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『なつぞら』内村光良は“語りかけ”のスタイル 今期ドラマにみる「参加するナレーション」の進化

リアルサウンド

19/6/15(土) 6:00

 近年、ドラマのナレーション(語り)に注目が集まることが増えたように思う。新しい作品が発表されると、主演は誰か、脚本は誰かといったことはもちろん、誰がナレーションかもまた話題になるようになってきた。

 特に今期のドラマでは、ナレーションでの創意工夫が目立つ印象だ。ここではそのなかからいくつかの作品をピックアップし、それぞれのナレーションの魅力、そしてそこに見えるナレーションの果たす役割の変化について書いてみたい。

 元々ドラマのナレーションは、映像を補足するためのものという側面が強かった。たとえば、ドラマのなかの複雑な人間関係や難しい言葉の説明などである。最近で言うと、企業を舞台にした経済ドラマが典型的だ。

 このジャンルを得意にしているのがTBSの日曜劇場、いわゆる「日9」である。いずれも池井戸潤原作で、平成のドラマ最高視聴率を記録した『半沢直樹』やシリーズ化もされた『下町ロケット』など、すぐにそうした作品の例が思い浮かぶ。

 この二作のナレーションを務めたのは、『半沢直樹』が山根基世で『下町ロケット』が松平定知。ともに元NHKのアナウンサーで、いわばナレーションを専門にしてきたプロだ。当然ながら、その語りには長年培ってきた高い技術に裏付けられた抜群の安定感がある。ただ立ち位置としてはあくまで物語に寄り添い、そこから外れることはない。

 今期の『集団左遷!!』もまた、経済ドラマだ。福山雅治演じる銀行員が、行内の権力争いなどに巻き込まれ、追い詰められながらも部下の行員とともに奮闘する「日9」ではおなじみの企業ものである。

 そして今回、ナレーションには貫地谷しほりが起用された。やはり目を引くのは、アナウンサーではなく俳優が務める点だろう。確かに貫地谷は、ドキュメンタリー『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)などですでにナレーションの実績がある。しかし、こちらはドラマだ。

 つまり、俳優があくまでナレーターとしてドラマに関わる。そこがポイントだろう。貫地谷しほり本人も、「熱のこもった出演者に負けないよう、こちらも“当てていく”というような感じ」を意識してナレーションに臨んだことを語っている(番組公式サイトより)。この「当てていく」という表現からは、貫地谷もまた「演じて」いたことがうかがえる。ただ寄り添うのではなく、自分もドラマに参加するスタンスと言ったらよいだろうか。

 この「補足から参加へ」というナレーションの立ち位置の変化は、今期の他作品でも目につく。

 たとえば、NHK朝の連続小説『なつぞら』はそのひとつだ。

 朝ドラのナレーションは、家事や出勤、通学の準備で忙しい時間に、画面を見ていなくても視聴者が話についていけなくならないようにする役割があるとされてきた。そういうこともあって、これまでナレーションにはNHKのアナウンサーや語りに定評のある俳優が起用されることも多かった。

 ただ今回で100作目となる朝ドラでは、ほかのパターンもいくつかある。

 たとえば、女性の一代記ものらしく、主人公やその近親の人物がナレーションをするケースも少なくない。最近で言えば、『カーネーション』や『あまちゃん』などがそうだった。

 そのバリエーションとして、語り手が「すでにこの世にいない人物」の場合もある。これも最近の例だと、『べっぴんさん』の母親役・菅野美穂や『半分、青い。』の祖母役・風吹ジュンがそれにあたる。もっと凝ったものだと、『ごちそうさん』の吉行和子演じる祖母が亡くなった後に家のぬか床として主人公を見守るというかたちもあった。

 『なつぞら』のナレーションを務める内村光良もそれと同じパターンである。内村は、広瀬すず演じる主人公・奥原なつの実の父親で、すでに亡くなっている。

 お笑い芸人としては、かつて『ひまわり』で萩本欽一がナレーションを担当したことがあった。主人公の家で飼われているペットの犬・リキの声という設定である。このときほど奇抜な設定ではないが、『なつぞら』のナレーションにも従来の朝ドラに比べて特徴的な点がある。

 それは、語りかけのスタイルになっている点である。毎回最後の締めくくりに内村は、「なつよ」と語りかける。父親として優しく見守るような言葉のときもあれば、芸人らしくツッコミのときもある。6月6日の放送では、口元にケチャップをつけたまましゃべるなつに対し、「なつよ、まず口を拭け」が締めの言葉だった。

 このように、『なつぞら』ではナレーションのドラマへの参加の度合いがより深まっている。内村自身は劇中に登場していない。だがそのことが逆に、声の存在感を高めている。

 しかも当初、内村の声となつの関係性は明かされていなかった。ところが第9話のナレーションで初めてなつの父親であることがわかり、「なつよ」という語りかけの意味も明らかになった。その瞬間、ナレーションと物語、そして視聴者の距離が一気に縮まる仕掛けである。

 以上の2作に対し、ナレーションがただ参加するだけでなく、ある意味主役のようなポジションにもなっているのがNHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』である。

 大河ドラマは1年の長丁場。加えて歴史ドラマというベースもあって、解説役を兼ねるナレーションは、朝ドラと同様NHKのアナウンサーや大物俳優が重厚なトーンで務めるのが定番だ。そのなかで、『武田信玄』のナレーションの若尾文子が毎回を締めくくりに発したフレーズ「今宵はここまでに致しとうござりまする」が流行語になるようなケースもあった。

 その意味で言えば、『いだてん』のナレーションは軽い。サブタイトルが示すように、全体が落語の「噺」として意図的に構成されているからだ。そうした話芸としての軽さが、いくつかの線が絡み合って複雑な物語が構築されているこのドラマを淀みなく進めていくうえでは必要だということなのだろう。

 その語りを務めるのが、ビートたけし演じる落語家・古今亭志ん生だ。そして志ん生は、このドラマの中心人物のひとりでもある。つまり、登場人物である志ん生が、ナレーションも務めるかたちである。志ん生は劇中の人物としてセリフを言う一方で、場面によってはそのセリフがそのままナレーションの役割も果たす。言い方を換えれば、志ん生は物語の外側にも内側にもいる。

 さらに、志ん生はひとりではない。戦後の寄席で志ん生を演じるビートたけしが語っている。ところが物語が戦前に切り替わると、いつのまにか語り手も若き日の志ん生を演じる森山未來に交代している。その意味では、語り手は1人でありながら2人でもあり、同時に過去と現在を縦横に行き来する。また、志ん生が自分のことを語るときは1人称の「私」の物語であり、直接の知り合いではない金栗四三のことや黎明期の女性スポーツ選手のことを語るときは、3人称の「彼」や「彼女」の物語である。

 このように『いだてん』では、まるで金栗四三が創設した駅伝のように、時間や人称の壁を自在に超え、最近は神木隆之介演じる弟子の五りんもその列に加わりナレーションのタスキが次々と受け渡されていく。『いだてん』というドラマの魅力は多々あるが、そのひとつにこうした変幻自在のナレーションが織り成す魅力があるのは間違いない。機会があれば、ぜひそのあたりにも注目して見てもらえればと思う。(文=太田省一)

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