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『パラサイト』は“百花繚乱の時代”の象徴に? 『シュリ』から始まった韓国映画の20年

リアルサウンド

20/2/20(木) 10:00

 『パラサイト 半地下の家族』の第92回アカデミー賞での作品賞受賞により、今注目が集まっている韓国映画。これまでもここ日本では、多くの韓国映画が上映され、『パラサイト 半地下の家族』以上の興行収入を記録したヒット作品もある(2月18日現在)。

 「韓国映画」と一口に言っても、ラブコメや社会派映画、ノワールなど当然ジャンルは様々だ。韓国映画を観続けてきたライター・麦倉正樹が、日本で韓国映画が広まり始めたここ20年を個人的な感慨とともに振り返った。(編集部)

参考:各作品場面写真はこちらから

『シュリ』から始まった、韓国映画の20年

 “韓国映画”と言えば、恥ずかしながら『桑の葉』(1985年)くらいしか思い浮かばなかった筆者が、現在進行形で制作され公開される映画として“韓国映画”を強く意識するようになったのは、同時代の映画ファンの多くがそうであったように、2000年の1月に日本公開されたカン・ジェギュ監督の『シュリ』(1999年)からだった。韓国映画としては当時最高額となる制作費を投入して生み出されたという本作は、韓国の諜報部員と北朝鮮の工作員の悲恋を軸としつつも、派手なアクションシーンをはじめ全力でエンターテインメントに振り切った、実に気概のある作品だった。冷戦時代も終わりを告げ、国家間の対立や諜報といったモチーフが次第にリアリティを失っていく中で突如現れた、現在進行形で緊迫する朝鮮半島情勢をモチーフとした本作。しかもそれを、一大エンターテインメント作品として描いてしまうことに、何よりも驚いた。かくして、韓国映画としては異例の規模で公開された『シュリ』は、興行収入約18億円という大ヒットを記録。以降、日本における韓国映画の道筋を作った、記念すべき作品となったのだ。

 実際、翌2001年には南北朝鮮の軍事境界線にある「共同警備区域(Joint Security Area)」を舞台としたパク・チャヌク監督の『JSA』(2000年)が、2004年には1980年代後半に発生した「華城連続殺人事件」を追う刑事たちを描いたポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(2003年)が公開。それら3本の映画すべてにソン・ガンホが出演していることに今さらながら驚くけれど、同じく2004年には韓国政府が1971年に極秘裏に進めていた金日成暗殺計画をモチーフとした『シルミド』(2003年)、朝鮮戦争に翻弄される兄弟を描いた『ブラザーフッド』(2004年)など、話題作が相次いで公開されるなど、韓国現代史の“苦悩”や深い“闇”をエンターテインメントとして描き出す一連の作品は、韓国映画のひとつの強烈な“個性”として、多くの映画ファンのあいだで認知されるようになったのだ。

『猟奇的な彼女』と“第一次韓流ブーム”
 当時の韓国映画の勢いは、それだけに留まらなかった。そこで思い起こされるのは、2003年に日本でも公開され、一大ブームを巻き起こしたクァク・ジェヨン監督の『猟奇的な彼女』(2001年)だ。いわゆる“社会派”でも“政治的”でもなく、むしろ軽妙なタッチの“ラブコメ”映画である本作は、日本の若者たちからも支持を獲得。「猟奇的な」という言葉が、それまでとは異なる「ヤバい」くらいのポップなニュアンスで用いられるようになると同時に、本作で“猟奇的な彼女”を演じたチョン・ジヒョンの人気も上昇、日本のテレビCMに出演するなどの活躍をみせる。そして、2004年には、同監督とチョン・ジヒョンが再びタッグを組んだラブコメ映画『僕の彼女を紹介します』(2004年)が日本でも公開。『シュリ』の興行収入を早くも塗り替える約20億円という大ヒットを記録するのだった。

