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古い価値観を感じさせるも映画の作られ方は“現代的” 『スカイスクレイパー』の作品構造を読み解く

リアルサウンド

18/9/30(日) 10:00

 「ロック様」ことドウェイン・ジョンソンが演じる、筋肉ムキムキの一家のパパが、家族を救うために超高層ビルで決死の戦いを繰り広げる映画、『スカイスクレイパー』。幅広い層の観客が楽しめる、分かりやすい「王道アクション」、「ブロックバスター」作品だ。80年代を中心によく見られた、良く言えば「豪快」、悪く言えば「大味」な懐かしさをも漂わせている。

参考:“夫婦アクション”の新たな快作! 夫婦関係をカッコよく描いた『スカイスクレイパー』の新しさ

 この、いうなれば古い価値観を感じさせる作品が、近年を代表する“現代的な”映画の作られ方をしていると言ったらどうだろうか。ここでは、数々の映画の描写を思い出させる『スカイスクレイパー』の作品構造を読み解きながら、現在の映画の状況をも考えていきたい。

 本作の主人公である、かつてFBI人質救出部隊のリーダーだったウィル(ドウェイン・ジョンソン)は、ある事件で人質救出に失敗し、自分の片脚まで吹き飛ばされ、義足をつけることになる。彼はFBIでの仕事を続ける気力を失って退職し、その後セキュリティー・システムに携わる職に就いていた。そして香港にある、高さ1000メートル、240階建ての世界最高層のビル「ザ・パール」のセキュリティーを、オープン前に調査することを依頼され、家族とともに、そのビルの一室に滞在することになる。

 あるとき、「ザ・パール」をテロリストたちが突如として占拠し、計画された火災を発生させる。たまたまウィルは外出していたが、彼の妻や2人の子どもたちは火災現場の数階上の部屋にいたため、階下に降りられないでいる。このままでは愛する家族が…! さらに何者かの陰謀によって指名手配犯に仕立て上げられていたウィルは、追っ手や警察の手を逃れながら、家族が閉じ込められたビルに潜入するため、鉄骨で作られたタワーをよじ登り始め、ついに決死の大ジャンプを敢行することになる。

 ここまでの設定を紹介するだけで分かるように、本作は高層ビル火災を描いたパニック映画『タワーリング・インフェルノ』(1974年)と、刑事が1人だけで高層ビルを占拠したテロリストたちと戦うアクション映画『ダイ・ハード』(1988年)を掛け合わせたような内容だ。この二つは「超有名作品」であるため、映画の根幹部分をそれらに頼ることは安易だという批判的意見が、とくにアメリカの批評家から多く出されているようだ。

 引用されているのは、それだけではない。最新のディスプレイに囲まれた展望台が登場するシーンは、『燃えよドラゴン』(1973年)に登場する、鏡に囲まれた謎の部屋を想起させ、外壁を移動する箇所では、高層ビル・アクション映画のクラシック『ロイドの要心無用』(1923年)を基にしたと思われる『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)で話題になった、ブルジュ・ハリファでのクライミングを思い出させる。細かいことを言っていけば、他にもこのようなシーンはある。興味深いのは、ここまで大規模な映画作品において、これら分かりやすい引用が後ろめたさもなく露骨に使用されているという点だ。

 本作は、ドウェイン・ジョンソン主演のアクション・コメディー『セントラル・インテリジェンス』(2016年)の他に、麻薬を運ぶ偽家族を描いた『なんちゃって家族』(2013年)という、 質の高い過激コメディーを手がけた、手腕あるローソン・マーシャル・サーバー監督が、演出・脚本を担当している。だから、本作がオリジナリティが全く欠如した、単なる焼き直しアクション映画でしかないとは考えにくい。

 注目すべきは本作が、基になったアクション映画と比べ、より荒唐無稽な内容だという点である。そもそも100階ほどの高さを、鉄骨をつかんでよじ登っていくというのは、いくらドウェイン・ジョンソンの演じるキャラクターが鍛えているとしても、あり得ないだろう。また、家族が危機に陥っているときに、「ダクトテープ」の便利さを賞賛している描写についても、アクションを中心とする映画としては、ふざけすぎている印象がある。だが、これらユーモアの効いたシーンは総じて、批評家の苦言に反し、観客の反応が良い。やはりローソン・マーシャル・サーバー監督は、アクションそのものというより、その前後で俳優に演じさせるコメディー演出こそが核にあるのだと思える。

 ということで本作は、直球のアクション映画というよりは、じつはアクションのあるコメディー映画だと考えた方が実際に近いのではないか。その意味でいうと、本作における数々の引用というのは、基本的にはコメディーの文脈として、一時代のアクション映画にありがちな描写を意図的に連続させていくパロディー演出であるように思える。

 そして同時に、複数の作品を混合することで新しいものを生み出す手法は、現在のトレンドであるともいえる。いまハリウッドで活躍している監督や脚本家の多くは、アルフレッド・ヒッチコック監督や、スタンリー・キューブリック監督のような天才的で独創的な思いつきからスタートするというよりは、既存の作品の構造を解体し、新たにその素材を組み合わせて、一つの作品を作る“アレンジャー”タイプではないかと感じる。そこで求められるのは、映画のマニアックな知識だったり、洗練されたセンスなどである。

 このような流れを加速させたのは、ケヴィン・スミス監督やリチャード・リンクレイター監督など、90年代のインディーズ出身監督である。とくに『パルプ・フィクション』(1994年)でカンヌ映画祭の最高賞を受賞し、マカロニ・ウェスタンなどジャンル映画のパロディーを作品内で繰り返し続けている、クエンティン・タランティーノ監督の出現は、「映画オタク」が自分のいびつな想い入れを作品のなかに色濃く投影することへの免罪符になったように感じられる。彼の引用が面白いのは、ただそれらの作品のようなものをそのまま作るのではなく、引用元とは全く異なる映画にしてしまうところだ。美術用語では、こういった試みを「レディ・メイド」と呼ぶ。

 本作『スカイスクレイパー』は、手堅いアクション映画としても成立するように作っているため、『パルプ・フィクション』ほどにはコンセプチュアルではないにせよ、『デッドプール』(2016年)の主人公がそうであるように、ドウェイン・ジョンソンがしばしば映画の世界の外に出て、自分の映画を観客とともに俯瞰して見ていると感じられるという、通常のアクション映画では見られない瞬間が何度もあった。ここで“監督の視点”がどこに存在しているかが、なんとなく分かってくるはずだ。このように、違った角度から本作を眺め、その作風を読み取っていくと、また評価が変わってくるのではないだろうか。

 また、今回ドウェイン・ジョンソンが演じているのが、義足を役立ててピンチを乗り越えるヒーローであること、そしてその境遇を過度に深刻に描かないという姿勢は、多様性の尊重の面から記憶されるべき点だろう。(小野寺系)

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