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『ジョーカー』と『テッド・バンディ』が共有するテーマとは 米史上最大の悪は私たちのすぐそばに

リアルサウンド

19/10/25(金) 18:00

 殺人など凶悪犯罪の報道を目にする度に、「なぜ犯人は、そんな非道なことができるのだろう」と思うことがある。ましてや快楽や私欲など身勝手な理由で何人もの人を殺す人間の心理など全く理解できないし、そんな人物はまるでモンスターのような存在だと考える人は多いはずだ。

参考:場面写真はこちらから

 しかし、アメリカでシリアルキラー(日常的に殺人を繰り返す人物)の代名詞となった男の実話を基にした映画『テッド・バンディ』は、殺人者に対して多くの観客が持っている、これまでの判断や価値観を覆されることになるかもしれない衝撃作だ。ここでは、そんな本作『テッド・バンディ』が放つ“真のおそろしさ”について、現在注目を浴びている映画『ジョーカー』と共通する点も挙げながら掘り下げていきたい。

 テッド・バンディは、名門ワシントン大学出身で、ユタ州に移ってからはロースクールで法律を学んでいた、IQ160といわれるエリートだった。知性にくわえ美しい容姿と、人を惹きつけるカリスマ性を持ち、彼はそんな自分の魅力を駆使して女性を誘惑し、立証されているだけで30人以上、おそらくはさらにおびただしい数の女性を暴行し殺害したといわれる。

 数々の殺人容疑でバンディが逮捕されると、彼は意見の相違から弁護士を解任し、自分自身で弁護を始めた。その姿は奇妙にも、雄弁で自信に満ちていた。TVなどでその様子が報道されると、一部の女性が彼に魅了され、いくつものファンレターを出し、“テッド・バンディ親衛隊”までが生まれたという。

 本作は、そんなバンディが殺害を繰り返していくような内容になるのかと思いきや、興味深いことに、その正反対のものが映し出されていく。それは、彼があるシングルマザーの女性と出会い恋愛をして、彼女の娘にも親の立場としての愛情を注ぐという、ロマンスや日常的な生活の描写だ。そんなバンディが、ある日警察に逮捕される。彼は「無実だ」と訴え、長い裁判を戦い続けることになるのである。

 このような物語の語り口が、観客を驚かせ動揺させる。テッド・バンディは、じつは無実の罪で捕まったのだろうか? 真犯人は、もしかしたら他に存在する可能性があるのだろうか? 観る者の脳に、本作は無実かもしれない、誠実なバンディのイメージを差し込んでくる。

 韓国の実際のシリアルキラーの犯罪を基に撮られた映画『殺人の追憶』(2003年)に、こんなシーンがある。警察署で刑事たちが雑談していると、一人の刑事が、署にやってきていた二人の男を指差して言う。「あの片方が強姦容疑で捕まった犯人らしい。そしてもう一人が、それを警察に突き出した市民だ。さて、顔を見てどっちがどっちか分かるか?」真実を見抜く自信があると豪語する、もう一人の刑事は、その二人の顔を見ることで、どちらが犯罪者を見分けようとするが、これが異様に難しいのである。

 多くの映画やドラマでは、往々にして犯罪者は犯罪者のように見える顔をしているし、そうでないとしても粗暴な様子を見せたり、感情の乏しい表情をしたり、不気味に見える演技をすることがある。そして、犯罪者を追い詰める側は、人気俳優が正義感に燃えた姿で、人情味たっぷりに演じる場合が少なくない。だが、そんな分かりやすい法則が、現実にそのまま適用されるわけではないはずだ。なぜなら、現実の犯罪者は、可能な限り犯罪者に見えないように工夫するはずだからだ。

 容姿端麗な人物が、恋人や子どもに愛を注いでいる姿を見て、誰が連続殺人犯だと思うだろうか。そして、このような先入観が、われわれの脳に作用し、戸惑わせることになる。本作の監督であるジョー・バリンジャーは、Netflixオリジナル作品『殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合』でも監督を務めていたが、この作品で見ることのできる実際のバンディの姿や振る舞い、話し方は、たしかに魅力的で堂々とし、何より表情豊かなので、彼の言うことをそのまま信じてしまいそうになるのである。

