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菅田将暉はなぜ重宝されるのか? 大作映画とミニシアター系映画、2つの活動で培われた演技力

リアルサウンド

19/9/16(月) 6:00

 柔軟性の高い若手俳優は重宝されるが、その中でもトップに君臨するのは誰かーーおそらく多くの方が、菅田将暉という存在を思い浮かべるだろう。超大作『アルキメデスの大戦』で日本を代表するベテラン俳優陣を相手に“大立ち回り”を演じる一方で、『タロウのバカ』では同世代の俳優たちとともに、“若者のリアル”を演じ上げた。

【写真】『タロウのバカ』での菅田将暉

 “大立ち回り”とは、もちろんアクションのことではない。本作は第二次世界大戦前夜を舞台としたフィクション作品で、三田紀房による同名マンガを原作としており、菅田が演じるのは、巨大戦艦の造船を阻止すべく奔走する若き天才数学者だ。ここで言う“大立ち回り”とは、彼の(身振り手振りを含めた)話芸に対するあくまで比喩である。

 山崎貴監督がVFXを駆使した戦争映画となれば、当然“超大作”に分類される映画であることは、本作を鑑賞せずとも想像がつくだろう。そんな本作で、弱冠26歳ながら堂々と主演を張った菅田だが、彼を取り囲むのは舘ひろし、國村隼、橋爪功、田中泯といった錚々たるメンツだ。いずれもが日本映画界を代表する、重鎮とも呼べる俳優たちを相手に、思わず息を呑む大立ち回りを菅田は演じている。それもタイマンバトルではなく、彼らが一堂に会するような場面において、たった一人でである。物語が展開する中で育まれていく、柄本佑とのバディ関係の魅力が光る一幕もあるが、クライマックスでは、その年齢、キャリアからして、菅田の置かれている状況はほとんどリンチに近いものに思えてしまう。俳優が胸のうちに抱えるプレッシャーなど想像もつかないが、この顔の並びには、菅田演じる櫂直の立場と菅田自身の立場とが重なって見え、胃に鈍い痛みを勝手に感じてしまったものである。

 “マンガ的”と形容して良いものか不安だが、彼のハイテンションな一挙一動には、「ドドン!」「バーンッ!」といった擬音が聞こえてくるようだった。そんなオーバーアクト気味な芝居で、熱量を武器としなければ、大先輩たちの重圧(貫禄)に押し潰されてしまうことは必至だし、“エンタメ超大作”を主演として率いていくのも難しいはずである。ここで彼が作品からはみ出すような熱演や空転となってしまわないのは、演者として当然の、“送り手”と“受け手”の関係性を随時すばやく転換できるからなのだろう。

 他方、『タロウのバカ』で演じるのは現代の高校生。これまでに、菅田が何度も演じてきた役どころである。本作で見せる“若者のリアル”とは、誰もが感じている、あるいは感じてきた、日常に対する倦怠感やイラ立ちのことだ。現状への不満や将来への不安から、そんなことを感じてしまうのは劇中の彼だけではないのではないか。奔放な若者たちの「暴力」や「暴走」が派手に描かれる作品ではあるが、誰もが一度は感じるであろう青春時代の鬱屈を、極端化して表現したものだと捉えることができる。突拍子もない物語展開と異常なキャラクター設定の中に、それらのリアルな要素を落とし込んでいる点が本作のある種の魅力であり、それを実現させてしまうのが菅田の俳優として優れたところなのである。

 『アルキメデスの大戦』をはじめ、『帝一の國』(2017)、『銀魂』シリーズ(2017-2018)といった菅田が出演した“大作映画”を並べてみると、いずれもがマンガの実写化作品であり、その再現度の高さはもとより、先述したオーバーアクト気味な芝居で適応してきたことが分かる。だが一方で『タロウのバカ』のように、『あゝ、荒野』(2017)、『生きてるだけで、愛。』(2018)などの、いわゆるミニシアター系映画と呼ばれる作品にも菅田は必要とされている。こうやって各作品に合わせた彼の表現手法、立ち振舞の差異に目を向けてみることで、菅田将暉という俳優がなぜ重宝されるのか、その理由が自ずと分かってくるだろう。

(折田侑駿)

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