Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

『鬼滅の刃』善逸は極めて「ジャンプ的」なヒーロー 二重人格の“黄色い少年”の強みとは?

リアルサウンド

20/4/26(日) 8:00

 ひと頃よく話題にのぼった「ツンデレ」というのもその一種だと思うが、「ギャップを持たせる」というのは、漫画などでキャラを立てる際のわかりやすい手法のひとつであり、その効果を最大限に活かして(強調して)作られているのが、いわゆる二重人格のキャラクターたちだろう。

参考:『鬼滅の刃』伊之助に通じる、伝統的トリックスターの系譜 最悪の局面を打破できるか?

■フィクションの世界で描かれ続けてきた二重人格

 たとえば、スティーヴンソンの『ジキルとハイド』から、90年代に流行した一連のサイコホラーの文学・映画・漫画にいたるまで、正常と異常の心が1つの身体に共存する個性的な悪役たちを、これまでフィクションの世界は数多く生み出してきた。要は、その正常時と異常時のギャップが激しければ激しいほど、悪の恐ろしさや悲しみが際だつわけだが、この2つの人格の差異が生み出す意外性を、悪役でなく正義の側で活かしたキャラクターのパターンも少なくない。

 漫画でいえば、『三つ目がとおる』、『3×3EYES』、『BASTARD!!』、『遊☆戯☆王』といった作品の主人公たちを思い浮べてもらいたい。彼らの多くは、普段は温厚な性格の持ち主だが、ある局面においては封印されている凶暴な別の人格を解き放ち、異能を発揮して目の前の壁を打ち破っていく。この種の主人公たちもまた、前述の悪役たちと同じで、普段の姿と別の人格を見せたときのギャップがそのまま個性につながっているわけだが、清廉潔白な「正義の味方」などよりも、私はこうした二面性を持ったダークヒーローたちのほうが、だんぜん人間味があって、キャラとして深いものがあると思う。

 さて、前置きが長くなったが、吾峠呼世晴の大ヒット作『鬼滅の刃』にも、2つの顔を持った魅力的なキャラクターが登場する。そう、主人公の竈門炭治郎と同期の鬼殺隊剣士、我妻善逸である。

 我妻善逸は、師匠の桑島慈悟郎のもとで「雷の呼吸」を学んだのだが、結局、6つある「型」のうちの「壱ノ型」しか会得することができなかった。そんな彼に桑島はいう。「信じるんだ。地獄のような鍛錬に耐えた日々を。お前は必ず報われる。極限まで叩き上げ、誰よりも強靭な刃になれ!!」と。善逸は師匠の言葉を信じて鍛錬を続け、「壱ノ型」の高度な技である、「霹靂一閃」の「六連」、「八連」、そして「神速」を身につける。

 などと書くと、『鬼滅の刃』を未読の方は、おそらくこの善逸のことを真面目な「努力の人」だと思うことだろう。無論、それは間違ってはいないのだが、平常時の彼は、どちらかといえば、臆病で情けない、いわゆるヘタレである。しかも生まれながらの女好きで、惚れた女に騙されて借金を背負い、窮地に立たされた過去もある(そのときに助けてくれたのが、師匠の桑島だった)。当然、鬼と戦うときはいつも泣き言ばかりいっているが、彼はなんと、恐怖が限界に達すると眠ってしまい、それと同時に勇敢な人格(と先に述べたような高度な剣技)を解き放つという、一風変わった能力(?)の持ち主でもある。

 そう、善逸の強さの秘密は、この睡眠(失神)による人格の入れ替わりにあり、眠っているときに見せる勇敢な姿は、臆病な彼が自分自身を守るため、無意識のうちに生み出した別人格だと考えていいだろう。だが、それだけではよくある設定というか、“強さ”の説明にはなっても、キャラは立つまい。善逸のキャラが立っているのは、平常時の――つまり、ヘタレな人格のときでも、ここぞという場面では逃げ出さずに、怯え、震えながらも、他者のためにがんばる姿を見せてくれるからだ。

 たとえば、単行本の3巻の終わりから4巻の頭にかけて、荒れ狂う伊之助(猪の皮を頭に被った同期の剣士)に痛めつけられながらも、炭治郎の「箱」を守り続けた善逸の姿を見て、胸を打たれない人はいないだろう。彼は、友人の炭治郎が、その箱のことを「命より大事なもの」といっていたというただそれだけで、身を挺してかばったのだ。その中に入っているのが、鬼だということも承知のうえで――。

 つまり、こうしたヘタレの人格のときに不意に見せる強さと優しさが、我妻善逸というキャラクターを立たせている(魅力的なものにしている)といっていいのだが、やがてある悲しい“事件”が起き、彼は様子を激変させることになる。

■極めて「ジャンプ的」なヒーロー
※以下、ネタバレ注意

 単行本の16巻――「岩柱」の悲鳴嶼行冥のところで修行にはげんでいた善逸のもとに、一通の手紙が届く。書かれていたのは師匠が自害したという衝撃的な内容であり、その理由は、善逸の兄弟子の獪岳が鬼になってしまったからだった。

 手紙を読んで以来、急に無口になった善逸を心配する炭治郎に向かって、彼はいう。「やるべきこと、やらなくちゃいけないことがはっきりしただけだ。(中略)これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ」。このとき、善逸は遠くを見据えて静かな闘志を燃やしているが、これはいつものヘタレな彼でも眠っているときに現れる勇敢な彼でもない、いわば第3の人格(あるいは本当の彼)だといっていいだろう。

 もちろん、ここで善逸がいっている「俺がやらなきゃ駄目」なこととは、師匠の敵討ちであり、同門である「雷の呼吸」の使い手が鬼になってしまったことの“後始末”である。やがて彼は、鬼殺隊と上弦の鬼たちの最終決戦の場、「無限城」の内部で、獪岳と再会する。そして鬼殺隊入隊後、初めて隊の指令とは別の、“漢(おとこ)として負けられない戦い”に挑むのだった。

 ここでふたりの死闘がどういう結末を迎えたのかを書くのはよそう。だが、この戦いの最後に、善逸は「雷の呼吸」の「漆(しち)ノ型」という新しい技を見せる。これは彼が独自に考えた7つ目の技であるが、簡単に完成したものではないだろう。天涯孤独だった自分を、何があっても見限らなかった「爺ちゃん」(桑島)のことを想い、血の滲むような努力の末、ひとりで作りあげた執念の技に違いない。

 獪岳との壮絶な戦いを終えて気を失った善逸の心の中に、桑島の幻が現れて、涙をこぼしながらこういう――「お前は儂(わし)の誇りじゃ」。

 もし、『少年ジャンプ』がいまだに「友情・努力・勝利」の三本柱をテーマに掲げて漫画作りをしているのならば、仲間や師匠のことを常に想い、人を助けるために、地獄のような鍛錬にも耐えることのできる善逸という少年は、極めて「ジャンプ的」なヒーローだといえるかもしれない。いずれにしても、鬼殺隊が強敵・鬼舞辻󠄀無惨を本当の意味で倒して完全な「勝利」をおさめるには、この、人の弱さも強さも知っている――いくつもの顔を持った“黄色い少年”の力が必要なのは間違いないだろう。

■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む