 バンディを演じるザック・エフロンは、『ハイスクールミュージカル』(2006年)や『ヘアスプレー』(2007年)などのミュージカル作品でブレイクし、当初は爽やかなアイドル的スター俳優として、女性を中心に人気を集めてきた。近年も『グレイテスト・ショーマン』(2017年)で重要な役を務め、人気の健在ぶりを見せつけている。そんな、殺人鬼とは真逆のイメージが、まさに本作のバンディ像に重なっているといえよう。

 さて、ヒーロー映画として異例ながら、ヴェネツィア国際映画祭最高賞を獲得し、日本を含め世界で大ヒットを成し遂げている、アメコミヒーローの悪役誕生を描く『ジョーカー』(2019年)も、ある意味でテーマを共有する作品だといえる。

 そこでは、やがてジョーカーとなる主人公アーサーは、厳しく酷薄な街ゴッサムシティで、母親の介護をしながらつつましい生活を続けていると描かれるように、もともとは善良な人間だったという、新しい解釈が行われている。そんな共感できる部分が多々ある人物が、次第に悪に染まっていく姿を見ることで、犯罪に走るまでの一つのパターンを観客に、心理的に経験させてしまうのである。バットマン映画に影響を受けた可能性のある過去の事件にくわえて、このような内容だからこそ、『ジョーカー』は、危険な作品だともいわれ、一時はアメリカで警察や軍までが警戒態勢をとる状況にまで発展してしまったのだ。

 アーサー同様、実際の凶悪犯罪者だといわれるバンディにも、他者への愛情や、死に対する恐怖が備わっているということを、本作は感情移入をさせながら描いていく。 ここから本能的に感じられるのは、「殺人を犯す者と、殺人を犯さない人間の内面には、本当は本質的な違いなど存在しないのではないか」という、おそろしい疑問である。犯罪者の容姿や性格には、じつは際立った共通する特徴など存在せず、われわれ一人ひとりも、自分のなかの秘められた暴力性が爆発し、「いつ何かのきっかけによって殺人者になるかも分からない」と考えた方が、事実に近いのかもしれないのだ。

 そのように考えると、シリアルキラーは生まれながらの悪魔というわけではなく、われわれの内面にも存在する可能性があり、殺人や凶悪犯罪を犯すことのなかった人間というのは、たまたまそれが目を覚まさなかっただけということになる。境遇の異なる“われわれ”が襲いかかってくるという内容のホラー映画『アス』(2019年)もまた、このような根源的恐怖を描いた社会派作品の面を持っている。

 アメリカの銃乱射事件や、日本でも無差別的な殺人事件が起こる背景には、経済格差の悪化や、新しく多様な価値観が認められていく社会情勢の変化のなか、保守的な従来の幸福の概念から外れ、存在意義を揺るがされている人々が増加している状況が指摘されている。

 女性に人気があるエリートだったバンディは、一見そのような分析からは外れている印象を受ける。だが、じつは彼は過去に、ある女性に拒絶された経験があり、後に彼女に復讐をしたという事実から分かるように、彼女や、ひいては女性そのものに対して強烈な憎悪やコンプレックスを抱いていたのではないかといわれている。そして、共和党員として政治活動をしていたことから、女性観に対しても古い考えを持っていたのではないかという見方がある。バンディが犯行を繰り返したといわれる当時は、ちょうど女性の社会進出が進み、女性が一人で行動をしたり旅をすることが増えてきた時代だった。そして皮肉にも、そのことが女性をターゲットにする犯罪者には都合が良かったのだ。

 近年、このようなテーマを描いた作品が連続しているというのは、社会の変化から生じる事件が、現実の至る場所から噴出し始めていることを意味するのではないだろうか。そして、本作『テッド・バンディ』の最大の恐怖とは、これまで無意識のうちに見ないようにしてきた、われわれ自身のなかに住む“彼”を見つけ、社会のなかに潜む無数の“彼”の存在に気づいてしまうことなのではないかと思われるのだ。その意味で、本作は、まさにいまの社会を映し出す作品だといえよう。 <文=小野寺系(k.onodera)>

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