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ダルデンヌ兄弟とイオセリアーニ監督の共通項とは “個と社会”の在り様を見つめる4作品を解説

リアルサウンド

20/10/31(土) 18:00

 サブスク系ミニシアター、ザ・シネマメンバーズで配信される作品を解説する連続企画。11月の今回は、ダルデンヌ兄弟とオタール・イオセリアーニの4作を紹介する。

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ダルデンヌ兄弟とイオセリアーニについて

 ベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(兄は1951年生まれ、弟は1954年生まれ)。旧ソ連のグルジア共和国(現ジョージア)出身で、パリに拠点を移しているオタール・イオセリアーニ(1934年生まれ)。

 フランス語の使用、さらに素人俳優を好む――などといった共通点を有するものの、およそ作風も世代も異なるこの2組の映画作家を併記した時、果たしてどういったイメージが浮かんでくるか?

 ダルデンヌ兄弟は厳しい現実をストイックに描いているが、まだ未確定な若い世代に未来への可能性を託し、主人公が何を選択するのかを見定め、その変容にかすかな希望の光を見出す。

 イオセリアーニはおおらかで楽観的な雰囲気。だがそこには反体制や社会的なテーマが盛り込まれ、物質主義への痛烈な批判があり、窮屈に縛られた既成の価値体系の向こう側へと誘ってくれる。

 一見対照的な作家なのだが、ともに「個と社会」の在り様を厳しくも優しい眼差しで見つめ、生身の人間性をつかもうとする肯定性への意志で共通しているのではないか。

 そんな現代の名匠たちに通底する精神を知れる今回のプログラム。彼らの個性を堪能できる傑作の4作を紹介したい。

『イゴールの約束』(1996年)

 ダルデンヌ兄弟の「型」が定まった一本。数々のドキュメンタリーを撮ってきた彼らがフィクション(劇映画)の道に転じ、初めて納得のいく製作環境で作り上げた長編3作目。音楽(劇伴)を使わず、手持ちカメラを用い、簡素ながら練り込まれた物語や設計に生命を宿らせていく。その後のダルデンヌ兄弟のみならず、どれだけ後進の映画作家たちがこの「型」をテンプレートとして重宝してきたか!

 主人公のイゴールは15歳の少年。彼は不法移民の斡旋売買を行う父親を手伝っている。この違法な仕事で生計を立てるシングルファーザーのもとで少年の世界把握や視野は狭く規定され、盗みを働いても罪の意識がない。

 そんな折、移民局からの査察という切羽詰まった状態で転落事故を起こしてしまったアフリカ移民の男性と、ある「約束」を交わす。イゴールはそれを守るため、初めて父親に逆らい、自主性を伴った果敢な行動を起こしていく。

 ベルギーという移民国家の裏側にある闇や澱みに焦点を当てた内容だが、いわゆる告発の態度とは遠い。思春期という未分化の状態にある主人公の「自我のめざめ」が、新しいステージの端緒だと見る。より良い世界のための答えではなく、それを担うべき者たちにバトン(ヒント)を手渡すのだ。

 ネオリアリズモやシネマ・ヴェリテの手法を受け継ぎ、現実の生々しさをストリートのスケッチとして抽出しつつ、作劇はむしろウェルメイドな――端正に構成された物語をソリッドに提示する。無駄のない完璧な作品。イゴールを演じた撮影当時14歳のジェレミー・レニエは、再び主演を務めた『ある子供』(2005年)以降、ダルデンヌ兄弟の作品の常連となっている。
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『ロゼッタ』(1999年)

 今度の主役は孤独な少女。『イゴールの約束』の「型」を尖鋭的な強度にまで高め、おそらくダルデンヌ兄弟の全作品中でも沸騰点と呼べるボルテージに達した長編4作目だ。

 林の中のキャンプ場にあるトレーラーハウスで、酒浸りの自堕落な母親と暮らすロゼッタは、ある日、何の理由もなく工場をクビになってしまう。

 突然失業したうえ、母の面倒も見なければいけない重圧が少女にのしかかる。そんなロゼッタに、ワッフルスタンドで働く青年リケが、優しい心遣いで援助の手を差し伸べるのだが……。

