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中川龍太郎監督が語る『わたしは光をにぎっている』で捉えた時代の変化 「受け入れる人たちの話にしたかった」

リアルサウンド

19/11/16(土) 10:00

 映画『わたしは光をにぎっている』が11月15日より全国公開中だ。本作は、第39回モスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した『四月の永い夢』を手がけた中川龍太郎監督の最新作。両親を早くに亡くした20歳の宮川澪(松本穂香)が、長野・野尻湖のほとりから父の親友であった京介(光石研)を頼って上京し、彼が1人で経営する銭湯の仕事を手伝うようになる。銭湯にたむろする常連客たちと次第に親密になっていき、東京での日々が少しずつ楽しくなっていく。しかし、銭湯が近いうちに閉店する運命にあることを知った澪は、ある決断をする。

 リアルサウンド映画部は、中川監督にインタビューを行い、本作に込めた現代社会への痛切なメッセージ、銭湯を舞台に設定した理由、主演の松本とのやり取りまで話を聞いた。

「あらゆる人と人の間にある社会を描く」

ーー本作からは、非常にゆったりとした空気が感じ取れます。

中川龍太郎(以下、中川):これまでとは撮るものの興味が変わってきたのが大きいかもしれません。『愛の小さな歴史』の時は手持ちカメラで、とにかく動き回る人間の感情を描きたかった。しかし、今回は人の感情よりも、それを司る空間を描きたかった。人の感情だったら言葉や体の動きで分かるんですが、空間はゆったり見ないとわからない。そういう意味で、引きの画で、ゆったりしたテンポで空間を映すというのは本作の大きなテーマでした。

ーー引きの画で、ゆったりしたテンポで撮るというのは、通常の撮影より難易度が高いように感じます。

中川:自分と同世代や下の世代には優秀な監督がたくさんいますが、カットがすごく短いという傾向があると思います。もちろんそれは悪いことではないし、素晴らしい作品もたくさんあるけれど、自分としてはそういう映画が溢れている中で、映画館でじっくり観られる作品が一本あってもいいのかなと。ぼーっと風景を観たい時ってありますよね? そういう穏やかな作品を若い人が意外と作っていないんじゃないかとは考えていました。

ーー本作の舞台にもなる銭湯も、ある種ぼーっとすることを許してくれる空間ですよね。

中川:銭湯にいるときって、何も集中して見たりしないですからね。おじさんの裸を見たってしょうがないし(笑)。僕は、ぼーっとしている時間が、人間の幸福度・精神的豊かさに貢献していると思っています。

ーーこれまでの作品も、銭湯という舞台や昭和的な意匠が用いられていましたが、本作はある種集大成と言えるかもしれません。

中川:そうかもしれないです。昭和が好きというより、昭和の時代には存在したかもしれない、人と人が繋がれる空間が好きなんですよね。一つ意識していたのは、「間」社会的ーーあらゆる人と人の間にある社会を描くということです。僕は、知らない人との他愛のない会話が幸せの担保になり得ると思っているんですが、今の社会は徹底してそれが排除されていて、自分の内と外の2つしかないから人間の心がどんどん貧しくなっているのではないかと感じします。些細なことに見えますが、意外にこのことが色んな問題の根源だと考えています。そうした現代社会において、知らない人とのちょっとした会話がすごく重要なのではないでしょうか。そうした会話が可能な場所が銭湯や単館の映画館なんじゃないかと。単館の映画館の館長と仲良くなって少し話したり、銭湯で一番風呂に入ると常連のおじさんと話すようになったり……僕自身にもそんな経験があります。

ーーそうした空間が排除されるようになった理由はなんだと思いますか?

中川:非常に難しい質問ですが、一人で生きられるようになったから、というのは理由の一つにあると思います。経済的に豊かになって、一人でスマホを見てずっと家にいれば満足できる環境になってしまった。もう一つは、場所を継承していくことに対して、すごく無頓着という日本人の気質があると思います。もしかしたら、地震や空襲があって、スクラップアンドビルドでこれまでも発展を進めてきた過去があるからかもしれませんが、残すべきものは残していくべきです。例えば京都こそ、日本最大のテーマパークじゃないですか? 昭和の街並みを東京に一つでも残していれば、大きな観光資源になるはずなのに、消防法などのルールを理由に潰してしまう。そういったある種の官僚主義的振る舞い、声を上げない市民の姿勢が場所の破壊を進めていると感じます。

ーー中川監督は、そんな排除が進む現代社会の未来に希望的観測を持っていますか?

