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佐々木敦&南波一海の「聴くなら聞かねば!」 6回目 後編 作家・朝井リョウとアイドルシーンの多様性を考える

ナタリー

「聴くなら聞かねば!」ビジュアル

佐々木敦と南波一海によるアイドルをテーマにしたインタビュー連載「聴くなら聞かねば!」。中編に引き続き、悩めるアイドルファンである小説家・朝井リョウをゲストに迎え、最新の長編小説「正欲」で描かれている“多様性”というテーマをヒントに、社会やアイドルシーンに横たわるさまざまな問題について語ってもらった。

構成 / 瀬下裕理 撮影 / 臼杵成晃 イラスト / ナカG

その子の人生が買えるわけじゃない

南波一海 朝井さんの「正欲」(3月に発表された作家生活10周年記念の長編小説)も読ませていただいたんですが、今日お話を聞かせていただいて、すごく複雑に人の存在や在り方を考えていらっしゃるから、こういう作品ができあがるんだなと感じました。自分が理解できない人って世の中には確実に存在していて、そういう人たち自身もどこかで誰かとつながりたいと思っている。でもそうは思っても、「自分は誰にも理解もされないだろう」とあきらめているような部分もある。そういう複雑な状況を含めて、あらゆることが存在しているんだということを改めて考えさせられた気がします。

佐々木敦 昔のアイドルヲタクもそうですもんね。みんな孤独で、「俺の趣味なんて誰もわかってくれない」と思っていたのが、ネットが普及して他者とつながれるようになった。

南波 そうですね。で、自分と同じ感覚の人たちとつながることで、かえって自分の考えとは違う、いろいろな人がいるんだということにも気付く。それを本当の意味で理解していくと、マジで何も言えなくなっていくという。

朝井リョウ 読んでいただきありがとうございます。「ここにチューニングしなきゃ」という絶対的な対象がなくなることによって、心地よさと不安、どちらも同時に訪れることになるんだろうなと思います。

佐々木 僕は普段、朝井さんとなんちゃんが卒業した大学の院で授業をしているんですが、先日「正欲」の書評を「文學界」という文芸誌で書かせてもらったこともあって、「正欲」を課題にして学生と一緒に読んでみたんです。そうしたら授業がものすごく盛り上がって。

朝井 本当ですか? 怖さとうれしさが半々です。

佐々木 最近は多様性という言葉をみんな口にしていますが、それって結局はさっきも言ったように「俺の多様性」でしかないから、ある人の考える多様性の定義は、本当の多様性の部分集合でしかない。じゃあどこまでが多様性として認められるのかと学生たちと考えていました。で、これはネタバレになってしまうけど、「正欲」の話に登場する人物は、自分の特殊な性癖を隠すために、別の性癖を持っていると偽るんですよね。僕らは最初、カムフラージュするために装った性欲のほうが社会的にはキツいんじゃないかと思ったんですが、最後まで読んでみたらそうじゃなかった。大多数の人が思う“普通”は、少数派の人にとっては“普通”じゃないし、その逆もまた同じなのに、自分が生まれながらにマーキングされている価値観が正しいと思い込んでいることに気付けないんですよね。そのことと、今日お伺いしたアイドルに対する朝井さんの考え方はつながっていると思うんです。結局は自分で自分のことを決めたいんだけど、そうさせてくれない社会があったり、自分で選べない生まれ持っての特性や本能があったりして、それらの間でたくさん悩まなければならないという。

朝井 馬の交尾の映像とか調べると、その激しさに圧倒されると同時に、でも人間も馬と同じ動物なわけで、これぐらいの衝動を抱えながら人間社会で生きていくってマジで難易度高いじゃんと思います。今は次作のために、人間と動物の共通点と相違点を勉強したりしています。「正欲」という小説には、当事者たちが自身の欲望と主体的に向き合うという展開が後半にならないと出てこないんですが、今はあらゆる形で欲望を抱えている人に対して具体的なサービスがたくさんある。そういう様子を見ていると、自分の外側にある多数派や社会にチューニングを合わせなければいけない理由はどんどんなくなってくるだろうなと感じています。ただアイドルの話に戻すと、1つのグループを存続させていくには資金が必要で、資金を稼ぐためには自分の外側にあるものへのチューニングをまったくしないわけにもいかないんだろうなとも感じます。

