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『万引き家族』は“誘拐”をどう描いたか? 弁護士が法的観点から読む

リアルサウンド

18/6/28(木) 16:30

 是枝裕和監督の『万引き家族』の主要登場人物は、タイトルどおり、窃盗や年金詐取などの犯罪を日常的に働く人たちだ。筆者の本業は弁護士だが、彼らの行動を現実の法規範に照らして裁いてみることが、芸術に対する批評として決定的な意味があるとは思わない。ただ、映画の中で、彼らに対して適用されるルールが、現実の法規範とは相当異なっている点が無視されてよいとも思わない。以下詳しく論じてみたい。

 是枝監督からの影響をショーン・ベイカー監督自身が公言している映画『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』は、貧困層が住み着いたモーテルを舞台にしたリアリティに根差した描写から一転、ラストは登場人物の空想ともとれるようなマジカルな展開に飛躍していく。

 同じく貧困層を扱った『万引き家族』を観ていて、終盤、率直なところ、筆者はこの映画も『フロリダ・プロジェクト』と同じ構造の作品なのかと思い違いをしてしまった。リリー・フランキー演じる中年男性と少年が釣りに行くシーン。話の流れ上、このシーンはてっきり男性か少年の願望による空想だと思い込んでしまったのだ。このシーンを機に、安藤サクラの名演や疑似家族が暮らす一軒家内の暮らしの細部の描写など、世界の誰にも真似できないほど見事な部分も多いこの映画の、ある問題点がクリアに見えてきてしまった。

 序盤からほのめかされているが、樹木希林演じる老女を筆頭にボロ家で暮らす6人は、本当の家族ではなく、それぞれ事情を抱えた者の寄り集まりに過ぎない。一番下の5歳の女の子は虐待家庭から勝手に連れてきた子であり、恐らく上の男の子も似たような経緯でもっと幼いころに「家族」に加わったであろうことは、映画のかなり早い段階で観客にもわかる。

 映画内でもはっきり言葉にされているが、この行為は要は誘拐であり、犯罪である。安藤サクラ演じる女性の「身代金を要求したわけじゃないから誘拐じゃない」という台詞は、いい加減な言い訳はしていても女性自身が行為の犯罪性をちゃんと認識していることを表すと同時に、映画製作者も、作中の行為が現実ではどのような犯罪にあたるのかをきっちり調べた上で映画を作っていることも示している。具体的には、「営利目的当略取及び誘拐」(刑法第225条)や「身代金目的略取等」(同第225条の2)といった非常に重い罪には該当しないが、「未成年者略取及び誘拐」(同第224条)の罪には該当することは、作品の前提になっている。

 映画終盤、ある事件をきっかけに「家族」の存在が知られ、「家族」は解体され、メンバーは警察の取調べを受けることになる。「家族」は、ファミリービジネスとしての万引きと、未成年者略取以外にも、ある罪を犯しており、その点も捜査対象となる。

 女性は、取調べに対し、「全部自分が1人でやった」と供述し、罪を1人でかぶる。ここで女性が言う「全部1人でやった」犯罪とは、普通に考えれば未成年者略取ではなく「ある犯罪」のことだろう。「ある犯罪」は1人でやったと言い張ることも可能だが、未成年者略取を全部1人でやったという主張は非現実的だ。「家族」は何年も共同生活を送り、大人が協力して被害者である子の面倒を見ており、他の大人にも少なくとも被略取者蔵匿・隠避の罪(同第227条1項)が成立することは恐らく争いようがないからだ。そのような客観的な状況証拠に基づく認定を、共犯者の供述程度でひっくり返せるとは思えない。

 具体的に何の罪に対する刑が誰に適用されたかは映画内で結局明示されないまま、女性は実刑を受け恐らくは刑務所に入り、一方、男性は実刑を受けず外の世界に留まる。そして、釣りのシーンにつながっていく。

   男性が実刑を受けずシャバにいることは、無罪ではなく執行猶予付き判決だったといった説明は可能だろう。だとしても、少なくとも誘拐に関わったことは明らかな大人と、被害者である子が、2人きりで行動することをみすみす見過ごすとは、少年の周囲の大人、具体的には養護施設の職員らは一体何をしているのだろうか。少年が再び誘拐されたらどうするのか。あと、その釣竿は盗品ではないのか。

 その後、拘置所なのか刑務所なのか判然としないが、男性は少年を連れて女性に面会に行く。加害者である大人2名と被害者である少年1名の計3名だけというリスキーな面会がスルーされる刑事施設は存在するのか。大人2人が罪を逃れるため少年を言いくるめる危険性は考えないのか。

   一番下の女の子があっさり虐待家庭に帰され、親はすぐ虐待を再開する、という展開もそう。この世界には児童相談所は存在していないかのようだ。

   フィクションの登場人物の行動に現実のルールをあてはめて、矛盾点をあげつらっているわけではない。前提として、フィクションである以上、どれだけ現実を参照していても、その世界を支配するルールは現実とは異なってよいはずだ。しかし、この映画は、現実によく似た世界(舞台は荒川区だと作品中で明示される)を舞台にして、現実と同じであろう法制度を前提としながら、作品を支配するルールが相当偏った歪み方をしている。はっきり言ってしまえば、この映画を支配しているルールは、未成年者の誘拐に対して不当に甘い。

 きっかけは誘拐であっても、大人から子に教えられたのは万引きの技術だけであっても、そこには確かに「絆」があった。そういう当事者の言い分に、芸術家は耳を傾けるべきだということは筆者も同意するが、この映画では、映画の作品世界全体が当事者の言い分に耳を傾けてしまっている。過ちを犯してしまう人の甘い認識と、それに寄り添う芸術家の優しさが、作品内世界全体を支える論理の骨格まで侵食してしまっているのだ。

 過ちを犯してしまう弱い存在に寄り添った芸術を作ることと、その芸術作品の世界の中でその過ちが優しく扱われることとは、全然違うことだと思う。

 映画の最後の最後、それでもみんなで「家族」を作ったつもりでいた男性に対して、少年は、実は少年自身が自分の意思で「家族」に対し裁きを下していたとも解釈できる、ある事実を告げる。

  しかし、被害者本人であり何より未成年者でもある少年に裁きまで任せてしまうのではなく、作品自体が「家族」に対し責任をもって厳しい裁きを下すべきだったのではないか。安藤サクラ演じる女性はともかく、リリー・フランキー演じる男性も、松岡茉優演じる若い女性も、その犯した罪に応じた裁きを受けているようには筆者には見えなかった。

■小杉俊介
不動法律事務所所属の弁護士/ライター。
音楽雑誌の編集、出版営業を経て弁護士に。

■公開情報
『万引き家族』
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:リリー・フランキー、安藤サクラ、松岡茉優、池松壮亮、城桧吏、佐々木みゆ、緒形直人、森口瑤子、山田裕貴、片山萌美、柄本明、高良健吾、池脇千鶴、樹木希林
製作:フジテレビ、ギャガ、AOI Pro.
配給:ギャガ
(c)2018フジテレビジョン ギャガ AOI Pro.
公式サイト:http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku

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