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『借りぐらしのアリエッティ』は決して“失敗作”ではない ダイナミズムと対極のささやかな世界の魅力

リアルサウンド

20/8/28(金) 8:00

 8月28日の『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)で米林宏昌監督の『借りぐらしのアリエッティ』が放送される。本作は、2010年代スタジオジブリの最初の作品であり、米林氏の長編監督デビュー作である。80年代から2000年代にかけてほとんどの作品を宮崎駿と高畑勲の両巨頭が監督してきた同スタジオが世代交代を企図した作品であり、公開当時37歳だった米林監督はジブリ史上最も若い監督となった。

 本作は、スタジオジブリの新時代を告げる作品になるはずだった。『風立ちぬ』後に宮崎駿が引退し(後に撤回)、『思い出のマーニー』公開後に制作部門を解体することになったスタジオジブリの歴史は、そこで途絶えたかに見える。再び新作を作り出しているものの、本作公開当時に首脳陣が思い描いたスムーズな世代交代は実現しなかったのだろう。

 しかし、本作そのものは失敗作では全くない。30代の新人監督のデビュー作としては非常に完成度の高い作品であるし、スタジオジブリのエッセンスを随所に感じさせながら、宮崎・高畑作品にはなかった新風も吹き込んでいる。米林監督がもたらしたその新風について書いてみたい。

 『借りぐらしのアリエッティ』は、イギリスの作家メアリー・ノートンの児童小説『床下の小人たち』を原作にしている。舞台を日本に置き換え、人間の住居の床下でひっそりと暮らす小人たちが人間のものを少しずつ借りて生活する「借りぐらし」を描いた作品だ。主人公のアリエッティは14歳の小人の少女で、好奇心旺盛な彼女が外に出た時、人間の少年、翔に見られてしまったことから始まる物語を情感豊かに描いている。

 アリエッティは活発で、勇気があり、虫を愛でるジブリらしいヒロイン像を体現している。王蟲の形によく似たダンゴムシをなでるアリエッティにナウシカの面影を見る観客もいるだろう。舞台となる翔の祖母の家は、繁華街からやや離れた位置にある緑に囲まれた邸宅であるのもジブリらしい舞台設定だ。

 しかし、米林監督のこのデビュー作は、単純な従来のジブリ要素を寄せ集めて再構築しただけの作品にはならなかった。これまでのジブリ作品にはあまり見られなかった耽美な美しさを内包した作品になっている。

被写界深度の浅い世界

 原作者のメアリー・ノートンは、『床下の小人たち』を思いついたのは、「近視眼だったからだと思う」と綴っている。

「ほかの人たちが、はるかな丘や、遠くの森や、空かけるキジなどを眺めているとき、子どものころのわたくしは、わきをむいて、近くの土手や、木の根、もつれあった草むらなどに見いっていたのです」(『季刊 子どもと本、2010年4月号』P14)

 本作が広い世界を夢想するファンタジーではなく、極めてミクロな視点で日常の中の非日常を見つめる姿勢なのは、原作者のそんな原体験と通底している。

 この近視眼という言葉は、映像化した際の一つのキーワードと言える。本作の映像はジブリ作品としては珍しく被写界深度が浅い。映像演出担当の奥井敦氏は、昆虫のドキュメンタリー番組のような接写で撮っているイメージで小人の世界を見せる選択をしたとインタビューで語っている。本作以前のジブリ作品の映像は、基本的に手前のものも後ろの背景にもピントを当てたパンフォーカスが多いのだが、本作ではあえて小人の世界を描くために被写界深度の浅い映像を随所に取り入れている。まさに原作者の近視的な見方を映像的に取り入れたと言える。(参照:『ジブリの教科書16 借りぐらしのアリエッティ』P124文春ジブリ文庫。『少年と少女の一週間 借りぐらしのアリエッティガイドブック』P93、角川書店)

 被写界深度を浅くする手法はしばしば、箱庭的な狭いコミュニティの純化された関係性を描く際にも用いられる。アニメ作品なら山田尚子監督の『リズと青い鳥』、実写映画なら三木孝浩監督の諸作品あたりをイメージするとわかりやすい。

 この被写界深度の浅い世界は、米林監督が本来有していたセンスを発揮させる重要な素地にもなっていたのではないか。広い世界をダイナミックに飛び回る宮崎アニメに対して、米林作品はミクロな箱庭的世界を美しく見せることに長けているのだ。

