縄文のムラ 復元模型
1万年以上にわたって続いてきた縄文時代。その時代に暮らした人々のさまざまな営みは、各地で発見される膨大な出土品と綿密な研究によって解明が進んでいる。江戸東京博物館で12月5日(日)まで開催されている特別展『縄文2021─東京に生きた縄文人─』は、そのなかでも東京都内で暮らしていた縄文人に焦点を当て、最新の調査成果から検証していくものだ。
展覧会はプロローグ、エピローグを含めて全6章で構成される。入口で鑑賞者を出迎えるのは、《土偶(多摩ニュータウンのビーナス)》。今から約5380~5320年前、縄文中期に作られたと思われる土偶で、目の下にある2本の白い線は彩色の跡と考えられている。
縄文時代はいまよりも非常に温暖で、そのため、現在よりも海岸線がはるか内陸にあった(縄文海進)。また、温暖になったことで植生も変化し、人間が利用できる植物も変化していった。第1章の「東京の縄文遺跡発掘史」では、アメリカの動物学者エドワード・モースが来日してからわずか2日で電車の窓越しに見つけたという「大森貝塚」を起点とし、東京で発見された縄文遺跡の発掘をたどっていく。
荒川区西日暮里の「日暮里延命院貝塚」は、大森貝塚についで2番目に発見された貝塚だ。縄文時代後期、日暮里の台地の東側には干潟があり、当時の人々はこの干潟と海、そして西側に広がる森から食物を採取していたと考えられている。
続く第2章「縄文時代の東京を考える」は、東京で暮らしていた縄文人にどのような時期的、地域的特性があったのか、遺跡からの発掘物を元に考えていく。
都内各地の遺跡からは、縄文の人々は集落で暮らし、死者を弔い、祭祀を行い、道具を作り、他の集落と交易などを行っていたと考えられている。東京に残された遺跡から、今後もさらに多大な発見がもたらされるだろう。
第3章は「縄文人の暮らし」。これまでの調査から、縄文人たちがどのように暮らしてきたのかを検証するセクションだ。
江戸東京博物館が得意とするジオラマ展示の技術を生かした「縄文のムラ」の1/20復元模型は展覧会のクライマックス。縄文時代中期の環状集落(多摩ニュータウンNo107遺跡)をモデルとし、集落の景観を再現している。
また、東京で出土したさまざまな土偶や、櫛、耳飾り、腕輪といった装身具なども展示。土偶はその形や姿にさまざまな願いを込めて制作されたとされている。東京で生きた縄文人たちが何を願い、どのような装いで生活していたのか、思いを馳せてみたい。
そして、展示は第4章「考古学の未来」、エピローグへと進む。縄文時代の人々の記録を、未来へ確実に伝えていくため、今後は出土品などをより身近な存在として感じてもらえるよう取り組みが必要だ。品川区居木橋席で発見された貝塚は標本となり、多くの人々に貝塚がどのようなものかを知らせるものとなっている。考古学のあり方はこれからもどんどん進化し、東京における縄文時代の情報もさらに集積されていくことだろう。
本展では10月19日(火)~11月14日(日)には長野県茅野市から国宝《縄文のビーナス》が、11月16日(火)~12月5日(日)には同じく茅野市から国宝《仮面の女神》が特別ゲストとしてやってくる。遥か縄文時代と現代に生きる私たちの生活とのつながりを感じることができる貴重な展覧会、ぜひ足を運んでみよう。
構成・文:浦島茂世
【開催情報】
『縄文2021―東京に生きた縄文人―』
10月9日(土)〜12月5日(日)、江戸東京博物館にて開催
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/