佐々木 アイドルに一種の処女性みたいなものを求めてしまう人はどうしてもいるし、そういう気持ちを責め切れないから難しいというか。とあるアイドルが葛藤の末、「自分は誰々と付き合っています」と公表した途端、いろいろなものを失うかもしれない。でもそれでもついて来てくれる人がいたら、その中で活動していくという世界が実現するといいなと思います。その理想形の1つとして「武道館」の結論はあったのかなと。

朝井 「武道館」の結論は、自分の外側、つまり社会のほうがガラッと変わっていますからね。ただ、どんな社会に変わっていったとしても、資本主義の世界である限り、結局はその時点での多数派の欲望から叶えられていくんですよね。いろいろ好き勝手言っていますが、結局グループを存続させるには資金が必要で、私のような人間はCDを10枚とか買うわけではない。それに後ろめたさを感じる反面、CDを10枚買う人ばかりをあてにし続けていいのかという問題も根深いですよね。

南波 それはよく言われますね。「外野はいろいろ言うくせに結局お金出してないじゃないか」って。

朝井 1人の外野として、本当にその通りだなと思ってしまいます。

南波 そうなんですよね。でも、お金を出したらそのアイドルの人生を買っていいのかというと、それも違うとやっぱり思うわけで。

朝井 私もそうです。というか、何に関しても、お金を出した人とお金を受け取る人の関係性がはっきりと見える状況は怖いです。例えば車を買うとして、自分が払ったお金が自動車メーカーの誰にどれくらい入ってるかとかわからないじゃないですか。だからこそ安心というか、誰の税金で作られたかわからないからこそ公共施設を気兼ねなく使えるみたいなところがあると思うんです。お金を出した人とお金を受け取る人の間の道筋が見えづらいというか、お金の匿名性が高い状態でグループが運営されていてほしいという気持ちがあります。

佐々木 アイドルの現場はどんどんその間をなくしていく方向に向かってますよね。握手やチェキにいくらとか、投げ銭システムとか、リアルでダイレクトな資本主義というか。コロナ禍でそれが無理矢理止まったことで、逆にみんな冷静になれるというのはあるかもしれないけど。

南波 でも、コロナ以降も形を変えながら続いているという印象です。やっぱり強固なシステムだなと。

朝井 それでこう、お互いがそれで納得して成り立っているのであれば、こちらは何も言う権利ないですけど……ってまた黙ってしまう。

南波 結局何も言えない(笑)。

佐々木 何も言えないという結論になりがちですね。

南波 そうなんです。この連載を始めて、強い意見を言えば言うほどその分強い反発もあるじゃないですか。俺はSNSで感想を見るので、それなりにダメージを負ったりもしますし(笑)、そうしながらも「そういう考えも確かにあるよな」と納得することもあるんですよね。

未来の誰かのために立てる旗

佐々木 冒頭で朝井さんが、「最近アイドルの子を応援する自分のスタンスに悩んでいる」とお話されてたじゃないですか。それは僕もどこかで考えていたことでもあったんですが、例えばアイドルを応援することに対する自分の考えや態度を何かしらの形で表明することによって、周りから何かが絶対に返ってくると思うんですよね。同意の声や、反対意見、それともまったく違う声が飛んでくるかもしれない。そういうものをフィードバックしていって、自分を変えていくこともできると思うんです。もしかしたらそれは自分がどんどん追い詰められているような感覚になるかもしれないけど、その先にさらなるブレイクスルーがあるとしたらいいことだというか。

朝井 なるほど。

佐々木 僕は先日、雑誌「BUBKA」で南波くんにインタビューされてEMPiREの話をしたんですが、Twitterで「俺のほうが佐々木敦よりもEMPiREのことをわかっている」というツイートを見つけて。「それはそうだよ。あなたのほうが絶対にわかっているよ」と思いましたが(笑)、そういう意見が出てきたことに対しては、僕の中の“好き”を表現したことでその人にとっての“好き”が見えて、それによって自分の“好き”を改めて把握できたんじゃないかと思って。例えば、誰かが何かを激しく好きだと言ったときに、別の人からは「その好きは歪んでいる」と思われるかもしれないけど、「それって自分がこういう考えだから、この人の考えが歪んで見えているだけなんじゃない?」と見えてくるというか。主観はあくまで主観であって、絶対的な正しさや考え方って必ずしも自分の中にあるわけではないということも、朝井さんは「正欲」という小説で書かれていたと思うんですよね。

