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ミニシアターとわたし 第2回 深田晃司「ACTミニ・シアターの記憶」

ナタリー

20/5/3(日) 12:30

新型コロナウイルスの感染拡大により休業を余儀なくされ、今、全国の映画館が苦境に立たされている。その現状にもどかしさを感じている映画ファンは多いはず。映画ナタリーでは、著名人にミニシアターでの思い出や、そこで出会った作品についてつづってもらう連載コラムを展開。今は足を運ぶことが叶わずとも、お気に入りの映画館を思い浮かべながら読んでほしい。

第2回ではクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」の発起人の1人である深田晃司に、かつて東京・新宿区西早稲田に存在した映画館、ACTミニ・シアターの思い出を語ってもらった。

ACTミニ・シアターの記憶

 20年前のこと。その日、山手線の車中で私はかなり焦っていた。電車が高田馬場駅に滑り込む。扉が開くまでの時間さえもどかしく、ホームから階段へと駆け降り早稲田口改札を出て東へと走る。左手に巨大な学生ローンの看板を見つつ息を切らせ走る街には、学生が喜びそうな安価で高カロリーのメニューを提供する食堂が並ぶが、朝の10時にはまだろくに開いていない。続いて右手に名画座早稲田松竹が現れる。いつもなら立ち止まってその日のプログラムをチェックしたいところだけど、スピードを落とすことなく駆け抜けて、交差点を越えた先にある雑居ビルに辿り着く。高田馬場から走ること約10分。そこの二階にACTミニ・シアターはあった。
 ビルの脇にある細く薄暗い階段を駆け上がり、息を整えながら受付を済ませ、中に入る。今日は遅れるべきではなかった。なぜなら滅多に見られない「ゴダールの映画史 第1章・第2章」が朝の10時から上映されるからだ。洪水のような映像と音響によって綴られる「映画史」全8章が完成する以前の「未完成版」の上映であったが、当時はまだ日本には「完成版」は輸入されていなかったため、これこそが「ゴダールの映画史」のすべてだった。
 それにもかかわらず10分も遅れてしまった私が飛び込んでまず目にしたものは、神秘的な光景だった。そこには誰もいない劇場と、ただ静かにスクリーンに投影される「映画史」があった。「あ、映画館って人がいなくても映画がかかるんだ」と素朴な発見に感動しながら、朝一番の新雪に初めて足跡をつけるような厳かな気持ちで足を踏み入れる。誰にも見られることがないまま流れ去った「映画史」の数分間はそれだけでどこか哲学的に思えた。

 ACTミニ・シアターはとにかくユニークな映画館だった。まず映画館のシートがすべて座椅子だった。天井が低いゆえの苦肉の策なのだろうけど、おかげで自分はこの日のように誰もいない上映時には寝転んだりしながらときおり上方に手を伸ばし、プロジェクターからスクリーンへと伸びる光に触れる不遜な楽しみを覚えた。それがゴダールの映画なら興奮もひとしおだ。
 ひとつしかないスクリーンの脇には等身大と思しきチャップリンのパネルがなぜかいつも設置されていたが、実際、サイレント映画はよく上映された。
 他にも自称シネフィルの大学生を満足させるに十分なプログラムで、エリック・ロメール監督の特集や鈴木清順監督の特集が組まれ、鈴木清順監督がトークに来場されたこともあった。50人も座れば満席の狭い空間で、鈴木監督の話を聞けるだけでも贅沢なのに、あまつさえACTミニ・シアターの習わしで、トーク後は近くの居酒屋で鈴木監督を囲んでの懇親会が開かれた。10人ぐらいの一般客に囲まれ、監督は飄々と質問に答えていく。「殺しの烙印」について、米の炊ける匂いに恍惚となる殺し屋なんて設定どうやって思いついたんですか、という問いに対して、さらりと「あれはタイアップだったから使うしかなかったんだよ」と答えた鈴木監督の姿に、映画における作家性と経済の奥深さを痛感したのを覚えている。
 つまりミニシアターは私にとって、学校以上に映画教育の場でもあった。連日のようにそこに通うことができたのも、年間1万円強の年会費を払えば見放題という手頃な会員サービスのおかげでもあった。
 しかし、そのACTミニ・シアターも2000年頃に21世紀を目前に閉館することとなった。
 予兆はあった。上述のような精力的なプログラムが組まれる一方で、同じ作品が繰り返し上映されることも多かった。もともと、シアターが所蔵するフィルムの上映は行われていたのだが、その頻度は日増しに増えていって、気づけば自分はフェリーニの「サテリコン」をACTミニ・シアターで4回は見ていたはずだ。オールナイト上映もよく行われたが、いつ行っても「月世界旅行」「アンダルシアの犬」「幕間」が掛かっていたような印象もあった。そもそも、無観客の「神秘の光景」がたびたび見られるような状態では、映画館経営が健全なわけはなかった。
「余裕ないのかな…」と思い始めたある日、受付である紙面が渡された。そこには要約すると、経営が苦しいためカンパをして欲しい、ということが会員に向けて書かれていた。一口三万円からとあったため、学生の身分にとってはかなり痛い金額であったが、日頃の恩返しのような気持ちで思い切って一口カンパすることにした。しかし、カンパをしてからほどなくして、映画館は「休館」となった。再開を待ち続けたが、「休館」は解かれることなく、半年ほど過ぎたある日、気がつけばそのまま「閉館」となっていた。
 映画館という場は、一度失われてしまうと容易には戻ってはこない、という自明なことを痛感させられる出来事だった。あの等身大のチャップリンのパネルは、その後どこへ行ってしまったのだろうか。知る由もない。

 それから20年が過ぎ、日本中がコロナ禍の苦境に立たされる中、多くのミニシアターが閉館の危機へと追い込まれつつある。
 当時の自分のなけなしの三万円ではミニシアター一館にも足りなかった。でももしACTミニ・シアターに足を運んでいた映画ファンの全員がその危機を共有していたらどうだったろう。自分にとって、濱口竜介監督らと始めた「ミニシアター・エイド基金」のクラウドファンディングの根っこには、ACTミニ・シアターの記憶がある。
 クラウドファンディングは5月14日まで継続中です。どうぞよろしくお願いします。

深田晃司

1980年生まれ、東京都出身。2006年にアニメーション映画「ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』より」、2008年に長編「東京人間喜劇」、2010年に「歓待」を監督する。2013年には二階堂ふみを主演に迎えた「ほとりの朔子」を公開。2015年、平田オリザの演劇を映画化した「さようなら」を発表する。浅野忠信が主演を務めた2016年の「淵に立つ」で、第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門の審査委員賞を受賞。2018年にディーン・フジオカとタッグを組んだ「海を駆ける」、2019年には筒井真理子を主演に迎えた「よこがお」を発表した。

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文 / 深田晃司 イラスト / 川原瑞丸

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