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『ノーサイド・ゲーム』相手への敬意と抱擁を示すフィナーレへ 大泉洋の決意が呼び込んだ逆転劇

リアルサウンド

19/9/16(月) 6:10

  9月15日に放送された日曜劇場『ノーサイド・ゲーム』(TBS系)最終話では、カザマ商事買収の黒幕が明らかになった。

参考:『ノーサイド・ゲーム』ラグビーシーンは映画的スペクタクルを獲得 今までの池井戸潤作品との違い

 滝川(上川隆也)の後任として常務に就任した脇坂(石川禅)は、カザマ商事社長の風間(中村芝翫)と旧知の仲であり、問題のある買収案件をつかませて滝川の失脚を狙っていた。君嶋(大泉洋)が府中工場に飛ばされたのも、脇坂が裏で手を回していたためだった。ラグビー部の廃部を狙う脇坂の暴走を止めるため、君嶋はいちかばちかの勝負に打って出る。

 一方、優勝を目指すアストロズと宿敵・サイクロンズは、雌雄を決すべくリーグ最終戦の直接対決に臨む。プレイの迫力をダイレクトに伝える『ノーサイド・ゲーム』だが、筋肉がぶつかり、汗が飛び散る試合の熱気は、リーグ最終戦で最高潮に達した。「アストロズに出会えてよかった。私はラグビーが大好きだ」という君嶋の言葉に屈強な男たちが目を真っ赤にするシーンや、監督の柴門(大谷亮平)の秘策、“フィールドの主人公”浜畑(廣瀬俊朗)の魂を込めたパスは、最終話にふさわしい見ごたえがあった。

 企業を舞台とする日曜劇場の作品では、これまで、「下剋上」や「復活劇」など、明確な対立軸、あるいは力関係のベクトルが示されることが多かった。『ノーサイド・ゲーム』は、アストロズを座標の中心に置いて社内外のエピソードを配置しており、一方的に「倒されるべきもの」として登場することが多かった会社上層部や既得権を持つ団体は、より相対化された存在として描かれている。

 たとえば、社内で権謀術数を巡らせる脇坂だが、アストロズ廃部の主張には経営の視点から相応の根拠があり、プラチナリーグの改革案を巡って君嶋と対決する日本蹴球協会専務理事の木戸(尾藤イサオ)も、設定でワールドカップの招致に尽力した過去があるなど、単純に「善悪」だけでは測りきれないキャラクターになっている。

 では、アストロズを守るために戦う君嶋の姿勢は、会社員として正しいと言えるだろうか? 第1話で反響を呼んだ雨中のタックルは、見栄も体裁もかなぐり捨てて、アストロズのGMとして生き直すという君嶋の覚悟を示すものだった。どんなに自信のある選手でも、全力で相手にタックルする、その瞬間に必要なのは「勇気」だけだ。冷静な判断とともに度胸が必要な場面で、頭をからっぽにして飛び込むときには、エリートも肩書も関係ない。

 本社の経営戦略室次長から社会人ラグビーという未知のフィールドに飛び込んだ君嶋は、アストロズを立て直すために心血を注ぎ込むのだが、結果的にそれが君嶋の逆転劇を呼び込むことになる。錯綜した人間関係にあって、「局外」から俯瞰することができた君嶋の勝利であり、すべては「与えられた場所でベストを尽くす」という決意から発していた。

 もし、君嶋がアストロズGMという立場を一時のものとして、おざなりに考えていたなら、その後のアストロズの快進撃も、青野(濱津隆之)との邂逅もなく、協会とリーグを変えることもできなかったに違いない。何もなくなったときに、仲間を信じて、眼前の仕事に賭けることで会社の危機を救った君嶋の姿は、「続けていく中で正しさが生まれる」という真理を雄弁に語っている。それはまた「人は変わることができる」ことの証明でもある。

 勝ち負けによって物事を決める世の中の本質は、フィールドの中と外で変わらない。スポーツを通して内面の変化に目を向けた『ノーサイド・ゲーム』は、正義と正義がぶつかり合う二項対立でも、絶対善によるワンウェイな勧善懲悪でもない、「対立することも結びつきのひとつの形」であるというメッセージを伝えている。戦うことが、憎みあうだけでなく、相互理解でもあること。<これが愛じゃなければなんと呼ぶのか>と歌う主題歌「馬と鹿」の問いに対する答えは、全力で戦った相手への敬意と抱擁である。

■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。

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