朝井 確かにそうですね。私は純文学でなく大衆小説畑の人間なので、より「たくさんの人が共感できるものを書かなきゃ」と思うんです。でも、書けば書くほどその難しさが身に染みます。「正欲」は、多くの人に共感してもらうことをはなからあきらめて、視野の狭い人がいっぱい出てくる作品を目指しました。同時代を生きるさまざまな人を乗せる大きな船を作るより、この時代にはいろんな形の波があった、ということを書くほうが今の私にはしっくりくるのかもしれません。自分だけの主観、自分だけの狭い視野でモノを作ることがずっと怖かったんですけど、「こういう時代にこういう小説があった」ということをいつか誰かが見つけてくれますように、という気持ちで書こうかなと。結果、今の時代からしたら最低最悪な語り手が生まれるかもしれないけど、それを書き残しておくということに意味を見出したいです。とはいえ現実の人間を相手にする南波さんの場合は、目の前の人に対して狭い視野のままインタビューするのはダメなんですよね。

南波 そうですね。自分とは別の意見が他人から立ち上がったとき、「じゃあ自分はこれからどうしようかな」と考えないと。一方で自分はこの仕事に面白みを感じていますし、もっと言ってしまえば世の中をよくしたいと思いながらやっているけど、それって正しくないんじゃないかと思うときもあったりして。「じゃあどうするの? 自分」みたいな。

佐々木 答えはないですよね。

南波 この連載についてはアイドルシーンの抱えている問題点みたいなものを少しでもよくしたい気持ちもあるけど、やっぱり変わらないんじゃないかと考えたり。

佐々木 よくなっているか、なっていないか、俺にはわからないんですけど、やっぱりよくはなっていないんですかね?

朝井 全然変わっていないと思いきや、10年単位、100年単位で見ると牛歩で変化しているのかもしれないですよ。

南波 確かに。そしてそういうときにいつも思い出すのは、和田彩花さんの先まで見据えた姿勢で。今と向き合いながら、5年後、10年後のことまで想像して発言していると思うんです。その気持ちで自分も揺らがないようにしようと思ってるんですけど。

朝井 善悪って、時間をどこで区切るかによって変わってきますよね。今やっていることが10年後に「正しかった」となっても、50年後には「間違ってた」となるかもしれない。だけど100年後に「やっぱり正しかった」ってなったりもする。絶対的に正しいことはきっとないので、そうやって繰り返していくしかないんでしょうね。

南波 そうですね。なんにも言えねえという気持ちもあるけど、それでも何かは言わなきゃならないし。

朝井 未来の誰かのために旗を立てておくみたいな感覚ですかね。「この時代にこういう意見がありました。10年後、50年後、100年後に誰か判断してみてください」って。

佐々木 それが将来、自分が間違っていたことに気付くきっかけになるかもしれないし。

南波 うん、確かに。

小説が果たせる1つの役割

佐々木 最後の質問になるんですが……僕がすごく聞きたかったのが、朝井さんは「武道館」を書かれてから6年、そのあとに今年「正欲」を発表されて、もし仮に今「武道館2」的なものを書くとしたら、どんな内容になるでしょうか? 例えば6年前に「武道館」を書いていなくて、「武道館」的なアイドル小説を今書こうとしたら、実際に存在している「武道館」とはどんなところが違ってきますかね?

朝井 今書くとしたら、「作者はいったいどの子の目線なんだろう?」と思わせる構造にしそうです。もっとるりかについて書くページを増やして「作者はるりか側の意見の人なのかな?」と思わせたり。それぞれの登場人物の視野をもっと極端にして、いろんな極端がある、という書き方をしそう。さっきも少し触れましたけど、「この時代にこういう考えがあったんだ」いう感じで、ジャッジを未来の誰かに託すというか。それぐらい今、私は自分を信頼してないということなんですけど。

佐々木 へえー。それだと最初に話していたオーディションやリアリティ番組が大好き、みたいなテンションからも、けっこう変わっていくんじゃないですか?

朝井 ああいうバトルはたぶんずっと好きで、これからも観ちゃうと思います(笑)。

南波 人間味があるなあ。複雑な感情が同居している。

佐々木 多視点的なスタンスで書いていきたいということ?

