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リズムから考えるJ-POP史 第2回:小室哲哉がリスナーに施した、BPM感覚と16ビートの“教育”

リアルサウンド

19/3/31(日) 8:00

 90年代を、いや80年代以降の日本のポップスを代表するミュージシャンでありプロデューサーの小室哲哉。彼の功績を、手がけた作品の売り上げや後続の世代に与えた影響から推し量ることはたやすい。しかし、むしろここで問いたいのは、彼の成功がJ-POPやそのリスナーにどのような影響を与えたかという点だ。坂本龍一は、小室がホストを務めるトーク番組に出演した際、しばしば引き合いにだされる次のような発言を小室に向かって投げかけている。

(関連:J-POP史を考える新連載 第1回:リズムをめぐるアプローチが劇的に変化した2018年

坂本 [前略]TMN時代からヒット曲を作ってきて、ある種日本人の耳を教育しちゃったとこがあるよね。まあ、僕なんてちょっと困るとこもあるんだけど、あまり教育されちゃうと。あの小室流のメロディー・ラインとか、転調とかアレンジも含めて、そのビート感も含めて、先生として教育しちゃったからね。ある層をね。だからそれに引っ掛かるようなパターンを出すと、必ず売れるっていう現象が今起こってると思うわけ。この十年くらいかけてそういう教育活動やってきたんじゃないの?
(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.1』幻冬舎、1995年、pp.172-173)

 この収録が行われたのは1995年5月のことで、まさに小室哲哉の黄金期である(そもそも自身の冠番組を地上波で持っているということ自体、当時の彼の勢いがなせる業だ)。「日本人の耳を教育し」たのではないか、という問いかけに小室は困惑気味に言葉を濁すが、少なくとも90年代の彼がダンスミュージックの啓蒙活動を意識的に行ってきたことは明らかだろう。Bro.KORNとの対談では、そうした意識を垣間見せるところがある。

小室 [前略]まあ、trfもテクノから始まって、いきなりあそこ〔引用者注:「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」〕にいけないじゃないですか?
KORN そうですね。
小室 だから、二年間我慢してというか、二年間かけて移行したって感じですけどね。
KORN で、B.P.M.があそこでトンッと落ちてるっていうのがね……。日本でも世界でも、いわゆるメジャーという部分の仕掛けですかね。いわゆるコアではないところをちょっと突いたな、と。そのへんが微妙にわかっちゃったんで、素晴らしいなって感じで。あのB.P.M.は昔ディスコで遊んでた人間たちを、今に蘇らせてくれるんじゃないかな? テンポって大事じゃないですか。
(小室哲哉『With t 小室哲哉音楽対論 Vol.3』幻冬舎、1996年、p.93-94)

KORN 日本人はまだB.P.M.が速い曲で盛り上がりたいっていうか……土壌なのかもしれないんだけど。
小室 そうですね。日本の環境というのは結局はお酒で盛り上がるっていうか。若い人も。
KORN うん。そうそう。
小室 それが当たり前かつ基本だから。
KORN そういう感じ。でも、小室さんはそれをどんどん遅くしていく状況を作りながらも、日本人がついてきてるのがすごいよね。[後略]
(同上、p.96)

 メインストリームにおけるダンスミュージックの伝道師としての小室哲哉と、彼がリスナーに施した“教育”の実質。まずは、Bro.KORNの指摘を踏まえて、trf(現TRF)を始めとした小室の楽曲群のBPMについて考察をしてみよう。

 グラフ1はtrfが90年代にリリースしたシングル収録曲のうち、小室哲哉がプロデュースした20曲のリード曲に限定したうえで、リリース日を示す時系列をx軸に、BPMをy軸にとった分布図である。この図を見る限り、BPMは当初は140に達することもあった(1993年リリースの「EZ DO DANCE」)が徐々に下降し、小室によるプロデュースの末期である1996年には110~130のあいだに落ち着いていることがわかる。Bro.KORNがBPMの低下を指摘している「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」はBPMが120とディスコ~ハウスミュージックの定番に落ち着いている。BPMが130から140のアップテンポなダンスナンバーを次々とヒットさせたうえで、メンバーたちの好むオーセンティックなディスコのフィーリングへと着地させること。この試みは功を奏し、結果として「Overnight Sensation ~時代はあなたに委ねてる~」はtrfにとって5作品連続となるミリオンを達成した記念すべき一曲となり、また『第37回日本レコード大賞』(1995年)の大賞に輝くなど華々しい成果を挙げた。

 より状況を俯瞰して、小室哲哉のプロデュースワークのBPM分布はどうだろうか。グラフ2は、2018年のコンピレーション『TETSUYA KOMURO ARCHIVES』の選曲を参考にした主なプロデュースワークのうち、1989年から1999年までの10年間の75曲をピックアップしたものである。ひと目見てわかるのは、プロデューサーとして活躍し始めた1994年頃を境にBPMの多様性が増すということだ。とりわけジャングルに取り組んだ1995年から1996年は上は180近く(H Jungle with t「GOING GOING HOME」の176.023)、下は70程度(華原朋美「I BELIEVE」の70)まで広がる。

