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青山テルマ、“ギャルの時代”に見出したパワーと希望 話題のMV背景を分析

リアルサウンド

18/7/2(月) 16:00

 青山テルマのニューアルバム『HIGHSCHOOL GAL』に収録される「世界の中心~We are the world~」のMVが話題だ。

(関連:青山テルマ「世界の中心~We are the world~」MV

 まず、ユーロビートが印象的なこの曲のテーマである、コミカルさや“ダサ格好いい”という文脈を通すと、DA PUMPの「U.S.A.」と比較されることも少なくないだろう。話題となった「U.S.A.」の“いいねダンス”は、TRAPビートのBPM70前後で拍の“裏と表”で踊ることが意図された“Shoot”ダンスを、その倍速であるBPM140の“表”で踊るという、非常に日本的な変更がなされている。同じように「世界の中心~We are the world~」も、「U.S.A.」のようなユーロビート/ハイエナジーを基に、日本独自の進化を果たした“パラパラ”サウンドを復活させている。その意味でも、日本のポップスの吸収力と独自発展性、そしていくばくかの“排他性”という点でも、共通する部分を感じさせる。

 しかし、両者が決定的に違うのはMVだ。「U.S.A.」は“現在”もしくは“時代性を意図しない”内容になっているが、「世界の中心~We are the world~」は、“現在と過去”をテーマにした、“時代性を意図した”作品になっている。その意味でも、「世界の中心~We are the world~」のMVで描かれている世界観とテーマで印象に残るのは、90年代後半から2000年前半までの事柄や風俗だろう。

 『進め!電波少年』(92年~98年に日本テレビ系にて放送始)や「Dance Dance Revolution」(98年に登場したアーケードゲーム)、現在のような目を大きくしたり美肌にしたりする機能など夢のまた夢、文字を入れるのが精一杯だった時代の初期型プリクラ(95年に登場)、そしてこのMVのラストに登場する、モーニング娘。「恋愛レボリューション21」のダンスにみる“揺れる動き”、歌詞の中に登場する〈夜中の着信/光るアンテナ〉が表す、スマホからは無くなった携帯アンテナという存在(「アンテナを髪の毛で擦ると電波の受信が良くなる」という完全なオカルトも流布していたな……そういえば)などなど、構造としては、2000年を軸とした前後5年ほどを、オマージュしたり、戯画化したりしている。

 また芸が細かいのが、過去の意匠をテーマにした部分は、4:3の構図(アナログ放送時代の構図)で作られ、現代の渋谷などを撮った部分は16:9の構図(地デジ以降の構図)になっている部分だ。4:3で撮られた過去の映像がテレビで再放送される際には、両サイドに余白が表れる。この余白がMVにも挿入されており、視覚的に“過去”を表現しているのだ。そもそも、この曲は 青山テルマ自身が語っている通り(参考:青山テルマがギャル50人と渋谷でパラパラ踊るMV公開、舞台裏は「有吉ジャポン」で)、「パラパラを<リバイバル>する形」で作られており(強調カッコは筆者による)、ダンス自体も00年付近のパラパラを軸にしている。

 その当時(2000年±5年)といえば、バブル崩壊後の不景気に怯えたり、ブームとなっていたチーマーに怯えたり、「Air Max狩り」と呼ばれる山賊レベルの行動の社会現象化とその狩人たちに怯えたり、1999年の“ノストラダムスの大予言”に怯えたり、2000年問題に怯えたり、就職大氷河期に怯えたりしていた訳だ。音楽産業も毎週ミリオンシングルが登場していた時代が終わり、社会全体が“失われた20年”に突入。不景気や社会不安が恒常化していった。青山テルマはなぜ、その時代を今回のMVで描きなおしたのだろう。

 その理由の一つとして挙げられるのは、“郷愁と希望”なのではないだろうか。青山テルマの年齢から考えると、このMVで描かれている時期は、彼女が10歳から先の時期と重なり、いわば思春期の真っ只中に彼女がぶち当たった事柄が基本になっている。また彼女は奈良出身であり、12歳のときに日本からアメリカに数年間移り住んだということも含めて、日本の当時の(渋谷的)風俗が、体験したり身近にあったりしたものではなく、“メディア的”に摂取していたであろうことも想像に難くない。それゆえに、当時話題になっていたパラパラやガングロ、渋谷といったものが、青山テルマにとっては“憧れ”であり、現在では“郷愁”を感じる対象なのではないだろうか。そして、その時代に“希望”を見出しているのかもしれない。

 時々「90年代が生み出したものは何もなかった」論を目にすることがある。なるほど、90年代にブームとなったヒップホップやテクノは過去に生み出されたものであったし、“渋谷系”を中心にサンプリング(これはパクリを意味しないことは念のため)やオマージュを肝としたアーティストも多く登場し、パラパラも発祥は80年代だと言われている。しかし一方で、このMVに登場する“eggポーズ”や“ギャル”、“ガングロ”、“女子高生ファッション”といった、コンテクストを必要としない、非常にドメスティックな形で生まれたストリートカルチャーも数多く享受されていたことは確かだ。そして、それらの文化は、往時ほどの勢力はないかもしれないが、変化や進化、他文化への嵌入などを経て、様々な形で現在まで引き継がれている。青山テルマは、90年代後半から2000年代前半に生み出された文化をリアルにアップデートしている存在である50人のギャルと、現在を表すYouTuberのkemioやデザイナー、プロデューサー、DJなどマルチに活動する植野有砂などを映像上で共存させることで、自分の憧れた時代を再評価しているようにも感じる。

 また、この映像の中に登場する文化の担い手、生み手が女性であったことも重要だろう。そういった“ガールズパワー”を、彼女はその時代やギャルに感じているのだろうし、〈とりまうちらが世界の中心〉と言ってしまえる“強さ”と“そこからの希望”を、いま改めて提示したいのかもしれない。一聴すれば非常にコミカルなアプローチだが、その実には強い意志と希望が感じられるのは、筆者の考えすぎだろうか。

 そういった“ガールズパワー”は、ニューアルバム『HIGHSCOOL GAL』の中にも散見され、メッセージとして通じる部分がある。そのため、この「世界の中心~We are the world~」が、決して“一発芸”になっていないのも興味深い。また、パラパラではなく、青山テルマの美声をしっかりと聴かせるポップス/R&B楽曲も当然ながら収録されているので、ご安心を。ぜひ、“アルバムで完結”していることを、確かめて欲しい。

(文=高木 “JET” 晋一郎)

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