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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

「クラシック音楽」はわずか150年しかない?

毎月連載

第28回

20/10/8(木)

Simon.3D/Shutterstock.com

「クラシック音楽」は、ヨーロッパの歴史と切っても切れない関係にあります。

最初のきっかけは、14世紀後半に起こったペストの第2次の大流行でした。そのことでヨーロッパの人口の3分の1が減り、富の再分配が起こります。そして人々は神を信じなくなり、人間中心にものごとを考えるようになって、大航海時代やルネサンスが起こりました。

ルネサンスを経て、18世紀にイギリスで紡織機や蒸気機関が発明されたことで、飛躍的に工業が発展し、産業革命につながります。そして世界じゅうのお金がヨーロッパに集まり、バブル経済が起こるのです。そのバブルは、音楽や文化がおおいに栄える基盤となったのです。

18世紀から20世紀初頭までの約150年間、ヨーロッパを中心とした世界史上空前のバブルです。今日、私たちが「クラシック音楽」としてイメージし、もっともよく演奏されるのは、そのわずか150年のあいだに書かれた作品なのです。「クラシック音楽」と聴いて多くの人がイメージするモーツァルトやベートーヴェンが生きたのは、18世紀後半です。シューマン、チャイコフスキー、ブラームスとなると19世紀です。

こう見てくると、気づくことはないでしょうか。「よく知られた作曲家たちの生きた時代は、ほんの100年余りのあいだなのか?」と。つまり、世の中に「クラシック」として愛好されているメジャーな作品が作られたのは、わずか150年のあいだであるということなのです。

モーツァルトの時代まで、音楽家は職人でした。クライアントからの注文を受け、その注文に見合う商品(楽曲)を作って納品するのが仕事。他の職種と同じく、靴屋の子は靴屋、音楽家の子は音楽家であればよかったのです。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Everett Historical/Shutterstock.com

ところが、ベートーヴェンの出現によって、音楽の世界は大転換を遂げます。ベートーヴェンは音楽を芸術であると言った最初の人です。彼にとって楽曲は商品ではなく“作品”であり、誰かの注文にしたがって書くことより、自分の書きたいものを書きたいように書く、という姿勢を貫きました。

彼はまた、同時代の哲学者であるカント、そしてヘーゲルの影響を大きく受けていました。カントが「音楽は他の芸術に比べて価値が低い」と主張したことに反発を覚えるとともに、「あらゆる人間の表現活動には、その時代の精神が表れていなければならない」とするヘーゲルの考えを、音楽を通じて実践しようとしました。そのため、つねに新しいものを追求し、つねに前とは違うこと、人とは違うことをしなければならないという考えから作品を作っていました。

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン
Everett Historical/Shutterstock.com

この考えは、ベートーヴェン以降の音楽家たちを見えない呪縛でがんじがらめにすることになります。ベートーヴェン以降、音楽家は必ずしも世襲によらず、「音楽家になりたいからなる」という人たちが出てきます。そのなから出てきたのが、ベルリオーズやシューベルトといったロマン派の先駆けと呼ばれる人たちです。ロマン派は音楽に文学性を持ち込み、楽曲に物語性を持たせることによって、より自分の主張を明確に伝えるようになりました。

こうした人たちが思うような音楽を作り、演奏活動が自由にできたのも、すべてはヨーロッパに起きたバブルの恩恵でした。

1日に3度配達があったという郵便制度や、国境をまたいで各国をつないだ鉄道網の発達によって、音楽家たちは自由に往来し、互いに交流を深めました。頻繁に手紙のやりとりをして考えを伝え合い、2~3日のうちに数か国を旅して打ち合わせやリハーサル、演奏会を行うことが可能になったのです。

東欧やロシア、ポーランドなど、それまでイタリアやドイツ、オーストリアを中心に動いてきた音楽界からは“辺境”と見られていた国々からも、自らの祖国への愛をうたい、民族色を取り入れた作品を書くすぐれた音楽家たちが次々と現れました。先に挙げたチャイコフスキーやショパン、ドヴォルザークなどです。

また時を同じくして活躍したドビュッシーやラヴェルなど、ロマン主義とは対照的に、形式にとらわれず、事柄や風景などの印象や空気感を表現しようとした印象派や、ヴェルディ、プッチーニ、ワーグナーらのオペラが聴衆を熱狂させたのもこの時代。このころの音楽界はまさに多士済々と呼ぶことができます。

こうしてヨーロッパ・バブルの恩恵を受けて起こった音楽の大きな流れも、20世紀に入り、1908年のグスタフ・マーラーの死をもって、終焉を迎えたと私は思っています。なぜならその後、シェーンベルクがあらわれ、1920~1923年の「5つのピアノ曲」などの作品をもって無調の音楽を確立したからです。

グスタフ・マーラー
photo:AFLO

ここに来て音楽は完全に、それまでの“美しいメロディーとハーモニー”の世界を捨て去りました。「現代音楽」の誕生です。それから音楽はますますベートーヴェン以来の手法やテーマ、コンセプトの新しさを突き詰める方向に向かい、音楽家たちは聴衆を置き去りにしたかのような試行錯誤を重ねてきました。

それから100年。音楽家はみな、暗中模索のなかにいるといえます。「現代音楽」を追求し続ける人もいれば、一方でエストニアのアルヴォ・ペルトのように古楽的手法に活路を見出そうとする人もいます。

私はそのなかで、あえて“美しいメロディーとハーモニー”の音楽に回帰することを選びました。それこそが21世紀の前衛であり、袋小路に迷い込んだ音楽の出口はそこにあると信じたからですが、これも正解かどうかはまだわかりません。

ともあれ、「クラシック音楽」とは、モーツァルトが生まれたころからマーラーの死までの約150年間、少し広げて考えても、モーツァルトの祖父の世代にあたるバッハやヘンデルから数えてもわずか200年ほどのあいだに作られた音楽のことを指すのだと思っていただいてよいでしょう。

もちろん、「音楽はそれだけじゃない、古楽も美しいし、現代音楽にだって見るべき作品はたくさんある」というご意見はあるかもしれません。それはそのとおりです。

でも、今日、もっとよく演奏される「クラシック音楽」とはおよそこの150年に書かれたものであるという認識は、今後、世界の文化や歴史がどう移ろっていくのかを考えるために持っておいていただいてもよいのではないか、と思うのです。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。

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