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さいたまゴールド・シアターとわたし 第8回 蜷川幸雄の演劇界への挑戦状だったのかもしれない

ナタリー

第2回公演「95kgと97kgのあいだ」稽古の様子。(撮影:宮川舞子)

故・蜷川幸雄によって2006年に創設されたさいたまゴールド・シアター(以下ゴールド・シアター)が、この12月に最終公演を迎える。高齢者のプロ劇団として、数々のレジェンドを生み出してきたゴールド・シアター。本連載では、その足跡をゴールド・シアターゆかりのアーティストたちの言葉によってたどる。最終回には、彩の国さいたま芸術劇場の渡辺弘プロデューサーが登場。ゴールド・シアターの立ち上げから常に彼らの伴走を続けてきた渡辺が語る、さいたまゴールド・シアターの軌跡とは。

世界から呼ばれるまでに「成長」する高齢者劇団に

「輝ける第二の人生を!」という蜷川幸雄さんの想いがこめられ2006年にスタート。「世界のニナガワ」と呼ばれるなど華やかに活躍する演出家が最後にたどり着いた「劇団」だ。私もこの劇団の発足とほぼ同時に彩の国さいたま芸術劇場に呼ばれた。「これが成功したら、これまでの(プロとやってきた)演劇人生を自分で否定することになるな」と蜷川さんはよく語っていたが、それから15年、否定と肯定の間で最後の演出家人生を送ったことになる。華やかなキャストのシェイクスピア作品と無名の高齢者劇団を手がけるのが蜷川さんならではのバランス感覚だったのだろう。

セリフが覚えられない、覚えているようだが本番で出てこないのは常、稽古の帰りに自転車で転んで骨折し降板等々、プロでは考えられないことの連続だったが、蜷川さんは辛抱強く付き合った。その結果ということではないが、ある公演の稽古開始まもなく軽い脳梗塞を起こし、1週間ほど病院から稽古場に通ったり、香港公演の初日早朝に緊急入院し医療用の飛行機で帰国するなど、この同世代の劇団と関わるときは何かしら起きた。それだけ蜷川幸雄は全力で向き合ってきた。だからこそ世界から呼ばれるまでに「成長」する高齢者劇団となったのだ。また岩松了さんはじめ日本の第一線の劇作家、演出家の協力にも感謝しなくてはならない。高齢者向けに戯曲を書くことへよくぞ挑戦してくれたと思うが、これも蜷川幸雄の演劇界への挑戦状だったのかもしれない。

その成長も終わるときを迎えた。蜷川さんが亡くなって5年、コロナ禍となり活動もままならなくなった。最後に「水の駅」で蜷川さんが愛した彩の国さいたま芸術劇場 大ホールの舞台を彼らは歩き、そして花道から去っていく。

さいたまゴールド・シアター

2006年に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督だった蜷川幸雄により立ち上げられた高齢者劇団。創設時の平均年齢は66.7歳。その後、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチら多彩なアーティストとのコラボレーションを行うほか、海外にも活躍の場を広げる。2016年に蜷川が死去したあとも精力的に活動を行うが、12月に「水の駅」で活動を終える。

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