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幽霊の「うらめしや」ポーズは神経麻痺だった? 脳神経内科が“怪談”を分析

リアルサウンド

20/5/8(金) 10:00

 妖怪研究家としても知られる作家・荒俣宏が帯のコメントで曰く、〈妖怪学の維新が、ついにやって来た〉。

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 本書『怪談に学ぶ脳神経内科』は、脳神経内科・総合内科専門医にして詩人でもある著者・駒ヶ嶺朋子が、奈良時代から大正時代の古典作品の世界へと「時間留学」。機械を使用した検査のできない当時の状況に身を置き、作品に出てくる妖怪や超常現象について、脳神経内科の視点からどれだけ分析可能なのかを全10章に渡りシミュレーションする。医学専門の版元から出版されているだけに、医師や医学生向けの実践的な内容だが、専門外の読者が興味深く読める部分も多い。

 たとえば、第1章「突然の報い—脳卒中」では、日本最古の仏教説話集『日本国現報善悪霊異記』中巻所収「第十八 法花経を読む僧をあざけりて、現に口ゆがみて、悪死の報をえし縁」がお題となる。

 話の内容は、相手の高僧を揶揄しながら碁を打っていた不届きな信者が、因果応報か口が突然歪み、その後地面に倒れこみ死んでしまったというもの。著者はこの説話について、因果応報ではなく〈防ぎ得た死だったのではないか〉と仮定する。

 亡くなった信者に、何が起きていたのか。まずは、「Q1.抽出される経過・所見を述べよ」「Q2.考えられる疾患を挙げよ」「Q3.診断に必要な追加情報・身体所見を述べよ」の3点について考察される。日常活動での急性発症として考えられる疾患は、脳梗塞・脳出血・焦点起始両側強直間代発作からの呼吸停止などが挙げられる。顔面麻痺から転倒・死亡までの経過時間に加え、気道・呼吸・脈拍・血圧の確認、患者の年齢・生活習慣といった項目も診断には必要となる。

 心原性脳塞栓症を疾患の第一候補とする著者は、平安時代当時の塩分摂取量、食生活、飲酒喫煙文化の有無、一日あたりの運動量まで情報を揃えて判断材料にする。気にする人なんてほとんどいなかっただろう作品世界の背景が、患者の症状を想像することによって浮かび上がっていくのが面白い。何だか楽しそうな作業にも見えるが、プロの世界は厳しい。疾患の鑑別について、〈二次救急ならばここまでを5分以内に収めたい〉というのだから大変だ。

 こうした著者の診察によって、怪談の登場人物たちの抱えていたかもしれない疾患が次々と明らかになる。佐々木喜善『奥州のザシキワラシの話』でザシキワラシを目撃した老人については、具体的な幻視であること、幻覚に対して恐怖感を伴わないことなどが特徴である「Lewy小体病」の可能性を探る(第2章「おばあちゃんだけに見える少女—Lewy小体病」)。明治の落語家・三遊亭円朝が所有していたとされる幽霊画に描かれている、幽霊といえばお馴染みのポーズ「うらめしや」。そのポーズの由縁を解剖学の視点からたどってみると、幽霊が上腕部橈骨神経麻痺になってしまった、辛い過去への恨みを思い知らされることになる(第5章「うらめしやの手—末梢神経障害」)。

 そんな切り口のユニークさに目が行きがちとなるが、怪談を頭ごなしに嘘だと否定しない誠実さも本書の魅力だ。第9章「幽体離脱—体外離脱体験」では『伊勢物語』第百十段が取り上げられる。あなたが昨夜夢に出てきたと女が恋人に教えると、思いが募って魂だけさまよい出たのだと男が答えるという、甘美な経験として幽体離脱が語られるこの場面。恋人たちの妄想だろうと片付けられそうなものだが、本書ではそうはいかない。

 〈本人やご家族から、「病歴が医者に語られる」ことに最も診断的価値がある〉という脳神経内科の原則に則り、作品で語られていることを丁寧に読み解き、症状を把握することが肝となる。〈ベタな恋の歌に、知る人ぞ知るオカルトやサブカルネタは持ってこないと思われる〉と、二人の話が本当であると信じて、特定の脳部位由来の現象である「体外離脱体験」が起きていたのではないかと診察が始まる。

 かつてオカルトだと色物視されていた体外離脱体験は近年、科学研究の対象となり現象の解明が進んでいるという。睡眠麻痺中に経験し、楽しさや幸福感を覚えるケースが多いというその特徴は、『伊勢物語』に出てくる幽体離脱にも当てはまる。話のリアリティが平安時代から一千年がかりで科学的に証明されていく本書を読むと、「怪談なんて迷信だ」と断じることが非科学的に思えてくる。

(文=藤井勉)

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