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塚原あゆ子が明かす、毎回違う味で作る『MIU404』 テレビドラマの最前線で考えること

リアルサウンド

20/7/24(金) 6:00

 新型コロナウイルスの影響で、次々と撮影が中断した4月ドラマ。7月に入って順次、放送がスタートしたものの、作品を企画した当初とはあまりにも社会が変わってしまった。誰も経験したことのない大きな変化に、エンターテインメントは何ができるのか。

 今回、金曜ドラマ『MIU404』(TBS系)で演出を担当している塚原あゆ子に会うことができたのは、7月半ばのこと。『MIU404』の第3話が放送された直後だった。「何とか息をしてる感じ」という彼女が、テレビドラマの最前線で感じている胸の内を明かしてくれた。

【写真】クロスオーバーする『アンナチュラル』と『MIU404』

■わからない日々の中で「張り合い」に

――『MIU404』とても楽しませていただいています。

塚原あゆ子(以下、塚原):ありがとうございます。ドラマを撮り始めたころは、まさかこんな風になるなんて予想していなかったので、何とか息してる感じです。『MIU404』は2話まで撮っていたんですけど、3話を作るときとは世相が全く変わってしまって。どう受け入れられるのか、不安感っていうのかな、わからない感でいっぱいでした。そんな中、リアルサウンドさんの第1話の記事(参考:https://realsound.jp/movie/2020/06/post-575709.html)に「張り合い」って言葉が書かれていて、ちょっと救われたんですよ。「金曜日まで頑張れる」とか、人としゃべるときのネタとか、そういう「張り合い」になれればいいんだって。新しいものを作っていかなくちゃいけない人間にとって、ブレない指針のようなものってやっぱり必要で。綾野(剛)さん、星野(源)さんとも「そうかそうか」と。受け入れられるかどうかじゃなくて「張り合いになるように元気にやっていく感じがいいね」って、3話を作り出した感じです。

――光栄です。実際に新しいドラマが生み出されない時期を経験してから、ようやく待ち望んでいた『MIU404』がスタートしたとき、すごく贅沢な気持ちになったんです。リアルタイムで作られる物語を楽しみにしながら日々を過ごすのっていいなって。

塚原:同じ瞬間にワーッてライブ感覚で盛り上がって発散できるのは、消費されていくエンタメ=テレビドラマのいいところだと思うんです。

――撮影がストップした間、キャストのみなさんとはどんなお話をされたんですか?

塚原:私たちでさえこんなに閉塞感があるのだから、いわゆる「青春」と呼ばれる短い季節を迎えている人たちのモヤモヤや悔しさはいくばかりかと。じゃあ、自分たちに何ができるのか。エンタメがなくていいとなったら、何が楽しいことなのか。で、考えちゃうぐらいだったら作ればいいねって。私たちは作れるわけだから。できないことじゃなくて、できることを探していこうとしています。一瞬でも、この閉塞感を忘れるようなコンテンツになればいいね、と。

■毎回違う味の話が作れるのは『MIU404』ならでは

――第3話では菅田将暉さんや岡崎体育さんのサプライズもありましたね。

塚原:やっぱり、びっくりするとか、沸くとか、そういうちょっとお祭り騒ぎみたいなことをやっていこうって話になったんです。まだ、たくさんの人数で集まれないじゃないですか。そんな今だからこそワイワイできたら、なおのこといいなと思って。

――そうですね、リアルタイムでTwitterとかで繋がって「菅田将暉!」「やられたー」って盛り上がっているのを見て、テレビドラマのパワーを改めて感じました。ゲストの存在を先に告知せず、サプライズにしたのもそういう狙いだったんでしょうか?

