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大瀧詠一がインディーシーンに与えた影響 トリビュートアルバム発売を機に考える

リアルサウンド

18/10/14(日) 10:00

 大瀧詠一作品のトリビュートアルバム『大瀧詠一 Cover Book -ネクスト・ジェネレーション編- 『GO! GO! ARAGAIN』』(12月3日発売)に先立って、11月3日の“レコードの日”にアナログ盤が発売される。

(関連:さようなら大瀧詠一さん 日本のポップ史を変えた偉大な功績を振り返る

 大瀧詠一のトリビュートアルバムはこれまでも折に触れて制作されてきたが、今回注目を集めているのは現在のインディーシーンを彩る若い世代によるカバー集である点だ。本作には、シャムキャッツやayU tokiO、OLD DAYS TAILOR、KEEPON、キイチビール&ザ・ホーリーティッツなど全12組が集まっている。

 大瀧詠一は、しばしば日本でのロックバンドの原点として語られるはっぴいえんどから、ソロ、プロデュース作品に至るまで、日本のポップスに偉大な足跡を残してきた。今の若い世代のミュージシャンから見て彼が魅力的なのは、過去の音楽を歴史の中に封じ込めず新たな角度としてサウンドに取り込み、原点にあたる音楽を再活性化する姿勢と、“商品としてのポップス”に高い美意識を貫いてきたところにあるのではないだろうか。

 優れた音楽研究家・著述家でもあった大瀧詠一が残した有名な文章に、音楽評論家・相倉久人との対談形式で展開した『大瀧詠一のポップス講座~分母分子論~』(共同通信社『FMfan』1983年)というものがある。要約すると、明治以来日本の音楽(日本史)は洋楽(世界史)から輸入されて構築されていた。つまり世界史を分母とし、その上に日本史が分子として上に乗っかる構図となる。しかし時代が進むにつれて世界史が忘却されていき、日本史を分母とした別の日本史が分子として現れ、三層構造となる。そして80年代に入りニューミュージックが台頭するとそのようなポップスの地盤や来歴を問われることはなくなり、世界史と日本史、そして日本史を分母に持った別の日本史が分母を持たず並列となってしまった、という論旨である。大瀧は、地盤が変化するところを見つめることが大事だとし、自身の分母の確認作業をあらゆる角度から行う音楽活動を展開していた。

 特に90年代から現在に至るまで、はっぴいえんどをはじめ大瀧詠一や細野晴臣を象徴的な起源とするバンドは数多く現れているし、多様な音楽を並立的に取り入れ高度に折衷していくことで都会的なサウンドを構築する手法は今の「日本のポップス」の特徴の一つと言ってもいいだろう。そんな「分母分子論」が発表された80年代よりも世界史と日本史の二項対立が機能しなくなっている中で、今回のトリビュートアルバム参加陣には、あえて「分母」への意識を重要視するような大瀧と同じ姿勢を感じるミュージシャンが参加している。

 OLD DAYS TAILORに参加しているOkada Takuro(ex.森は生きている)の『The Beach EP』の仕上がりはA.O.Rに2018年現在のムードをたっぷり吸収させた、特異な浮遊感が漂う最新型の音像になっていた(また制作にあたっては特徴的なシンセ・サウンドとオールディーズを取り入れる方法論において『A LONG VACATION』(1981年)からの直接的な影響も明言している(2018年10月号『レコード・コレクターズ』より))。またSpoonful of Lovin’に参加しているポニーのヒサミツにはカントリーへの憧れを日本のポップスとしてどう表現するかという命題にとことん向き合う気概が感じられるし、bjonsに見て取れる60~70年代のアメリカンポップスの基盤、秘密のミーニーズにあるウエストコーストロック色濃いサウンドとコーラスワークがガロやTHE ALFEEを経由し今にリバイバルさせている姿勢など。まるで「分母分子論」が今一度リセットされたかのように現代の感覚で自らの地盤を掘り起こして確認作業を行い(分母)、どのように参照するかで今に鳴らす意味付けを見出している(分子)ような作品が生まれているのだ。

 また、大瀧詠一は、長らく<ナイアガラ・レーベル>を率い、度々自身の作品を時代と技術の発達に合わせてリマスターして送り出すなど“商品としてのポップス”に高い美意識を貫いてきた。

 そんな美意識の継承という点では、猪爪東風(ayU tokiO)を挙げておこう。自主レーベル<COMPLEX>を率いて同じくトリビュートアルバムにも参加しているやなぎさわまちこ『回転画』のプロデュースからリリースまで関わっている。自身の新作『遊撃手』では楽曲ごとに多彩なミュージシャンを配し、ストリングスを含めた立体的でリッチな音像を試みており、知識や技術がなくともカジュアルに音楽が作れてしまう現代に意識的に抗う姿勢を取っている。またプロダクトコーディネーションとして平澤直孝(なりすレコード)がクレジットされているなど作品に関わった人を丁寧に刻み込む細部へのこだわりは、『風街ろまん』(1971年)で1曲ごとにミキサーの名前まで記載しプロダクションを可視化した大瀧の製品に対するこだわりと通ずるものがある。大瀧詠一のポップスにかける美意識は、今の若い世代のミュージシャンにも、理想的なロールモデルとして確かに息づいているのだ。

 2013年の急逝から早5年。大瀧詠一の音楽とその姿勢は、5年経った今でも過去のものとして歴史の中に封印されることはない。今後も彼の築いてきたものは、本作の参加陣を始めとする新世代の「分母」となっていき、音楽シーンを活性化させていくのだろう。(峯 大貴)

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