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荏開津広が選ぶ、要約/フェイクニュースへの抵抗となる2冊:『ナウシカ考』『別冊文藝 ケンドリック・ラマー』

リアルサウンド

20/7/20(月) 10:00

 物事を要約して発信すること、あるいはフェイクニュースの発信は、それぞれ別の場所で始まっているのだろうが、どちらもナルシズムと繋がっていく。アカデミシャンから“普通の日本人”と称するまでの無数の矮小なナルキッソスたちは、鏡を見て自惚れるばかりで何かを言っているようで何も言わず、政治的には全体主義にすら結果的に与する。

参考:『風の谷のナウシカ』に表れる宮崎駿の“矛盾”とは?

 このことは実は誰もが例外ではなく、私たち全員が泥の泉に沈んでいくかのようだ。そのような思いも頭によぎる。同時に、考えられ書かれたある程度以上に長い言葉の連なりに接しその意味を考えていくことは、そうしたナルシズム傾向へのカウンターになると感じる。

 さて、『王と天皇』(1988年)や『岡本太郎の見た日本』(2007年)など、赤坂憲雄氏の著作に少しでも親しむ方ならば、氏が“あらためて”、”ここではとりあえず“、そして”それにしても“といった言葉と共に場面を転換していく中に、その著作で示された考えの輪郭が繰り返して何回も描き直されていく経験をしたことがあるだろう。

 昨年発売された『ナウシカ考 風の谷の黙示録』も、そのように、日本に住んでいる私たちほぼ全員がきっと知っている宮崎駿が創り上げた”風の谷“の風景を、迂回し周回し様々な角度から捉え直し、それぞれを行き来し叙述する。”西域幻想“をたぐり寄せることから始まり、私たちを”腐海“に、そして”黙示録“へと分け入って連れていってくれる。本の一つのクライマックスは、3分の2ほど読み進めたところで、私たちが赤坂氏の筆を通して出くわす”深く宮崎駿的なテーマ“だろうか。

 例えば、マンガだからこそ”もっとも豊かに複雑にして精妙に“描かれた森は実は腐海で、それが“ときの移ろいとともに継起的に転がされ”語られ、そのイメージが本書で様々な方向に、例えば日本における”天皇と非農業民のよじれた関係“にまで届き、その”テーマ“に関連して引用されている宮崎駿氏の言葉に、私のあまり馴染みのないマンガやアニメの発想の核のようなものさえ感じてしまう。

 私はアニメやマンガに興味を持つ余裕がなかったので、この本が取り組むマンガ版『風の谷のナウシカ』を未読だったが、きっと近いうちに読むだろう。多分、アニメもまた見るだろう。本書はぜひ、2020年のうちに読むことをお勧めしたい。

 もう一つ、自分の専門や教養から離れていても読みたくなる本や著者の名前が出てくるのも、読書好きとして楽しいところだ。例えばここではピエール・クラストルやニコラス・ローズ、もしくは堤中納言物語やグリム童話。

 それにしても本書の終わり方はやっぱり格好が良いと思う。ああそうなのか!と、この本を手に取って読み始めた時の疑問の一つが、そこで明らかになる。世界の構造をどうだと見せびらかす閉鎖的な世界における優越感の限界を知っている大人なら、きっとこの未来への拡がりを持った結末のつけ方も気に入るのではないだろうか。

 『別冊文藝 ケンドリック・ラマー』は、ヒップホップを一生の仕事として選んだDJ/書き手(私)としては流石に感慨深い。文芸誌がヒップホップやラップをテーマに1冊を出す時代になったのだと思うからだが(もちろん、過去にもヒップホップやラップを扱った文芸誌はあった)、英語圏のラップに向きあった点は、そのハードルの高さからも評価したい。文学と比較すると、ラップは特定のストリート(街路)の日常をまさに現在進行形で切り取っていくゆえに、日常的なアメリカの暮らしの細部と切り離し難い。英語のラップが日本でなかなか聞かれないのも、そのことと明らかに関係がある。

 今やポップ音楽はK-POPのボーイズ・グループであれアリアナ・グランデやテイラー・スイフトであれ、自国内の事情だけを気にしていられない(例えばBTSの2014年のヒット“Spine Breaker”には”世界の階級は2つに分かれる、持てる者と持たざる者“とあるが、これはグローバルな事情だ)が、ヒップホップは自分たちそれぞれの特定の地域のコミュニティを忘れない。忘れるとファンもある程度離れるだろう。その力学と心理が日本では分かりにくいし、音楽はそこを超えていく力を持っているのもまた真なのだが、テキストでアーティストに肉薄する場合、そこを不問に付す訳にもいかない。

 本書では錚々たるメンバーがこのグラミー受賞アーティストの世界とその魅力を通訳/解釈してくれるのだが、それに[日本語ラップとの交差点]と題し、Awich、Moment Joon、OMSBからKOJOE、仙人掌までのケンドリック・ラマーについてのインタビューが掲載されているのは、音楽に意味のない境界を作らない、もしくは実際にはそこが交差しているのだと示す試みとしてまず興味深い。

 そして執筆陣の磯部涼、imdkm、奥田翔、そして吉田雅史、ヨシダアカネ、渡辺志保氏まで、一つの主題の下にいわゆるコラムを寄稿した書き手だけでなく、現在の日本の音楽についての書き手のうち最も博識であろう小林雅明氏が手がけたディスコグラフィ、またアメリカのヒップホップについて最も深い理解をしているだろうGenaktion氏のアルバム『Section80』のレビューも読み落としてはならない出来栄えだが、こうしたテキストそれぞれが呼応し、繋がった長いテキストのようにも読める。これは本書を保存版として買うべきだと考える理由だ。

 要約は往々にして反知性的のみならず能動的な知性のありように対し侮辱的であり、フェイクニュースは私たちから言葉を奪う、つまりはナルシズム傾向と親和性が高い。だからもっともっと、アニメやマンガについて、もしくはラップについて、つまり私たちの環境である、私たちを取り巻く下位文化についてのもっと長く連なった言葉を読んでいきたい。(荏開津広)

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