少女漫画の耽美さをジブリに持ちこんだ

 米林監督は、スタジオジブリ入社のきっかけになった作品として『耳をすませば』を挙げ
ている。

 『耳をすませば』はジブリ作品としては珍しく少女漫画を原作にした作品だ。原作漫画をかなりジブリ流にアレンジして少女漫画テイストは薄れてはいるが。

 米林監督は小さいころ、少女漫画を愛読していたそうだ。中学生時代に『りぼん』の愛読者だったらしく、少年漫画よりも少女漫画を読む機会のほうが多かったのだと言う。

「読んでたのは、『ときめきトゥナイト』の池野恋さんや、『ポニーテール白書』の水沢めぐみさん。髪の毛や目の中の表現とか、上手なんですよね。
<中略>
『りぼん』以外だと、『花とゆめ』で、日渡早紀さんの『ぼくの地球を守って』とか、『うまいなあ』と思って読んでいました。美内すずえさん、山岸涼子さん、萩尾望都さん、竹宮恵子さん・・・・好きですね」(『米林宏昌画集 汚れなき悪戯』P120、2014年、復刊ドットコム)

 本作は小人のアリエッティと、心臓の病を抱える薄幸そうな少年、翔とのつかの間の交流がメインプロットに置かれている。冒険活劇テイストの宮崎駿の作風とは明らかに異なる志向性だ。実は全5巻の原作には、冒険活劇テイストのエピソードもふんだんにあるのだが、映画化にあたってそれらの要素は強調されない。

 本作は、広い世界を大冒険する大きな物語ではなく、一人の少女と少年、そしてその家族にまでしか人間関係が広がらない小さな物語だ。それは少年漫画よりも少女漫画の世界に近い。脚本を書いた宮崎駿も本作に萩尾望都の『トーマの心臓』のイメージを入れ込もうとしていたと共同脚本の丹羽圭子は語っている(『ジブリの教科書16 借りぐらしのアリエッティ』P128、文春ジブリ文庫)。

 その選択は、少女漫画を愛読していた米林監督を意識してのことなのかもしれない。もし、宮崎氏本人が監督するつもりだったら、気球に乗った小人たちが屋根裏から飛び出すようなエピソードを描くのではないだろうか(実際に原作にそういうエピソードがある)。

 米林監督は、ダイナミックなアクションよりも心の機微を繊細に拾う日常芝居を描く方に関心が高いのかもしれない。作中、スピラーという小人の少年がムササビのように飛び去るシーンがある。飛行シーンと言えば宮崎アニメの代名詞だが、米林監督は本作唯一の飛行シーンを見せ場に設定せず、短いワンカットで見せるのみに留めた。あとに続くアリエッティが手を振って見送るカットの方が長いくらいだ。空飛ぶスピラーよりも、丁寧に長い時間手を振るアリエッティの方をより見せたいわけだ。おそらく、宮崎駿が監督していたら全く違った絵コンテの切り方になるのではないだろうか。

 おそらく多くの観客がスタジオジブリの作品に求めるものは、飛行シーンに代表されるようなダイナミズムだろう。その意味で本作はそういう観客のニーズに答えていない部分はあるのかもしれない。だが、それとは別のカタルシスをきっちりと提供している作品でもあり、それを提示したからこそ若い新人監督をデビューさせた意味もある。

 お茶をそそぐ、裁縫をする、食事をする、洗濯物を干す、両面テープを手足につけてよじ登るなどの生活芝居の細やかな描写には目を見張るものがあるし、翔という少年の線の細さは歴代ジブリの男性主人公と比べて異色の存在だ。彼の線の細さは『トーマの心臓』を意識しただけはあり、従来のジブリ作品にない耽美さを醸し出す要因になっている。

 『トーマの心臓』に代表される少女漫画のギムナジウムものというジャンルは、全寮制の男子学校という閉鎖的な箱庭の世界の濃密な人間関係を描く。そういう作品には、広い世界を広角レンズでとらえるようなタイプの作品ではなく、やはり被写界深度の浅い作風が似合う。米林監督の少女漫画的な志向性が本作にもたらしたカタルシスは、そんな箱庭的なピュアな感情の波だったのではないか。そして、そのセンスは続く『思い出のマーニー』でさらに濃密に発揮されている。

 そんな箱庭的ピュアさに沈殿する楽しみが本作にはある。繰り返しテレビで放送されるたびに、その魅力を発見する人が増えるだろう。ダイナミズムと対極のささやかな世界の魅力をぜひ堪能してほしい。

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■放送情報
『借りぐらしのアリエッティ』
8月28日(金)21:00〜22:54放送
※ノーカット放送
企画・脚本:宮崎駿
監督:米林宏昌
原作:メアリー・ノートン
声の出演:志田未来、神木隆之介、大竹しのぶ、竹下景子、藤原竜也、三浦友和、樹木希林
(c)2010 Studio Ghibli・NDHDMTW

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