の主題歌をやりたいとか言うから、そっちがそう出るんだったら、こっちもThe Cyrkleの「Turn-Down Day」っていう60年代のヒット曲が好きだから、そういう曲をやったら面白いんじゃないかとか。突然思い付いただけなんだけどね。全然エレクトロニカにしようとか、そういうことは考えてなかった。

ハマ どうしてそっちの方向性に向かっていったんですか?

細野 幸宏もエレクトロニカを聴き出してたんだろうけど。お互い黙っていたんだよね(笑)。で、幸宏から自分のソロじゃなくて、一緒にユニットとしてやろうという提案があったんで、そこから一気に動き出した。音響系をやろうみたいなね。制作中に動きが変わってきたんで、1枚目のアルバム(「audio sponge」)にはいろんな要素が出てきちゃったよね。でもその頃は、さっき言った「Pluggo」とかそういうものはそろってないわけ。それぞれ自分なりにやってたんだろうね。僕もゲートをかけてエレピの音を減衰させて、「これはいいや!」って思ったり(笑)。

ハマ ははは。

細野 「これこれ!」と思って(笑)。ノイズが入ったり、音が途切れたり、スクラッチしたり……スクラッチと言ってもヒップホップとは全然違うんだけど。スクラッチじゃなくてグリッチって言うんだよね。いまだになんだかわからないけど、とにかくそういうザラザラした音を作ることが第一目標だったんだ。今で言えばそれがエレクトロニカなんだろうね。当時はそう思ってなかったけど。

安部 曲はどうやって作っていたんですか? 音の抜き差しとか、どんな感覚でああいう曲を作っていくんだろうって。遊びながら、あまり考えず感覚的にやった結果、ああいう音楽が生まれたのか、それとも意図的なのか、すごく気になります。

細野 最初は意図はしてなかったと思うけど、制作半ばで変わっていった。

安部 遊ぶというか、感覚的に?

細野 まあ遊んでいるんだけど(笑)。

ハマ ビートから作るんですか?

細野 だいたいビートからだね。幸宏がドラムのパターンを考えたりとか。でも実際どうやって作ってたのか全然覚えてないね。

ハマ 「audio sponge」の制作過程とか面白そうですよね。

細野 OS9ってすごく自由が効くんで、いまだに使いたいシステムなんだけどね。そのうち「Pluggo」が出てきて、それで興奮して。あの頃は、とにかくチリチリ言わせたかったんだよ。

ハマ とにかくチリチリ言わせたかった(笑)。

細野 うん。それで完成した音源を、小原礼と尾崎亜美の家に行って聴かせたら、「なんかチリチリ言ってる」って言われて。

ハマ 「ノイズ乗ってるんじゃないの?」って(笑)。

安部 SKETCH SHOWではライブをやるよりも、幸宏さんと2人で遊びながら曲を作るのが楽しかった感じですか?

細野 いや、ライブもけっこうやってるよ。バルセロナの「Sónar」というイベントに出たり。

安部 バルセロナとかにもいっぱいいるんですか? そういう音響派のような人が。

細野 けっこう多いよ。

ハマ 楽しかったですか?

細野 うん、楽しい。すごくアーティスティックな雰囲気が強いイベントだった。「ワイワイ騒ごうぜ!」みたいな感じじゃなくて。3回くらい行ったかな。

オカモトコウキにSKETCH SHOWを布教されていたハマ・オカモト

ハマ 僕らの世代は、細野さんがやられてきた音楽を後追いで知ることが多いんですけど、SKETCH SHOWは中学生のときリアルタイムで聴いていたんです。うちのギター(オカモトコウキ)はすごくハイカラで、当時出てきたばかりのiMovieを使いこなして短編ムービーみたいなものを作っていたんですけど、その動画に彼が毎回テーマソング的に付けてたのが、SKETCH SHOWの「Wilson」だったんです。

細野 ホント?(笑)

ハマ SKETCH SHOWの曲だと知らずに「こいつ、なんで動画の最後に毎回この曲付けるんだろう?」と思っていて。それでメジャーデビューしたくらいの時期に「audio sponge」を聴いてたら「あっ、動画のエンディングの曲だ!」って(笑)。

細野 中学生のくせに、なんでそんなの聴いてたのかね(笑)。

ハマ 細野さんのファンだったんですよ。ちなみに僕が入る前のOKAMOTO'Sのベーシストがうちのギターと幼馴染で、その彼も細野さんのファンで、2人して子供の頃から細野さんの曲を聴いてたみたいです。

細野 びっくりだね。

ハマ なので僕の中で「Wilson」は子供時代の記憶に残っている、とあるテーマソングだったんですよ(笑)。それをあとになってSKETCH SHOWの曲だと知ったからすごく不思議な体験でした。僕の中で、つながらなくて。はっぴいえんどの細野さんとYMOの細野さんしか当時は知らないから、「これも細野晴臣なんだ」みたいな。さらに得体のしれない存在として認識されたというか。写真だけ見ると髪型も全然違うし(笑)。

細野 中学生が聴いているとは思わなかったなあ。

ハマ ポテチを食べているのを逆再生するみたいな本当にどうしようもない動画に「Wilson」を使っていて(笑)。

細野 でもSKETCH SHOWの考えも同じだよ。SKETCH SHOWってコントって意味だから。

ハマ あっ、そっか! コンセプトというかテーマとして。

細野 最初はそんなこと考えていたんだけど、だんだん真面目になっちゃったっていう。SKETCH SHOWはコントという意味だってモンティ・パイソンが言ってたよ。面白いなって。

ハマ 子供ながらにキャッチはしていましたね(笑)。彼らはきっと。

細野 当時は誰も聴かないだろって思いながらやってたんだけどね。

ハマ 聴いてましたよ、小田急線沿線に住んでいる子供2人が(笑)。で、僕らに布教してましたから。YouTubeにアップするとか、まだそういう時代でもなかったんで、部屋でその映像をみんなで観て笑ってるっていう。SKETCH SHOWとは不思議な巡り合わせで、聴くと中学生の頃を思い出すんですよ。

細野 不思議だな。

<後編に続く>

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。9月にオリジナルアルバム全3作品をまとめたコンプリートパッケージ「"audio sponge" "tronika" "LOOPHOLE"」を発表した。

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細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
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安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカル&ギター。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsよりリリースした。

never young beach オフィシャルサイト
Thaian Records
never young beach (@neveryoungbeach)|Twitter
Yuma Abe (@_yuma_abe) ・Instagram写真と動画

ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2021年9月29日にニューアルバム「KNO WHERE」をリリース。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
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