 ちなみに同年、NHKはBS放送での好評を受け、韓国ドラマ『冬のソナタ』の放送をNHK総合でもスタート。その主演を務めたペ・ヨンジュンが、“ヨン様”として、本国以上の人気を日本で獲得することになった(その相手役を務めたチェ・ジウも大人気だった)。そして、ヨン様の人気が牽引する形で、“第一次韓流ブーム”が日本で巻き起こると同時に、ラブコメやメロドラマ的なテイストをもった韓国映画も続々と公開されてゆく。とりわけ、2005年に公開されたペ・ヨンジュン主演のラブロマンス『四月の雪』(2005年)は、『僕の彼女を紹介します』を超える約27.5億円という興行収入を記録。さらに同年の秋には、日本のテレビドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても~』(日本テレビ系)を原案とする純愛ラブストーリー『私の頭の中の消しゴム』(2004年)が公開され、日本で公開された韓国映画としては現在もトップとなる約30億円の興行収入を記録するなど、“第一次韓流ブーム”の到来と共に、韓国映画はひとつのピークを迎えるのだった。

国際映画祭で躍進する、“作家主義”の監督たち
 その一方で、国際映画祭における韓国映画の躍進も忘れてはならないだろう。2000年以降、積極的に海外の映画祭に出品するようになった韓国映画は、イ・チャンドン監督の『オアシス』(2002年)が同年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞したのを皮切りに、キム・ギドク監督の『うつせみ』(2004年)が2004年の同映画祭で同じく銀獅子賞を獲得、同監督の『サマリア』(2004年)が同年のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞するなど、国際映画祭の場でも徐々に高い評価を獲得するようになっていったのだ。

 そのなかでも、日本においてとりわけインパクトが大きかったのは、2004年のカンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した、パク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』(2003年)だった。同映画祭の審査員長を務めていたのがクエンティン・タランティーノ監督だったという事実もさることながら、この映画の原作は、90年代の後半に『漫画アクション』で連載されていた同名の日本の漫画だったのだ。かくして、1954年生まれのイ・チャンドン、1960年生まれのキム・ギドク、1963年生まれのパク・チャヌクーーこの3人の韓国人監督が、以降現在に至るまで、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンなど国際映画祭の常連となり、韓国映画に対するイメージを次々と塗り替えていくのだった。

『息もできない』の衝撃と“第二次韓流ブーム”
 『私の頭の中の消しゴム』をピークとする“第一次韓流ブーム”の収束により、やや沈静化したように思えた日本における韓国映画の盛り上がりだが、人材の交流などは、この時期にも引き続き活発に行われていたようだ。ポン・ジュノ監督の長編デビュー作である『ほえる犬は噛まない』(2000年)や、『オールド・ボーイ』と並ぶパク・チャヌク監督の「復讐三部作」のひとつである『復讐者に憐れみを』(2002年)などに出演していたペ・ドゥナが、山下敦弘監督の『リンダ リンダ リンダ』(2005年)や、是枝裕和監督の『空気人形』(2009年)に出演したのは、この頃の出来事である。さらに2006年には、VFXを駆使した韓国では珍しい“怪獣パニック映画”となった、ポン・ジュノ監督の『グエムル -漢江の怪物-』(2006年)が日本でも公開される。本国における大ヒットに比べると、日本ではそこまでヒットしなかった本作だが、世界23ヶ国で公開されるなど、韓国映画としては異例の公開規模となったこの映画は、国際的な評価を持つ先述の3人の監督よりひと回り下の世代となる、1969年生まれのポン・ジュノ監督の名前を一躍世界に知らしめた作品として、実は重要な意味を持っていたのではないだろうか。

『息もできない』
 しかし、この時期の韓国映画で、個人的に最も強く印象に残っているのは、2010年に日本公開され、今は無き渋谷シネマライズを中心にロングヒットを記録した、ヤン・イクチュン監督の『息もできない』(2008年)だった。監督はもちろん、製作・脚本・編集・主演をすべてヤン・イクチュンが務めた、韓国映画では珍しい小規模なインディペンデント作品となった本作。その衝撃と破壊力は抜群だった。取り立て屋の男と女子高生ーー胸の内に深い“孤独”を抱えた男女の“恋愛ではない”心の交流と、その後辿ることになる悲劇。そのヒリヒリとした質感と画面から溢れ出る切実な思いは、もはや“韓国映画”という括りを超えて、多くの人々の心をえぐったのだ。かくして、前年の東京フィルメックスで最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞したことを皮切りに、2010年の「キネマ旬報ベスト・テン:外国映画ベスト・テン」の第1位に選出されるなど、日本でも多くの映画賞に輝いた。それは、当時類型化されつつあった韓国映画への認識を、改めてフラットに戻すような、実に意味のある作品だったように思うのだ。ちなみに2010年は、少女時代とKARAが正式に日本デビューを果たした年であり、いわゆる“K-POP”が牽引する形で“第二次韓流ブーム”が日本で巻き起こっていった時期でもあった。そう、映画やドラマのみならず、音楽も含めた“エンターテインメントの輸出国”としての韓国のイメージは、この時期に確固たるものとなっていったのだ。

