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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

「小説」は映画でどう描かれるかー『響 -HIBIKI-』『マイ・ブックショップ』など

毎月連載

第9回

19/3/12(火)

『マイ・ブックショップ』 (C)2017 Green Films AIE, Diagonal Televisio SLU, A Contracorriente Films SL, Zephyr Films The Bookshop Ltd.

 そういうのを選んで観ているからでもあるが、昨年秋から、小説家や本を描く映画が多い気がする。作家の伝記映画もあれば、完全なフィクションもある。伝記映画としては、『メアリーの総て』『ライ麦畑で出会ったら』『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』、架空の小説家の物語が『響 -HIBIKI-』『天才作家の妻 -40年目の真実-』、書店を舞台としたフィクションが『ビブリア古書堂の事件手帖』『マイ・ブックショップ』。ほかにもあったかもしれない。

 上記のなかで完全なフィクションだったのが『響 -HIBIKI-』と『天才作家の妻』。どちらも成功した小説家が主人公で、面白い映画だったが、もどかしさも残った。スポーツ選手や音楽家が主人公の映画なら、走ったり投げたり、ピアノを弾いたりと、その「すごさ」を絵として見せることができる。だが、小説家の「才能」を絵で表現するのは難しい。

『響 -HIBIKI-』(C)2018映画「響 -HIBIKI-」製作委員会 (C)柳本光晴/小学館

 『響 -HIBIKI-』の場合、平手友梨奈演じる高校生が小説を書いて、芥川賞と直木賞をダブル受賞する話だが、ヒロインが書いた小説がどういうストーリーでどういう文体なのか、分からない。そのため、北川景子演じる編集者や評論家たちが受けた「衝撃」が、いまひとつ共有できないのだ。『天才作家の妻』も、ノーベル文学賞を受賞した作家の小説がどんなものなのか、分からない。

 一方、実在の作家であるサリンジャーを主人公にした『ライ麦畑の反逆児』は、あまりにも有名な『キャッチャー・イン・ザ・ライ』についても、けっこう説明する。もちろん作中で全文を読み上げるわけでもないが、どんな小説なのか、読んでいなくても(そういう人はこの映画を観ないだろうけど)分かるようになっていた。

 いずれにしろ、小説の内容を映像で表現するのは難しい。『響 -HIBIKI-』と『天才作家の妻』は、中途半端に架空の小説のストーリーを紹介するようなことはせず、その点は潔い。しかし、映画にのめりこめばこむほど、主人公が書いた小説を読みたくなってしまう。しかし、そんなものはない。架空の小説家を主人公とした映画には、そのもどかしさがある。

英国の田舎町で書店を開いた女性の物語ー『マイ・ブックショップ』

 『マイ・ブックショップ』は1959年の英国の田舎町が舞台だ。そこは一軒も書店がない町だ。そこへ来て、書店を開業した女性の物語である。

 映画のなかには、何冊かの実在する小説が「本」として登場する。人物を動かす役割となるのが、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』と『たんぽぽのお酒』、ナボコフの『ロリータ』だ。しかし、彼らについての解説も、小説のストーリーの説明もない。

 知らない人には、どんな作家でどんな小説なのか分からないだろう。その意味では観る人を選ぶ映画だ。この映画を観る人の全てが出てくる小説を知っているわけではない。登場人物たちが論じるシーンがあると、読んでいない観客は取り残された気分になるだろう。それを避けるためなのか、この映画では、出てくる本の内容は最低限のことしか語られない。『華氏451度』は、この映画の結末での出来事を予告しているのだが、これも読んでいない人には分からないだろう。

レイ・ブラッドベリ著、伊藤典夫訳『華氏451度〔新訳版〕』(ハヤカワ文庫刊)

 ブラッドベリがデビューしたのが1947年、映画に出てくる『華氏451度』は1953年、『たんぽぽのお酒』は1957年の作品だ。この時点でのブラッドベリは、あくまでSF、ファンタジーの作家である。

