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ユーミン自身が語る“アルバムとその時代”

『ひこうき雲』1973年

全8回

第1回

18/11/29(木)

シンガーソングライターとしての自覚が芽生えたのは、『ひこうき雲』よりずっと後のことでした。作曲家としてのデビューのほうが先だったこともあり、作曲に対する意識は高かったのですが、自分で歌おうとはまったく思っていなかったので。歌うことになったきっかけは、「その声じゃないと、君の楽曲の世界観は出せない。歌いなさい」と、プロデューサーの村井邦彦さんに言われたこと。ただ『ひこうき雲』のレコーディングはとにかく大変でした。ディレクターの有賀恒夫さんがピッチの鬼で、何度も歌い直しをすることになって。当時はパンチイン、パンチアウトがやっと始まった頃で、もちろん編集なんてできない。「ピッチが良くない」と言われ続け、とにかく歌録りに時間がかかったんです。丸1年、ずっと歌っていた印象がありますね。いま思えば、理想とする歌が録れるまで、まわりの大人たちが根気強く待ってくれていたのだと思います。
 当時の私の歌は ──自分で言うのもおかしいですけど、キャロル・キングのような雰囲気だったんです。声質もそうだし、自然とビブラートがかかるところも少し似ていて。でも、村井さんをはじめとする当時のスタッフは「アストラッド・ジルベルトのような無機質な歌い方のほうが、曲の世界観に合っている」と判断したのでしょう、ノンビブラートで歌うことになって。いま振り返ってみると、その判断は正しかったと思います。

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