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大林宣彦監督が82歳で死去 新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開予定日に

リアルサウンド

20/4/11(土) 10:45

 映画監督の大林宣彦さんが、肺がんのため4月10日19時23分に東京・世田谷区の自宅で死去した。82歳だった。

参考:大林宣彦監督の圧倒的な執念ーー『花筐/HANAGATAMI』の幻惑的で自由な映画世界

 2016年8月にステージ4の肺がんと診断され、余命3カ月の宣告を受けたが、転移を繰り返すがんと闘いながら、自らの命を削って映画製作を続けた大林監督。闘葬儀・告別式は、家族葬(密葬)を執り行い、後日、お別れの会を予定している。喪主は、妻で映画プロデューサーの大林恭子が務める。

 1938年に広島県尾道市で生まれた大林監督は、3歳のときに自宅の納戸で見付けた活動写真機と戯れるうちに映画作りを開始。テレビCM草創期にはチャールズ・ブロンソンの「マンダム」をはじめ、カトリーヌ・ドヌーヴなど多くの外国人スターを起用し、CM作品数は3000本を超えた。1977年に『HOUSE/ハウス』で商業映画に進出。自身の古里・尾道を舞台にした『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)は“尾道三部作”と称され、世代を超え親しまれ、今も新世代のクリエイターへ大きな影響を与え続けている。

 近年には、“大林的戦争三部作”となる『この空の花-長岡花火物語』(2011年)、『野のなななのか』(2014年)、『花筐/HANAGATAMI』(2017年)を発表。『花筐/HANAGATAMI』は、第72回毎日映画コンクール日本映画大賞、第33回高崎映画祭特別大賞など様々な賞を受賞した。大林監督個人では、2004年春の紫綬褒章受章、2009年秋の旭日小綬章受章、そして2019年に令和初の文化功労者に選ばれている。

 大林監督が他界した4月10日は、奇しくも最新監督作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』の公開予定日だった。なお同作の公開は、新型コロナウイルスの影響による映画館休館のため、公開延期となり、近日公開を予定している。『海辺の映画館』公開に向けて大林監督が寄せていたコメントは以下のとおり。

【『海辺の映画館―キネマの玉手箱』公開に向けての大林宣彦監督のコメント】
「自由に生きよ、それが平和の証だ」と父に言われ、当て所も無く18歳で上京した僕に、形見代りに持たせてくれた8ミリ映画を用い、銀座の画廊の一角で自作の8ミリ映画を上映した所、「新しきフィルム・アーチスト誕生」と世界から認定され、以降60年間テレビCM演出を資金に個人映画を創り続けて来ました。
東宝映画からの招きで、門外漢が初めてメジャーの撮影所内で撮った『HOUSE/ハウス』から、ジャンルを選択すれば如何なる純文学も商業映画になり得ると学び、あの太平洋戦争の純真な軍国少年であった体験を元に、様々なジャンルの映画にその思いを潜めつつ「厭戦映画」を作り続けて来ました。
「売れない作家の女房になる覚悟」で61年間、僕の映画を支え「私が最初の観客よ」と世界と僕の映画を結びながら共に生きて来た大林恭子と、11歳で『HOUSE/ハウス』の原案者に名を連ねた長女千茱萸、ご亭主の絵の作家森泉岳土、そして親しい旧・新の世代の仲間たちと、今日も映画作りに励んでおります。
時代はいつか、個人映画ばかりになり、僕が願った映画作りの世になりました。その個人の自由と権力者の不自由の証を、愉しんで下されば、と。僕の正体が炙り出されれば、愉しいかな。

(リアルサウンド編集部)

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