朝井 なんでしょうね……小説って何かを導くという気概が強いジャンルでもあるので、昔の自分が本当にそうしたいと思っていたのか思わされていたのかわからないまま、なんとなく「社会を一歩前へ」みたいな気持ちで書いていたところはあったと思うんですけど、もう少し純粋な気持ちで文章を書いてみたいという気持ちがあります。「この人の言ってること全っ然わからんわー」とか思いながら台詞を書いてみたいというか。本当に世の中って10年単位でもガラッと変わるなと思うようになったので、じゃあ1回、社会のこととか全然考えずに書いてみては?みたいな。

佐々木 なるほど。

朝井 この時代にこんなことを考えて小説にした人がいる。それでいいのでは、というシンプルな気持ちが芽生えてきた感じです。宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」(2020年7月発表の長編小説)を読んだとき、いろいろ考えました。たぶん500年後に2020年の日本の資料をたどったら、コロナのことばっかりじゃないですか。でもこの時代に、死ぬほど推しを推していた人がいたということが、あの小説によって残るんですよね、きっと。「小説って、『ここにこんな芽があったよ』ということを残せるんだ」と「推し、燃ゆ」を読んだときに強く感じて、それは小説が果たせる1つの役割なのかなと。それからは、「社会を書けているか」とか、「社会にとっていい小説か」みたいな意識を薄めてみたくなっているんですよね。

南波 そうなんですね。今のお話を聞いて自分の過去のインタビューもあんまり否定しないようにしようと思いました(笑)。

朝井 あははは。南波さんのインタビュー、いつも素晴らしいなと思って読んでいますよ。

南波 いや、過去に病み上がりで疲れているであろう人に、今思うと強めにインタビューしてしまったなと思うことがあって。

朝井 そういう記憶があるんですね。

南波 今は端的に言うと、イジるノリみたいなものが本当に嫌なんですが、一時期それが面白いという流れに乗ってしまったんです。

佐々木 僕もそうだけど、反省を重ねる日々ですね。インタビューのトーン、その頃とはだいぶ変わったんじゃない?

南波 だいぶ変わっていると思いますよ。この間雑誌「CD Journal」で仕事したとき、編集長にも言われました。インタビューが終わったあと「南波さん、今日はわりとオーソドックスでしたね」って。

朝井 はははは。

佐々木 今日の朝井さんとのお話、これまでの連載ゲストの方のお話とも通ずる部分がありつつ、とても新鮮でした。いつか「武道館2」が発表されることを楽しみにしています。

朝井 これからどんなものを書くか、自分でも本当にわからないです。今日はありがとうございました!

朝井リョウ

1989年生まれの小説家。2009年に「桐島、部活やめるってよ」で「第22回小説すばる新人賞」を受賞し作家デビュー。2013年に「何者」で「第148回直木賞」、2014年に「世界地図の下書き」で「第29回坪田譲治文学賞」を受賞。2019年、「どうしても生きてる」がApple「Best of Books 2019」ベストフィクションに選出。2020年10月に作家生活10周年記念作の第1弾作品「スター」、2021年3月に第2弾作品「正欲」を発表した。現在雑誌「CD Journal」にて小説家・柚木麻子、ぱいぱいでか美とともにハロプロ愛を語る企画「柚木麻子と朝井リョウとぱいぱいでか美の流れる雲に飛び乗ってハロプロを見てみたい」を連載中。

佐々木敦

1964年生まれの作家 / 音楽レーベル・HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか、さまざまなジャンルについて批評活動を行う。「ニッポンの音楽」「未知との遭遇」「アートートロジー」「私は小説である」「この映画を視ているのは誰か?」など著書多数。2020年4月に創刊された文学ムック「ことばと」の編集長を務める。2020年3月に「新潮 2020年4月号」にて初の小説「半睡」を発表。8月に78編の批評文を収録した「批評王 終わりなき思考のレッスン」(工作舎)、11月に文芸誌「群像」での連載を書籍化した「それを小説と呼ぶ」(講談社)が刊行された。2021年7月よりnoteにて連載「アイドルは沼じゃない」と、“ひとり雑誌”「佐々木敦ノオト」を更新中。

南波一海

1978年生まれの音楽ライター。アイドル専門音楽レーベル・PENGUIN DISC主宰。近年はアイドルをはじめとするアーティストへのインタビューを多く行い、その数は年間100本を越える。タワーレコードのストリーミングメディア「タワレコTV」のアイドル紹介番組「南波一海のアイドル三十六房」でナビゲーターを務めるほか、さまざまなメディアで活躍している。「ハロー!プロジェクトの全曲から集めちゃいました! Vol.1 アイドル三十六房編」や「JAPAN IDOL FILE」シリーズなど、コンピレーションCDも監修。

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