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いま、最高の一本に出会える

『どん底』の出演者。左から高橋紀恵、立川三貴、廣田高志、瀧内公美

新鋭・五戸真理枝の演出で『どん底』がどう現代に息づくか

ぴあ

19/9/30(月) 17:00

新国立劇場は、シリーズ「ことぜん」で秋から始まる新シーズンの幕を開ける。“ことぜん”とは“個と全”であり、一人の人間と一つの集合体の関係をテーマとする3作品がラインナップ。ちなみに偶然だそうだが、いずれも女性演出家の作品だ。口火を切るのは文学座の若手(1980年生まれ)・五戸真理枝演出の『どん底』。ロシアで1902年に初演、日本でも1910年の初演以来、事あるごとに上演されているゴーリキー作“近代の古典”だ。新劇での上演が中心だが、近年ではシアターコクーンでのケラリーノ・サンドロヴィッチ版(2008年)が記憶に新しい。今回抜擢された演出の五戸は、タイトルどおり暗い悲劇のイメージがあるこのロシアの戯曲を、いかに現代ニッポンとリンクさせて観客に提示しようとしているのか。開幕が目前に迫った稽古場に演出家を訪ねた。

「ことぜん」というテーマを聞いて、五戸はすぐ『どん底』が頭に浮かんだのだという。

「このテーマは自分にとってすごく身近で常に直面している問題というか。例えば選挙であったり、世の中が動いていく方向と自分が考えていることの乖離みたいなものは日頃から感じることが多いので、いくつかやりたい戯曲は浮かんでいたんです。その中でも『どん底』がすぐテーマに結びつく感じがしました」

とはいえ五戸自身、手放しでこの戯曲のファンとは言い難く、「過去に上演された舞台の映像資料などを観ても、“100%面白い”とは言い切れなかった」と率直に言う。

「暗い場面が続くし、長ゼリフも多いし、ちょっと眠くなるような場面が多いなと思いながら(笑)私も観ていました。でもそれは上演のやり方次第なんじゃないかなと。ゴーリキーがつまんないものを書くはずがないみたいな(笑)、作家を信じたい気持ちが強かったんです。作家は絶対面白いと思って書いているはずなんですよ。だから何を書いているのか、自分でこの戯曲を洗い出してみたいという気持ちがすごくありました」

そうして、好奇心と作家への強い信頼を抱いて作品に挑んだ結果……さすが、文豪・ゴーリキーはその信頼を裏切らなかった。

「立ち稽古を始めてから発見することがすごく多かったんですけど、ひとつは、ゴーリキーがものすごく真実に忠実に書いているということ。セリフや人物像の装飾が少ないんです。セリフを美しく飾ったり面白いキャラクターを出して面白い芝居にするっていうのはある程度技があればできちゃうことなんですけど、それをせずに、まっすぐ真実を描いている。人を見る目や懐の深さがないとこの戯曲は書けないだろうなっていうか、ゴーリキーという人間の温かさがだんだん現れてきた感じがして、そこに私もすごくびっくりしています。作者が込めた何かしらの思い……それはセリフ以外のことから滲み出てくるもので、ほんとに些細なことで伝わるかどうかが変わっちゃうようなものなんですけど、なんとか届けたいなと今思っています。そのための微調整を細部まで続けたいですね」

『どん底』というタイトルから滲むペシミズムやシニカルさが、イコールこの作品へのイメージという人も多いのではないだろうか。正直その一人であった筆者には、五戸が発する「温かさ、懐の深さ」という言葉が意外に聞こえた。

「登場人物への視線はシニカルでは全然ないと思います。むしろストレートな愛情な感じがして。誰のことも否定せず、悪役のことも否定していないんです。私、悪役は悪役として書いてるんだろうなぐらいの印象で読み始めたんですけど、全然そうじゃなくて、悪役の人間性もちゃんと浮かび上がってくる。そこが驚異的だなという感じがしています」

なお、同劇場演劇部門の芸術監督・小川絵梨子とは同世代ながらあまり面識がなかったそうだが、五戸が文学座アトリエの会で演出した久保田万太郎『舵』(2016年)を観劇した小川がその現代アレンジを気に入り、今回の抜擢へと至ったのだとか。

「『舵』も畳敷きのリアルなセットで着物を着て上演されると思われがちな演目なんですけど、私の場合は、いかにそういうことを排除できるかをまず考えるというか。戯曲には忠実なんですけど、全く違う場所に置き換えてみたり、見た目をすごく変えようとする演出をすることが多いです」

今回も、原作では木賃宿に暮らす登場人物たちを、解散した劇団の元劇団員たちに置き換える。

「二重構造を使います。解散したので劇場や稽古場が借りられない人たちが、仕方なく工事現場のようなところを勝手に借りて“ここで『どん底』稽古しよう”みたいなノリでやっているという設定。衣裳もジャージだったりしますし」

脚本も、この舞台のために新たに訳されたもの(安達紀子訳)を用いる。

「哲学的な言葉が多い戯曲と思われていると思うんですが、描かれているのは普通の生活の断片。なので、もっと生活の中の言葉に落とし込めるんじゃないかなと思ったところはさらに変えていただくなど、安達さんとディスカッションを重ねました」

五戸が、「どん底」と現代の観客をリンクさせるカギと考えているのは「生々しさ」。

「本当に生で話しているような会話が稽古で作り出せたとしたら、それだけで面白いはずなんです。稽古では、生々しい会話にするために一言にこだわって、それを発した細かい思考回路まで話し合っているという感じ。“セリフのようなセリフ”を排除していく作業なんですけど。でもそうしたときに、またゴーリキーの凄さに気づきますね。セリフの順番とかが計算しつくされていて、抜けるようなところがないんですよ。その作劇術も舞台上でしっかり立てばいいなと思っています」

理路整然と穏やかに語る口調の端々から、戯曲と作家への愛情が滲み出てくる。“手放しのファン”となった演出家の体を通して生まれた新たな『どん底』の世界を、早く覗いてみたい。

「ゴーリキーはこの世の中をどう変えなきゃいけないとかいうことは一切言っていないんです。その代わり、苦しみを苦しみのまま描くことで、登場人物たちの存在を認めている感じがして。この温かさが今の日本に暮らす私たちにも必要なのかもしれないと思います。どこか絶望的というか、“自分なんか”と思っている人たちが多い中で、その人たちが“そのままでいい”っていうほんのちょっとの自信を持てば、それだけで楽になるんじゃないかなという感覚があります。個と全を正すために何かを声高に言うんじゃなくて、その対立が厳しい中で生きるために“ちょっと肩の荷を下ろそうよ。そうすればちょっと楽しくなるんじゃない?”みたいな。このタイトルからはそう思えないでしょうけど(笑)、実はそういう作品だと思うんです」

東京・新国立劇場 小劇場にて10月3日から20日まで上演。

取材・文:武田吏都

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