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『FOLLOWERS』『全裸監督』などにみる、日本のNetflixオリジナルシリーズの方向性

リアルサウンド

20/3/26(木) 8:00

 2月27日からNetflixで配信されているオリジナルシリーズ『FOLLOWERS』が賛否を呼んでいる。『ヘルタースケルター』や『人間失格 太宰治と3人の女たち』といった映画の監督として知られる写真家の蜷川実花が監督を務めた本作は、東京で生きる女たちを描いた連続ドラマ。

 蜷川の分身と言える写真家・奈良リミ(中谷美紀)を中心に、リミが撮った写真がきっかけで注目されたことをきっかけにSNSで注目される女優の百田なつめ(池田エライザ)、芸能事務所で女性アーティスト・sayo(中島美嘉)のマネージメントを担当する群青あかね(板谷由夏)、なつめの友達の画家・サニー(コムアイ)、元人気子役のYouTuber・野間ヒラク(上杉柊平)といった人々の姿が描かれる。

 物語はリミを中心とした大人たちのパートとナツメたちを中心とした若者たちのパートに分かれており、『ヘルタースケルター』で蜷川が描いた現代の東京とガールズカルチャーを連続ドラマで描いたという印象だ。

【動画】Netflixオリジナルシリーズ『FOLLOWERS』本予告

 赤を基調とした派手なビジュアルと東京の有名なスポットや有名人が次から次へと登場することをポップでおしゃれと受けとるか、下品でダサいと捉えるのか? 仕事と子育ての両立に悩むリミの葛藤を、古い女性観だと捉えるのか? といった辺りが評価の別れるポイントだろうか。

 印象としては『抱きしめたい!』(フジテレビ系)等のトレンディドラマや蜷川が映画化した『ヘルタースケルター』の作者・岡崎京子の漫画の2020年ver.といった感じで、オシャレなカタログ的な作りを狙ったのだとしたら、成功しているのではないかと思う。

 その意味で本作の浅さや薄っぺらさを批判する気にはなれないのだが、Netflixの日本制作の作品がこのような方向性になってしまうことについては、別の意味で悩ましいものがある。

 Netflixの国内ドラマは、話題の小説を映画監督が映像化した『火花』や『夫のちんぽが入らない』と、『アンダーウェア』や『宇宙を駆けるよだか』のようなかつては民放のプライムタイムでも放送できたが今は作るのが難しくなった作品、そして、明石家さんまが企画・プロデュースしたジミー大西を中心に80年代のお笑い業界を描いた『Jimmy~アホみたいなホンマの話~』や村西とおるのノンフィクションを元に80年代のアダルトビデオ業界の勃興期を描いた『全裸監督』といった実録モノの3パターンに別れるのだが、もっとも話題を集めたのが過激さを全面に打ち出した『全裸監督』だ。

 『全裸監督』のテイストはその後作られた、園子温監督のオリジナル映画『愛なき森で叫べ』や『FOLLOWERS』にも引き継がれている。この2作は各監督の代表作、園子温ならば『冷たい熱帯魚』、蜷川実花ならば『ヘルタースケルター』の世界観を拡大したような作品となっている。

 『愛なき森で叫べ』は2002年に起きた北九州監禁殺人事件を下敷きにしたドラマだが、『FOLLOWERS』を蜷川の自伝的作品だと考えるならば、どちらも『全裸監督』と同じ実録モノで、そこに現代日本のアイコンが詰め込まれている。

 『全裸監督』以降の作品を見ていると、Netflixを見ている国外の視聴者が求める日本的なものの内実がよくわかる。それは高度消費社会によって肥大した80~90年代の日本のポップカルチャーで、歌舞伎町と秋葉原と裏原宿で構成されたファンタジーとしての日本である。例えるなら、日本刀を持ったセーラー服の美少女がヤクザと戦う姿で、つまりクエンティン・タランティーノ監督が『キル・ビル Vol.1』で描いた日本だ。

 そう考えると『FOLLOWERS』でタランティーノがリスペクトされていた理由もよく分かる。つまり、海外から見たクール・ジャパン的なものを煮詰めると『FOLLOWERS』になるのだろう。これはアニメでいうと『AKIRA』、『攻殻機動隊』、『カウボーイビバップ』といった作品なのだが、参照される作品が90年代で止まっているのがなんとも歯がゆい。つまり、過去の日本を自己模倣するような企画しか求められていないのだ。

 ネットのDVDレンタルサービスから始まったこともあってか、Netflixの作品は、企画こそセンセーショナルだが、中身は大味で、豪華なVシネマという印象が強く、作品も玉石混交だ。しかし、現在もっとも勢いのある場所であることは間違いない。

 『全裸監督』や『FOLLOWERS』に批判が集まるのは、目をそむけることができない存在感があるからだ。それは時に作品のクオリティ以上に重要なもので、今のテレビドラマにはないものだ。

 そういった作品を生み出す場所が国内から失われつつある以上、たとえ過去の日本を擬態するような企画しか通らなくても今は作り続けるしかない。やがて若いクリエイターが撮る機会が増えていけば、かつてVシネマで黒沢清や三池崇史がユニークな作品を生み出したような新しい流れが生まれるかもしれない。次にドラマ化されるのはJホラーの『呪怨』だが、監督は『きみの鳥はうたえる』の三宅唱だから期待している。

 新しいものが生まれる土壌がNetflixにはある。だったら、その可能性に賭けてみたいというのが、正直な気持ちである。

(成馬零一)

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