 分布を回帰分析にかけて近似をとると、全体的なBPMは徐々に下がっているように見える。時代背景を考えれば、1996~1997年はMISIAや宇多田ヒカルのデビューによってR&B系の女性シンガーが流行する直前。それに先駆けて、「ゆったりとグルーヴするダンスミュージック」としてのヒップホップやR&Bが受け入れられる土壌が醸成されていたものとも考えられる。小室哲哉もそうした動向を敏感に察知していたか、もしくはtrfの戦略を踏まえるならば、むしろこうした動向を用意する役割を果たしていたのではないだろうか。

 trfが日本のポップスに与えた影響としてわかりやすい例に、ウルフルズ「ガッツだぜ!!」のヒットが挙げられる。これはトータス松本が公言しているように、実際に「Overnight Sensation」のヒットや小室哲哉からの助言を踏まえて制作された作品だ。もともとディスコサウンドは日本のヒットチャートで好まれてきたとはいえ、「ガッツだぜ!!」に端を発する90年代後半の充実ぶりには目を見張るものがある。本稿では、trfの“教育”がその前哨戦であり、「ガッツだぜ!!」のヒットが足場をかためた、とあえて言い切りたい。

 こうした90年代後半のディスコサウンドの充実を代表する例といえばSMAPだろう。1996年に森且行が脱退して5人組となったSMAPは、「青いイナズマ」(同年7月15日)、「SHAKE」(同年11月18日)、そして「ダイナマイト」(1997年2月26日)と、ブラスやストリングス、ファンキーなベースラインをふんだんにフィーチャーしたダンサブルなシングルを連発した。コモリタミノルやCHOKKAKUによる作編曲の鮮やかさは、ハウシーな感覚からそのまま「夜空ノムコウ」(1998年1月14日、CHOKKAKUが編曲を担当)の和製コンテンポラリーR&Bへと地続きだ。この傾向はさらにモーニング娘。などのアイドルグループにも受け継がれ、2010年代に入ってからもAKB48「恋するフォーチュンクッキー」(2013年8月21日)というヒットを生み出した。

 以上のように、アップテンポなテクノという導入からややスローなハウスやディスコへ、という小室哲哉及びtrfの辿った系譜は、いわば一種の“教育”としてあらかじめ設計され、実際にある程度の成功を収めた。それが言い過ぎならば、少なくとも時代の空気と見事に同期していた、とでも言おうか。そのことを確認したうえでもうひとつ注目しておきたいのは、彼の90年代の諸作品に顕著な、16分音符単位のシンコペーションである。なぜか。

 小室哲哉がtrfを始めるにあたって設けたコンセプトは、広く知られているとおり、「(ディスコ+カラオケ)÷2」だ。ここまでのBPMをめぐる議論では、まだ「ディスコ=ダンスミュージック」としての側面を概観したにすぎない。それでは、「カラオケ=歌う音楽」としての側面はどうだろうか。

 小室哲哉の楽曲では、16分音符単位のシンコペーションがしばしば歌メロで執拗に反復される。たとえばtrfの最初のミリオンヒットである「survival dAnce ~no no cry more~」(1994年5月25日)の印象的なコーラスがそうだ。譜例1のように、小節頭から付点8分音符を多用している。また、「EZ DO DANCE」(1993年6月21日)ではAメロで譜例2-1のリズムが繰り返され、サビでは譜例2-2のリズムが繰り返される。

 また、「BOY MEETS GIRL」(1994年6月22日)のサビでは、譜例3のように16分音符を用いた譜割りが登場するほか、5小節目から6小節目前半にかけて付点8分が反復される。「Over Night Sensation」は譜例4のように16分音符の頻度が高まり、シンコペーションによるタメがさらに強調されている。こうしたシンコペーションは篠原涼子 with t.komuro「恋しさとせつなさと心強さと」(1994年7月21日)やH Jungle with tの楽曲群でも効果的に用いられており、アップテンポなダンスミュージックに日本語詞をのせる際の常套手段として小室哲哉が用いていたものだ。

 16ビートのニュアンスを出したシンコペーションは、日本語におけるロックの試み以来珍しいというわけではない。その歴史は佐藤良明の『J-POP進化論「ヨサホイ節」から「Automatic」へ』(平凡社新書、1999年)でキャロルやサザンオールスターズの楽曲を例に辿られている。とはいえ、80年代後期の日本語のポップスや、バンドブーム期のビートパンク、そして90年代前半の楽曲では、16分音符単位のシンコペーションはあまり見られない。8分音符を基礎単位にするほうが、歌詞が聞き取りやすく、メロディがくっきり感じられるという利点があるためだろう。

 それに対して、小室哲哉のシンコペーションは、スピード感にメロディの輪郭を埋没させることなく、ハウスやテクノを構成する16ビートのノリを明示している。付点8分音符の多用によって、一音一音のピッチの明晰さや単語としての破綻のなさを維持しているのは興味深い点だ。

 歌メロにおけるシンコペーションは小室哲哉やtrfにとって大きな意味を持つ。前述したように、trfの結成にあたって小室のなかにあったコンセプトは、「(ディスコ+カラオケ)÷2」。“踊れる”ことと同じくらい、“歌える”ことも重要だったと考えるのが筋だ。

 とすれば、次のような事態を想定していてもおかしくはない。trfの楽曲をカラオケで歌う度に、このシンコペーションはマイクを握る者の身体に16ビートのノリを植え付けてゆく。シーケンサーで鳴らされるスクウェアで機械的なビートは、そのガイドとして非常に機能的だ。それはあたかも歌う者のなかに16分音符のグリッドを刻みつけるかのように、ビートを響かせ、歌わせる。

 trfを聴いて踊ること、そしてtrfを歌うこと。この二重の身体への働きかけは、BPM感覚と16ビートのグリッドを90年代の日本人に教えた。それは、坂本龍一が指摘するところのメロディの感覚や転調の感覚をめぐる“教育”よりも重要な“教育”であったのではないだろうか。(imdkm)

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