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『アクタージュ』夜凪と千世子の戦いは、脚本家と演出家の戦いへーー物語の意味を変える“解釈と演出”

リアルサウンド

20/7/13(月) 14:05

 『週刊少年ジャンプ』で連載されている『アクタージュ act-age』(集英社)はマツキタツヤ(原作)と宇佐崎しろ(作画)による演劇漫画だ。

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 主人公の夜凪景は、役に没入するメソッド演技の才能を持った天才女優。物語は映画監督の黒山墨字に芝居の才能を見いだされた夜凪が、様々な芝居を経験することで、役者として人間として成長していく姿を描いている。

 最新刊となる12巻では、夜凪のライバルで“天使”と呼ばれる若手人気女優・百城千世子のダブルキャスト対決が、クライマックスを向かえた。2人が演じるのは『西遊記』を脚色した戯曲『羅刹女』。原作者の山野上花子が演出を務め、夜凪が主演を演じる「サイド甲」VS黒山墨字が演出を務め、千世子が主演を務める「サイド乙」による興行対決は、初日公演の映像が全国のシネコンとネットの動画配信サイトで世界同時公開された。

※以下、ネタバレあり。

 ついに向かえた上演初日。怒りの権化と化した羅刹女と同一化するため、夜凪は封印していた「父親に捨てられた記憶」を自ら掘り起こし、その怒りの感情を火種として羅刹女になりきろうとする。そして公演直前に山野上が夜凪の母親が亡くなったときに父親といっしょにいたと告げたことで、その怒りは臨界点を超える。

 夜凪の芝居は鬼気迫るものとなり、作品を破綻寸前まで追い込むが、共演俳優の大賀美陸たちの演技に支えられ、なんとか終盤まで持ち込むことができた。しかし、最後の最後で夜凪は緊張の糸が切れてしまい、演技ができなくなってしまう。心無い演技をしようとした夜凪の腕を掴むことで彼女を止める大賀美。夜凪が泣き崩れたところで幕が閉じ、観客は混乱する。

 翌日、「サイド乙」が上演すれば、「サイド甲」の舞台終盤の展開がトラブルだったことがわかり、千世子たちの勝利が自動的に確定する。しかし、夜凪の芝居を見た千世子はその演技に圧倒され「私の芝居では勝てないのに」と、敗北感に打ちひしがれる。

 『アクタージュ』には夜凪を中心としたいくつかの物語が流れている。中でも中心に置かれているのが、夜凪と千世子の「演技の質」をめぐる戦いだ。メソッド演技で、役そのものになりきる夜凪に対し、“天使”と呼ばれる千世子は観客が求める理想の姿を計算して演じる。そんな千世子を見た夜凪は綺麗だが「顔が見えない」「人間じゃないみたい」と言うのだが、千世子は夜凪の演技を「不自然なくらい自然過ぎた」と評した後、「あなたの芝居はちゃんと人間だったよ」「私と違って」と言い、しかし「私達 俳優の使命は観客を虜にすること」「素顔を晒してありのまま演じることを人間と言うなら」「だったら私は人間じゃなくていい」と反論する。

 つまり、観客の求める「天使」であろうとする千世子と、役に没入する「人間」の夜凪の戦いなのだが、これは言い換えるなら「客観」の千世子と「主観」の夜凪の戦いだと言える。

 映画『アイランド』で共演したことで、夜凪は、常に無数のカメラを意識し、どう振る舞えば美しく映るかを熟知する千世子の「自分を俯瞰する」ことを理解し、逆に千世子は夜凪の感情を剥き出しにする泥臭い芝居を身につける。

 つまりお互いの良さを「盗んで」成長していく良きライバル関係なのだが、急成長していく夜凪を前にした千世子は、自分がまがい物であると思ってしまう。「造花は生花に勝てない」と落ち込む千世子。そんな彼女を連れて、黒山は「アイランド」を見るために映画館へ向かう。映画のクライマックス。千世子が顔をぐしゃぐしゃにして泣く場面を見せ「意図的にあの瞬間(クライマックス)を作り出せたら?」と問いかける。そして黒山は『羅刹女』の演出プランを変更する。

 そして舞台当日、黒山は美しい振る舞いの中におぞましい感情が見え隠れする「天使を天使のまま悪魔のように」みせる演出を千世子に施す。千世子の中にある夜凪への嫉妬の感情を見た黒山は、その感情を引き出した上でここまで作り上げてきた天使の芝居を活かそうとする。「天使のように美しく悪魔のように恐ろしく」2つの顔を計算して見せる千世子の芝居は周囲を圧倒し、彼女は女優として覚醒する。同時に大山は、物語の結末を羅刹女が泣き崩れる場面に改変する。つまりチーム甲で夜凪たちがみせたトラブルを再現し、それが“意図された演出だった”という既成事実を作り上げてしまうのだ。

 その結果、山野上が(自分を捨てた夜凪の父への思いを込めて)書いた「怒りの物語」は「救いの物語」に読み替えられてしまう。ここでは俳優同士の戦いだけでなく、脚本家と演出家の戦いまで描かれている。

 面白いのは、感情を剥き出しにして暴走する夜凪の『羅刹女』を見せた後で、千世子と黒山の計算された『羅刹女』を見せるというこの漫画の構成自体が、黒山の演出とどこか重なることだ。解釈と演出によって物語の意味がガラッと変わる。これこそが「演劇と漫画の面白さ」だと、本作は教えてくれる。

(文=成馬零一)

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