中川:希望があるとしたら、外国人が入ってくることだと思います。外国人が入ってくることを排除するんじゃなくて、むしろ僕ら日本人から外国のカルチャーに飛び込んでいくことが希望になると思います。本作でも主人公の澪がエチオピア人と仲良くなるシーンがありますが、あのエチオピア人のコミュニティでは子供を近所のおばちゃんがあやしたりしている。まさに昭和の日本のような、緩い繋がりがあるんです。子供がいれば、人と人が結びつくんですよね。でも今の日本は少子化で、労働力もなくなるから、外国人を入れる必要がある。例えば、新大久保も昔は「韓国の街」というイメージでしたが、今はもっとそれにとどまらない、新しい文化もできている。新大久保のように、より多国籍化する都市があれば希望になるんじゃないかと考えています。

ーー本作では特に後半において、今まで中川監督が語ったような強いメッセージを感じます。ですが、作品全体のトーンは穏やかです。このコントラストは意識的でしたか?

中川:おっしゃる通り、僕は強い怒りを持ってこの映画を作りました。同時に、怒りをただぶつけるだけでは意味がないとも考えていました。これで男性を主人公にしていたら、銭湯に立てこもる話を作っていたと思うんですが(笑)。

ーーそうしなかった理由は?

中川:僕自身が怒りっぽいし、未熟な人間なんですが、そんな愚かな自分を野放しにしたものを人様に見せることに抵抗がありました。『愛の小さな歴史』『走れ、絶望に追いつかれない速さで』の時はまだそういう要素があったと思うんですが、今回はもっと静かに受け入れていかざるを得ない人たちに寄り添うような幅を持たせたかった。多くの人は、僕みたいに声を大にして抗議するのではなくて、それを受け入れていくじゃないですか? 「戦おう」というメッセージをそのまま伝えるのでは、多くの人が取り残されてしまう気がしたから、今回は受け入れる人たちの話にしたかったんです。それは僕にはできないことですし、憧れもあります。

ーーそんな「受け入れる人たち」の中で主人公・澪を演じたのが、松本穂香さんです。松本さんをキャスティングした理由は?

中川:この映画の主人公はあくまで風景なので、風景の中で尖った自意識のある方が出ていると悪目立ちしてしまう恐れがあります。実際、お年寄りの多い田舎や銭湯に浮世離れするような綺麗な人がいたらリアリティが損なわれかねませんが、松本さんだとなぜか不自然さを感じさせないんです。

ーー風景に溶け込むというのは役者としても、求められるものが大きいように感じますが、松本さんとはどのようなやり取りを?

中川:「少女」ではなくて「子供」ーーつまり、性的ではない存在として演じてほしいということは伝えました。自分の性を意識すると自意識が生まれるから、風景と自意識がぶつかってしまう恐れがあります。子供は風景に用意に馴染むじゃないですか? あれは小さいからではなくて、自意識が少ないからだと思います。

ーー本作は松本さん以外にも町の人たちの姿がそれぞれ描かれています。渡辺大知さん演じる映画監督を志す青年・銀次もその一人ですが、これは監督ご自身を投影したキャラクターなのでしょうか?

中川:そうでしょうね。本作では、映画におけるアーカイブという行為の重要性も描いています。その意味で、渡辺さんには失われゆくものを記録する、メタ的存在として出てもらいました。失われゆくものというのは街の風景だけじゃなく、20歳の澪もそうなんです。人というのは常に変わっていくから、20歳の澪と21歳の澪さんは違う人なんです。銀次は、その瞬間しかいない澪を写す記録者としての立ち位置でもありますね。

ーー中川監督はこれまでのインタビューでもアニメからの影響について語っています。本作にはスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーもコメントを寄せていますが、アニメーションからの影響は本作にもありますか?

中川:国内において、実写映画がアニメ作品に苦戦してきた背景の一つに、過酷な現実を活写することの重要性は理解しつつ、同時に、その世界に入りたいと思えるようなぬくもりや憧れを実写映画でうまく表現できてこなかったことが挙げられると思います。まさにスタジオジブリは、その両者のバランスがすごくいいですよね。例えば『おもひでぽろぽろ』や『耳をすませば』は、実はえぐみも内包した物語ですが、同時にあの世界の中に入りたいという憧れも抱かせるものになっています。ハードな現実を描きながらも、世界への憧れを表現することは大切なことであると感じます。

ーー本作を撮り終えたことで、中川監督ご自身で達成感はありますか?

中川:本作の舞台になった銭湯は今月(*取材時は10月)閉店になってしまい、撮影した立石の呑んべえ横丁も取り壊しの話が出ている中で、明日なくなってしまうかもしれない景色をなんとか映像に残せたことへの達成感はあります。あと、これまでは親友の自殺というパーソナルなテーマで作ってきたので、ようやくそこから一歩踏み出して、社会に視点を広げた話を作れたことは嬉しいです。 (文=島田怜於)

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