百花繚乱の時代に登場した『パラサイト 半地下の家族』
 かくして、映画ファン以外の人々にも広く認知されるようになった韓国映画は、以降そのジャンルの幅をさらに押し広げながら、もはや当たり前のように日本公開されるようになっていく。2012年には、80年代に青春の日々を過ごした女性たちの物語である『サニー 永遠の仲間たち』(2011年)が、2014年には、同じくシム・ウンギョンが主演した『怪しい彼女』(2014年)が公開され、いずれも口コミを中心に高評価を獲得。それどころか、それぞれのリメイク版が、のちに日本でも制作されるなど(水田伸生監督、多部未華子主演の『あやしい彼女』<2016年>、大根仁監督、篠原涼子主演の『SUNNY 強い気持ち・強い愛』<2018年>)、この時期になると、もはや韓国映画は、独自の歴史や政治背景を持ったローカルな作品ではなく、日本でも置き換え可能な良質のプロットを持った作品として受け止められるようになっていったのだ。ちなみに、2017年に大ヒットを記録した入江悠監督の『22年目の告白 ―私が殺人犯です―』(2017年)は、韓国のサスペンス映画『殺人の告白』(2012年)の日本リメイク版である。

 しかし、この頃の韓国映画で、個人的に強く印象に残っているのは、2010年のカンヌ国際映画祭で「ある視点」賞を受賞した『ハハハ』(2010年)をはじめ、“韓国のエリック・ロメール”と称されるホン・サンス監督の近作4本が、2012年に「ホン・サンス/恋愛についての4つの考察」というタイトルのもと、連続上映されたことだった。政治や社会とはそれほど関係ない、どちらかと言えばラブコメに近いけれど、主人公の男性は、いずれもそれほど若くないという、ある意味異色かつ軽妙なホン・サンス作品。それは、観れば観るほどハマっていくような、これまでの韓国映画にはない魅力を、確かに打ち放っていたのだった(ホン・サンス監督の映画は、2018年にも『それから』(2017年)をはじめ近作4作が連続上映されるなど、日本の映画ファンのあいだでは、依然として高い人気を誇っている)。

 その後も、『新しき世界』(2013年)や『インサイダーズ/内部者たち』(2015年)といった“韓国ノワール”とも言うべきジャンルの秀作はもとより、上野樹里も出演した異色のファンタジーロマンス『ビューティー・インサイド』(2015年)、走り続ける列車とゾンビという組み合わせが画期的だった『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016年)。さらには、『チェイサー』(2008年)で一躍注目を集めたナ・ホンジン監督の作品で、日本からは國村隼が鮮烈な役どころを演じた『哭声/コクソン』(2016年)、パク・チャヌク監督が日本統治下の韓国を舞台に描いたエロティックスリラー『お嬢さん』(2016年)、1980年の光州事件時の実話を基とする『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(2018年)。そして、村上春樹の短編を基にしたイ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』(2018年)や、1997年に韓国を襲ったIMF経済危機を描いた『国家が破産する日』(2018年)など、以前にも増して秀作ぞろいの話題作が続々と公開。もはや韓国映画は百花繚乱の時代に突入し、映画ファンにとって欠くことのできない一画を形成するに至っているのだった。

 そして、昨年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝くどころか、このたびアカデミー賞という晴れの舞台で、作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞という4部門を受賞するという前代未聞の快挙を成し遂げたポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019年)である。アカデミー賞を受けて、日本ではそろそろ興収25億円に届きそうな勢いであり、近々『私の頭の中の消しゴム』の記録を抜くと目されている本作だが、その世界興収の合計は、すでに2億ドル(約220億円)を突破しているという。この映画の世界的なヒットは、今後の韓国映画にどんな影響を与えていくのだろうか。そして、日本はこれからの韓国映画を、どのように受容していくのだろうか。いずれにせよ今、韓国映画とそれを取り巻く状況は、さらにドラスティックな変化のときを迎えようとしている。(文=麦倉正樹)

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