 ナボコフの『ロリータ』は、フランスで発売されたのが1955年、アメリカでは58年、イギリスはさらに遅れて1959年、そう、この映画が舞台としている年だ。『ロリータ』はいまでこそ古典のひとつだが、発表当時はポルノだと批判された「悪書」である。

 この映画は『華氏451度』も『ロリータ』も、まともな文学扱いされていない時代を背景としているのだ。

 現在の視点からすれば、こうした小説をお客さんに薦めている書店主は「文学が分かっている人」「良書の目利き」となるが、もし本当に、当時こういう本を薦める書店主がいたら、かなり「変わった人」だったと思う。だが、『マイ・ブックショップ』では、ブラッドベリやナボコフという異端の新しい文学が分かる書店主と、その顧客の2人だけが、この映画の登場人物の大人のなかで、まともなのだ。

 もうひとり、まともな人物が出てくる。店でアルバイトをしている小学生の女の子なのだが、彼女は「本を読まない」というキャラクターだ。つまりは、無垢なのだ。その町では、異端文学の理解者と文学の知識が何もない子供だけがまともなのだ。これは、何のメタファーだろう。

『マイ・ブックショップ』(C)2017 Green Films AIE, Diagonal Televisio SLU, A Contracorriente Films SL, Zephyr Films The Bookshop Ltd.

 小説家や書店主が主人公の映画がある一方で、日本の書店の数は減る一方だ。イギリスの事情は詳しくないが、日本では昨年(2018年)に新規開店した書店は全国で84店。それに対して閉店した書店は664店で、差し引き、マイナス580である。1980年代半ばに約28000店あった書店は1万あるかどうかにまで激減した。

 書店が一店もない市町村は全国で420前後あり、これは市町村数の24%ほどにあたる。つまり、市町村の4つに1つは書店がない。東京にいると実感がないが、これが現実だ。

 『マイ・ブックショップ』は1959年の物語だが、60年後の2019年の日本の物語でもある。このまま書店が減り続ければ、数年後には、ブラッドベリが『華氏451度』で描いた世界、「本と書店のない世界」がやってくる。そのとき、書店を開業しようという女性は現れるだろうか。

作品紹介

『響 -HIBIKI-』(2018年・日本)

2018年9月14日公開
配給:東宝
監督:月川翔
出演:平手友梨奈/アヤカ・ウィルソン/北川景子

『天才作家の妻 -40年目の真実-』(2018年・スウェーデン=米=英)

2019年1月26日公開
配給:松竹
監督:ビョルン・ルンゲ
出演:グレン・クローズ/ジョナサン・プライス/クリスチャン・スレーター

『マイ・ブックショップ』(2017年・英=スペイン=独)

2019年3月9日公開
配給:ココロヲ・動かす・映画社 ○
監督・脚本:イザベル・コイシェ
出演:エミリー・モーティマー/ビル・ナイ/パトリシア・クラークソン

『華氏451度〔新訳版〕』

発売日:2014年4月24日
著者:レイ・ブラッドベリ
訳者:伊藤典夫
ハヤカワ文庫刊

『たんぽぽのお酒』(ベスト版)

発売日:1997年8月1日
著者:レイ・ブラッドベリ
訳者:北山克彦
晶文社刊

『ロリータ』(新潮文庫)

発売日:2006年10月30日
著者:ウラジーミル・ナボコフ
訳者:若島正
新潮社刊

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』(毎日新聞出版)、『世界を動かした「偽書」の歴史』(ベストセラーズ)、『松竹と東宝 興行をビジネスにした男たち』(光文社)、『1968年』 (朝日新聞出版)、『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』(KADOKAWA)など。

『サブカル勃興史 すべては1970年代に始まった』
発売日:2018年11月10日
著者:中川右介
KADOKAWA刊

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