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『判決、ふたつの希望』監督が語る、レバノンからのインスピレーション 「葛藤や衝突からいい物語が生まれる」

リアルサウンド

18/9/1(土) 10:00

#判決ふたつの希望 #インサルト  第90回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたレバノン映画『判決、ふたつの希望』が8月31日より封切られた。レバノンの首都ベイルートが舞台の本作は、住宅の補修作業を行うパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、キリスト教徒のレバノン人男性トニーの間で起こった些細な口論が、やがてレバノン全土を震撼させる騒乱へと発展していく模様を描いた人間ドラマだ。

参考:2人の男は一体何を隠しているのか? 『判決、ふたつの希望』本編映像

 リアルサウンド映画部では今回、クエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』や『パルプ・フィクション』などの作品にカメラアシスタントとして参加した経験を持つ本作の監督、ジアド・ドゥエイリにインタビューを行った。自身の実体験からスタートしたという本作の制作過程から、レバノンに対する思いまで、赤裸々に語ってもらった。

ーーこの作品は監督自身の実体験がベースになっているそうですね。

ジアド・ドゥエイリ(以下、ドゥエイリ):僕自身が数年前にベイルートで実際に経験した、ある配管工の男性との口論がきっかけだったんだ。その数日後、もしもそのときの自分の怒りが収まらずに、雪だるま式になっていったら……と考え始め、それが物語になっていった。ただ、それは脚本の執筆をスタートしたきっかけに過ぎないんだ。アイデアを考えたときに、掘り下げてみる価値があると思ったからね。だから、その出来事は物語を書き始めたきっかけではあったけれども、自分の過去を掘り下げたり、自分の人生観ということを考えたりしながら脚本を作っていったから、導入の部分だけが実体験の基になっていると言えるね。

ーー後半にかけて物語の中心になってくる法廷劇はどのような流れで生まれたのでしょう?

ドゥエイリ:アイデアを掘り下げ始めた段階で、心のどこかで「これは法廷劇になるな」という自覚があったし、同時にそういう作品を作りたいという気持ちもあったんだ。法廷劇をやるということについては、主に2つのことをリサーチした。まず、僕の母親が弁護士だったから、実際に裁判で行われるルールやプロセス、弁護士や判事の喋り方、レバノンの司法制度などについて聞いたんだ。レバノン内でヘイトスピーチをしたとき、法的に罪に問われる可能性があるのかも聞いたね。それで、一部にはヘイトスピーチを取り締まる法律があるということを知ったんだ。もうひとつは、とにかく裁判ものの映画を観ること。特に、スタンリー・クレイマーの『ニュルンベルグ裁判』とシドニー・ルメット監督の『評決』は、何度も繰り返し観て参考にしたよ。

ーーレバノンにおける司法制度などを知っていく中で、もっとも驚きだったことは?

ドゥエイリ:リサーチのため、ベイルートから30kmほどの南部の裁判所に行ったんだけど、そこでまず判事が女性だったことに驚いたよ。それ以上に驚いたのが、実際に劇中にも出てくるように、法廷内に檻が用意されていて、被疑者がその檻の中で陳述することだった。その様子を見た瞬間、「これは絶対に映画で使おう」と思ったね。本来であれば法廷内で写真を撮ってはいけないんだけど、隠れてスマホで写真を撮って、美術担当に「これをそっくりそのままに再現してくれ」とお願いしたんだ(笑)。

ーーキリスト教徒のレバノン人であるトニーと、ムスリムのパレスチナ人であるヤーセルの対立が主軸に物語が展開していきます。この2人の人物造形はどのように行ったのでしょう?

ドゥエイリ:トニーの人物造形は、僕自身がお世話になった、実際に自動車修理をやっている人物が基になっていて、トニーという名前もこの人からきているんだ。このトニーはキリスト教徒の右寄りの民兵なんだけれど、レバノンの右寄りのメカニックはなぜかドイツ車しか扱わないんだ。僕にも理由は分からないんだけど、サポートするサッカーチームもドイツだったりドイツ関連のものが好きで、それは劇中にも反映させたよ。国でいうと、実はこの作品は中国での公開も決まっていたんだけど、劇中での“あるやり取り”が理由で、決まってから2週間後に契約が破棄されてしまったんだ。それはとても残念な出来事だったね。ヤーセルの方はいわゆるレバノンにおけるパレスチナ難民の姿を反映させているよ。非常に頭のいい人たちなんだけれど、未だに就労することがほとんどできず、ヤーセルのように違法に仕事に就くしかないんだ。

ーー人物造形にはリアリティを持たせたわけですね。

ドゥエイリ:この作品自体は現実を直接的に反映しているわけではないけれども、実際にベイルートで起こったことの精神的な部分を反映した映画だとも言える。逆に言えば、2つのコミュニティがぶつかり合うという構図は、ベイルートではもちろん、世界中のどこでも起こり得る、ものすごく普遍的なものなんだ。劇中では、トニーとヤーセルの諍いに、やがて大統領までが介入してくる。これは、脚本を書いている当時、アメリカで、ある黒人教授が自宅で白人警官に逮捕されことを人種的偏見だと訴えた問題に対して、オバマ大統領(当時)が2人をホワイトハウスに招いて和解を試みたというニュースを見たことが影響しているんだ。大統領のような立場の人でも、そのようなパーソナルなことに関わることができるということを描きたくて、脚本に取り入れることにしたんだ。オバマ大統領ができるなら、レバノンでもあり得るだろうとね。

ーーリアリティを意識しつつも物語はフィクションであると。

ドゥエイリ:まさにその通りで、確かに現実にベースが置かれているかもしれないけれども、この映画はドキュメンタリーではなく、フィクションにすぎない。僕は、映画の醍醐味はそこにあると思うんだ。実際にあったことからインスピレーションを受けて、何か現実を超えたものを作るということ。そして、観客を映画の旅に誘う。共感できるかどうかはその人自身だったり映画の内容だったりによると思うけれども、少なくとも旅路を楽しんでもらうことが、“映画のマジック”だと思うね。

ーーちなみに、映画の冒頭で、「ここに描く見解は監督と脚本家のものであり、レバノン政府の政策や立場を表すものではない」というクレジットが入っていたのが気になったのですが、これはどういう意図で?

ドゥエイリ:実はあのクレジットは、僕としては、日本を含めレバノン以外の国での上映では入れないでほしかったんだ。レバノン国内での上映に際して、レバノン政府の要請で入れた、何か問題があったときに自分たちを守るためのエクスキューズのようなものだからね。レバノン以外の国の人があのクレジットを見たら、僕が政治的なメッセージを発信しているようにも思われてしまうので、それはちょっと心外にも感じるよ。

ーーそうだったんですね。最後に、レバノンにおける映画製作の実情を教えてください。

ドゥエイリ:レバノンで作られる映画は、多くて年間で7本ぐらいのレベルなんだ。映画がほとんど作られていないから、映画業界自体も弱い。ただ、僕は映画作家として、この国からものすごくインスピレーションを受けているんだ。まだまだ問題や混乱が山積しているからこそ、いろいろなアイデアがあったりストーリーの種があったりするんだ。ストーリーテリングはパーソナルなものであるべきだと思うし、葛藤や衝突からいい物語が生まれると思う。逆に、そういうものなしにいい映画は生まれないんだ。これは僕がよく言っていることなんだけれど、僕にインスピレーションを与えてくれるのがレバノンで、お金を出してくれるのがフランス、そして映画を観に来てくれるのがアメリカなんだ。(取材・文・写真=宮川翔)

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