塚原:新井順子プロデューサーが「隠そう」と(笑)。このドラマは、原作のないオリジナルなので、そのなかで一番楽しめることをやっていこうとなって。野木(亜紀子)さんの脚本って、犯人探しの本ではないんですよ。『アンナチュラル』(TBS系)の時は、なぜその方が亡くなられたのか。『MIU404』では、なぜその方が犯行に走ったのか。サスペンスなんですけど、人間ドラマが中心になって転がっていくから。例えば『リバース』(TBS系)のときみたいに「犯人はこの人だったのか!」みたいなサプライズはできないんですが、その代わりにみんなが初めて知る驚きとか、話題にしやすいことを提供しようと考えました。

――「やられた」といえば、第1話のアクションシーンも驚きました。テレビドラマであんなに派手なカーチェイスは久しぶりに見ました。

塚原:うれしい。でもね、1話好きな人は、2話好きじゃないと思うのよね。

――たしかに、ガラッと話の雰囲気が毎回変わりますね。

塚原:機捜って、もともと統一感のない仕事なんです。ガサ入れすることもあれば、張り込みもするし、職務質問もする。毎回その日その日で担当する業務が変わるので、刑事と普通の人の中間にいるような顔をしてるんですよね。なので、毎回違う味の話が作れるのは『MIU404』ならでは。アクションをやると決めたら、思い切りアクションやってみる。ロードムービーやると決めたら、その一番おいしいところを出す。第3話みたいに、走るって決めたらとことん青春するみたいなことを毎回やっています。

――彼らも事件を選べないってことですもんね。

塚原:そうなんですよ。それが見づらいと言われると申し訳ないんですけど。毎回「次はどんなお仕事でしょう?」とワクワクしてもらいつつ、菅田さんが出てきた成川の行末、九重の成長、志摩の過去……っていうような、野木さんならではの縦に大きく流れている物語の2本柱を見やすく提供できればと思っています。

■ドラマの一番いいフォーマットを探すこと

――脚本家さんによって、仕事の進め方は大きく違いますか?

塚原:もちろん。それぞれの持ち味がありますし、その持ち味に惚れて突っ込んでいくので。その魅力が違うんですよね。野木さんには2枚底3枚底で展開していく構成力、粋な台詞のやりとりみたいなことが一番よく見える「こういうシーンが撮りたい」と思うんだけど、例えば奥寺佐渡子さん(『Nのために』『リバース』など)は、その台詞が出ることに対する情緒というか、そういうのが前に出るイメージですね。

――例えば、第3話でピタゴラ装置の玉を「その下で寝ていた伊吹がキャッチ」としか書いてないのに、あのアングルは「ハッ」としました。現場では、キャストの方とそうした演出を考えることも多いんですか?

塚原:あれは綾野さんと現場で考えたんだったかな。こちらからは「こうしたらどうかと思ってるけど、動きづらかったら別にどうやってもいい」って言いますね。2話の「富士山前の前で頭を下げる」ってなったら、富士山が出るまで待ちますけど(笑)。あと、3話でご飯食べるときにカウンターで横並びのギチギチ感が可愛らしいだろうと思ったので「そういうふうに食べたらどうか」とか。それぐらいですかね。やっぱり俳優さんは俳優さんで自分のいい見せ方を知っていますから。

――そうなんですね。現場では監督の言うことが絶対、みたいなイメージがありました。

塚原:それは巨匠と呼ばれる方だけよ! 私だからの持ち味みたいなものは特にないですね。でも、なるべくカット割が一緒にならないようにはしたいってこだわりはあります。カメラマンから「全部一緒だよ」って言われるかもしれないけれど、それでも自分としては抗いたい。だから、『中学聖日記』(TBS系)のときは、それ用の機材を揃えて撮りました。あんまりやったことないけど胸キュンの少女漫画原作のドラマとか映画だったら、多分そっち系に頑張ってやってみると思います。

――ぜひ塚原さんが演出する胸キュンシーン、観てみたいですね!

塚原:『中学聖日記』も漫画原作ではありましたけど、キャッキャウフフって感じじゃなかったので。「どうした塚原、何があった?」って言われるぐらいのカット割に変わってれば、本望ですよね。監督としては!

■ドラマの答えは、いつだって“っぽいこと”を面白く

――この『アンナチュラル』チームならではのやりやすさとか逆にプレッシャーとかそういうのはあったりしたんですか?

塚原:まあ、違う番組なのでね。でも『アンナチュラル』と地続きだって、初めからなんとなく頭にあったんですよね。

――その世界線で繋がってる感じでいくというのは、どなたのアイデアだったんですか?

