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『鬼滅の刃』炭治郎がカナヲの心に起こした“変化” 童磨戦後の涙が伝える、人としての成長

リアルサウンド

20/4/19(日) 8:00

 漫画『鬼滅の刃』で、主人公・竈門炭治郎の同期として登場するミステリアスな少女、栗花落カナヲ。恵まれた眼と才覚を持つが、その生まれは非常に貧しく、飢えと虐待のため目の前で兄弟が死んでいく過酷な幼少期を過ごした。彼女には、血の繋がりがない2人の“姉”がいる。上の姉は胡蝶カナエ。鬼殺隊最強と言われる“柱”の1人、花柱として活躍したが、17歳の若さで童磨という鬼に殺された。その死を看取った実の妹、胡蝶しのぶは蟲柱に就任。薬学を研究し、カナエの仇を打つため剣術のみならず毒殺の腕を磨いたが、カナヲの目の前で童磨に取り込まれ、殺された。なお、これは童磨の体に毒を巡らせるというしのぶの計画の一部。駆けつけたカナヲは嘴平伊之助の協力も得て、見事童磨にトドメを刺した。

参考:『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ、美しき「毒娘」の魅力とは? 陰と陽の混じりあった“個性”に迫る

 ”胡蝶三姉妹”と呼ばれ人気の高い3人だが、カナエとしのぶ、そしてしのぶとカナヲ、この2組には大きな違いがある。それは、残す者に想いを託したかどうかだ。

 カナエは死の間際、しのぶに童磨討伐を託さなかった。そして鬼殺という過酷な世界から離れ、一般人として安寧に身を置くよう願った。対してしのぶは、カナヲを不可欠な戦力に組み込んだ上で、童磨討伐の作戦を練っていた。これはカナヲがしのぶと違って、剣術の才覚に恵まれていたからだろうか。いや、自分は命を賭しながら、一方でカナヲの視力を心配するしのぶのことだ。きっとどれほどカナヲが強かろうが、彼女はカナヲの身を案じていたと思う。

 では、カナヲにとっても童磨は仇であるから、同志として迎えたのだろうか。これも少し違うと思う。もしそうなら、童磨を倒す可能性を少しでも上げるため、1年かけた藤の花の毒の摂取をカナヲにもさせただろう。何より、もっと期間に余裕を持って作戦を共有し、対童磨を意識した訓練を積むはずだ。

 なぜ、しのぶはあのタイミングで、カナヲに作戦を告げたのか。それは、カナヲが技術面だけでなく、精神面の成長を遂げたからではないだろうか。

 冒頭に書いた通り、カナヲの幼少期は悲惨なものだった。幼い心の無意識での自衛だったのか「ある日ぷつんと音がして 何もつらくなくなった」という経験を経て、全てがどうでもよくなり、それゆえ自分の頭で決められない人間となったという。その状態で、姉達に出会い、鬼殺隊に入った。なお単行本19巻に収録されている「大正コソコソ話」によると、鬼殺隊に入ったことは本人の意志だったが、それを周りに伝わるように示してはいなかったようだ。

 自分で物事を決められないカナヲのために、生前のカナエは、1枚の銅貨を渡した。どうすれば良いかわからないとき、銅貨を投げ、表裏どちらが出たかで決めればよい、という配慮だ。これは、当時のカナヲには良かったのかもしれない。だが、「銅貨を投げて決めればいい」という心の補助輪は、カナヲの精神の成長を止めていた。そこへ現れたのが竈門炭治郎だ。彼はカナヲの銅貨を投げ、「表が出たらカナヲは心のままに生きる」と宣言。そして本当に表を出し、彼女に自分の心の声をよく聞くよう促した。あくまでカナヲが大切にしていたルールの中で、優しく補助輪を外したからこそ、彼女は自分のペースで漕ぎ出すことができたのだろう。彼女はこの出来事以来、銅貨を投げなくなり、それはカナヲが一人の人間として生まれ直すきっかけでもあった。

 さて、そのようなきっかけを経て、カナヲはストーリーの随所で感情や意志を表すようになっていく。特に大切な人に対してはそれが顕著になるのだろう。しのぶとの会話の中で「もっと師範と稽古したいです」と自分の要望を伝えたり、その後、童磨戦に向けた決死の計画を聞くと(嫌だ 嫌だ……)と困惑したりする。昔のカナヲのままだったら、自分から稽古したいなどと言わず、計画には何の感想も抱かず従っただろう。

 カナヲが自分の意志や感情を持ち、それを周りにも出すようになっていることは、長い時間をともに過ごしたしのぶが最も強く感じていたはずだ。だからこその「やはり良い頃合いだわ 私の姉カナエを殺した その鬼の殺し方について 話しておきましょう」というセリフだったのではないだろうか。

 そして童磨戦の最中、しのぶが役目を果たして死に、カナヲ1人が立ち向かっている所に、同期の嘴平伊之助が登場する。「カナヲと伊之助は同期だから」「伊之助と童磨は実母をめぐっての因縁があるから」。そういった背景ももちろんあると思うが、カナエ・しのぶの弔い合戦のパートナーが伊之助だったのにはもう1つ、理由があると思う。

 カナヲが、尊厳ある一人の人間として生きていくための、最後の成長。それは、悲しいことがあったとき、心に傷を負うことだ。物心つく前から、心に傷を負わなくなっていたカナヲ。もちろん人生において、傷つくことはなるべく少ない方が幸せなのかもしれない。それでも、どんな人でも、悲しみにぶつかる瞬間はある。そんなとき、その悲しみに向きあい、自分なりの方法で克服する、いわば儀式が必要だ。カナエが死んだとき、カナヲは泣けなかった。あのとき彼女が抱くはずだった感情はどこへ行ったのか。「みんなは泣いていたのに、自分だけ泣けなかった」という罪悪感として残り続けていた。

 一方の伊之助は、いつも自分の感情に素直で、作中で泣いている描写も多いキャラクターだ。猪のかぶり物をしたままとはいえ、人前で豪快に泣き、それを恥じる素振りはない。童磨撃破後、伊之助は母を想い、カナヲはカナエ・しのぶ想い涙する。偶然かもしれないが伊之助がここだけ、猪頭をかぶらず素顔のまま泣いたことに、作者が何らかの意味を込めているとしたら……やはりここでカナエと共闘するのは伊之助でなければならなかったと思う。2人がそれぞれ喪失に傷つき、そして乗り越えるための、大切な儀式だったのではないか。他人を想って泣けなかったカナヲは、人前で他人を想って泣くことができる伊之助のおかげで、最後の一歩を踏み出せたのではないか。

 童磨討伐という悲願を達成するために、確かにしのぶの死は決定事項だったのかもしれない。けれどその死によって、カナヲは物心ついて以来、初めて心から傷つくことができたのである。

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