 常に戦闘状態の顔つきをしているロゼッタは「ライオットガール」のひとつのアイコンとも言えるだろうか。貧困と毒親に苛まれる苛烈な環境で孤立しながらも、世界の淵に踏ん張って社会に挑み続ける彼女。しかし必要なのは怒りよりも、柔軟な扶助の「つながり」である……これは『万引き家族』(2018年/監督:是枝裕和)など、世界的に格差が広まる中で、現在も重要性がどんどん増している主題だ。

 本作は公開当時、社会現象を巻き起こし、本国ベルギーでは「ロゼッタ・プラン」(ロゼッタ法)という青少年雇用のための負担を軽減する法律が成立した。「映画が現実を変えた」好例。そして第52回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールと、主演のエミリー・ドゥケンヌが女優賞のW受賞。以降、ダルデンヌ兄弟は同映画祭の常連受賞者(というか、ほとんど無双の覇者状態)になっていくが、むしろ『ロゼッタ』の作風が21世紀の「カンヌ・ライン」の傾向を決定づけたという方向で、その影響力を見るほうが興味深い。
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『汽車はふたたび故郷へ』(2010年)

 オタール・イオセリアーニの核にあるのはアナーキズムである。最初期の『四月』(1961年)や『落葉』(1966年)をはじめ、旧ソ連体制下でずっと自作が上映禁止の憂き目に遭ってきた彼(それでも本人は「私はいつもやりたいことを何とかやっていましたよ」と優雅に嘯くのだが)。イオセリアーニが説く「幸福論」とは、常に社会のコードから外に出るというラジカルさを含んでいる。ただしそれを扇動的ではなく、まろやかな味わいでそっと差し出すのだ。彼の作風は「ノンシャラン」(のんき)との言葉でよく形容されるが、チルアウトしながらドロップアウトに心地よく導いていく「穏やかな過激さ」が彼の特質である。

 本作はそんなイオセリアーニの自伝的要素を込めた異色かつ貴重な一本。グルジアに生まれ、映画監督になった主人公ニコの奮闘を描く。ソ連では検閲や思想統制に縛られ、自由を求めてフランスに渡ると、商業主義を振りかざすプロデューサーとの闘いに苦戦する。それでもニコは自分の意志を頑なに貫いていく。

 『素敵な歌と舟はゆく』(1999年)や『月曜日に乾杯!』(2002年)といった「ノンシャラン」な人気作の裏にある、作家の硬質な精神を知ることができる青春譚だ。原題の“Chantrapas”(シャントラパ)とは「役立たず」「除外された人」の意味。ニコ=自分のような亡命した映画作家たちを指している。
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『皆さま、ごきげんよう』(2015年)

 登場人物は全員変わり者。社会の周縁でたくましく、しなやかに生きる者たちへの人間賛歌。「集大成」という言葉を使ってもバチは当たらないであろう、イオセリアーニの真髄がぎゅうぎゅうに詰まった充実作だ。

 物語はフランス革命の様子に始まり、別の時代の戦地から、まもなく現代のパリに飛ぶ。そこもまた盗みや貧困に溢れる、混乱に満ちた世界。とあるアパートには、武器商人を陰で営んでいるという噂の管理人リュファスや、頭蓋骨の収集が趣味である人類学者のアミランらが住んでいる。彼ら悪友のふたりは、ホームレスたちの強制撤去に対する反対運動に参加するのだが……。

 なにげに歴史を俯瞰する視座は、グルジアの中世から内戦時代までを往還する『群盗、第七章』(1996年)を彷彿させる。日常の淡々とした営みを見つめながら、軽みと陽気さ、反骨と風刺を同居させる独特の世界像は、やはり完全に健在だ。

 「家を奪うな。隣人を愛せ」という劇中のスローガンにも顕われているように、イオセリアーニの人間主義は「制度による抑圧」を最も嫌う。彼は綿密なストーリーボード(絵コンテ)を描いて、周到に映画を設計するタイプだが、しかし決してクローズアップや切り返しを使わない。それは人間の営みを操作して、分断する手法だから。この「外柔内剛」な名匠の姿勢は驚くほど思想的に一貫しているのである。
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■森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「週刊文春」「メンズノンノ」「映画秘宝」などで定期的に執筆中。

■配信情報
『イゴールの約束』『ロゼッタ』『汽車はふたたび故郷へ』『皆さま、ごきげんよう』
ザ・シネマメンバーズにて配信中
ザ・シネマ公式サイト:https://www.thecinema.jp/

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