塚原:たぶん野木さんかな。「同じ警察だから毛利さん(大倉孝二)たち出てもいいよね」とか、「変死体が出ちゃったらUDIに頼むしかない」みたいなこと考えるとちょっとテンション上がるじゃない。そういう日々のちょっとしたウキウキって今の時代すごく大事だから。ウキウキできる座布団をたくさん置いて進んでいきたいとは思うので。でも『アンナチュラル』好きの人に寄せすぎてしまうと、『アンナチュラル』やればいいじゃんってなるから難しいですよね(笑)。でも、綾野さん、星野さんの番組としての展開を大事にしていきたいかな。やっぱり2人と向き合ってるので。

――第3話が高校生たちにフォーカスしていたのもあって、改めて感じたのですが、どこか4機捜のメンバーにも部活感というか青春っぽさがあって、いつも観た後に元気になるんですよね。

塚原:プロの人たちって、楽しく仕事をしているように描くといいんじゃないかなっていう気がしているんです。苦しく働いてる人より、自分の使命を持って生き生きとやってる人が見たいと思うので。そして、実際に機捜の方々に取材でお会いしたときにも、そう感じたんですよね。でも、警察の話って秘匿性が高くて、実際のところを聞いてもほぼ教えてもらえないんですよ。それは治安を守ることに直結しているので正しいと思うんですけど。だからテレビドラマとしては、“っぽいこと”をやるしかないんです。例えば『踊る大捜査線』(フジテレビ系)で描かれていたキャリア組と所轄の対立って当然あると思っていたんですけど、実際聞いてみるとすごく仲良しで。確かに、未来の上司になるキャリア組に辛く当たらないよなって妙に納得して。でも当時は、アレが楽しかったので良かったんです。“っぽい”ことをかっこよく面白く描く。結局、ドラマはそれを答えにしていくしかないんですよ。

――実は、私の兄も『踊る大捜査線』を観て、警察官になりまして。

塚原:そうやって、たくさんの方が警察組織に入られて、今の日本の治安を維持してくださっていると思うと『踊る大捜査線』はすごいなって思っちゃいますよね。本当に。

――野木さんの脚本は、この状況を踏まえて書き直されたりしているんですか?

塚原:5話までは、もうコロナ禍になる前に出来上がってたのかな。だいぶ前に書いてるんだけど、やっぱり今の世の中に照らし合わせて見ちゃいますよね。この前も星野さんと話したんですが、自粛前にはそんなふうに感じなかったものが、自粛明けに見ると「どうにも苦しいね」ってなる。特に3話の全国大会にいけなくなっちゃった子たちの青春みたいなものが、私の中で大きく現実と重なっちゃって。走りたいだけなのに、走る場所がないとか。みんなで何かしたいっていう思い出づくりができないって、なんて罪なことなんだろうって。もちろん犯罪はダメなんですけれど、ダメなことはダメと伝えながら、もう1回正しく走らせるチャンスを与えよう、という形になったのは、やっぱり自粛中に星野さんと綾野さんと話し合ってたからですね。

――そうですね。積み重ねてきたものを披露する場が理不尽に奪われてしまうっていうのは、腐るのに充分な理由になると思って観ていました。でも、そのときに「障害物の数が人によって違う」というフレーズが心に響いて。

塚原:野木さんの本って、やっぱり世の中を反映しうる深みのある内容だなと改めて思いましたね。きっと個人的で普遍的なところに突っ込んでいくからだと思うんですよね。

――それを映像にしていくというのは、大変な作業ではありませんか?

塚原:本当にそう。“野木さん、またスゴイことを書いて。ヒー! これどうやって撮るの?”みたいなことは毎回です。「書くのは簡単だけど、やるのは大変だ」って言うと、「書くのだって大変だよ!」って怒られそうですけどね。そこに、新井プロデューサーの前髪が目にかかるか、かからないまで見る、細かいこだわりも入ってくるから、もうそれは大変です(笑)。

――そんなふうに言い合って作っていけるのも、またこのチームの強さでもありますね。

塚原:このチームの、いい意味で、ちょっと空回りするぐらいの熱量みたいなものが、しょんぼりしたときに役に立ったらいいなと思います。

(取材・文=佐藤結衣)

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