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なぜ人は危険を冒してまで「報じる」必要があるのか 『タクシー運転手』が大きな反響を呼んだ理由

リアルサウンド

18/11/2(金) 12:00

 近年のソン・ガンホというと、現代劇においては普通の市民を演じているイメージがあまりなかった。どこの国の俳優でもそうだが、年齢を重ね、そしてキャリアを積むと、普通の市民の役よりも、どこか社会的に成功した役や、突出したキャラクターを演じることが多くなる。かつては『グエムル-漢江の怪物-』で小さな売店を営む父親を演じていたソン・ガンホも、最近は『弁護人』のように、自らの力を持って何かに立ち向かう人というイメージが個人的には強くなっていた。

参考:監督が運転するタクシー“ソン・ガンホ”に乗り光州事件を追体験 『タクシー運転手』の普遍的な希望

 しかし、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』でソン・ガンホは、巻き込まれるひとりの市民を演じていた。

 映画の冒頭で、ソン・ガンホ演じるマンソプは、タクシーを運転している最中、街でデモ隊の暴動に出くわす。すると、マンソプはすぐさま車の窓を閉め、鼻の下に歯磨き粉を塗る。これは、歯磨き粉の刺激が、催涙弾による目や鼻の痛みを和らげる効果があったかららしい。

 慣れたハンドルさばきで車を迂回させながら、学生たちに向かって「デモをするために大学に入ったのか?」「何不自由なく育ったからだ。いっそサウジアラビアの砂漠で苦労させればこの国で暮らすありがたみが分かる」とぼやく。

 このシーンから、マンソプが当初は政治に関心がなく、デモをする学生たちに対しても、彼らは生活に余裕があるからこそデモを行っており、自分は、世の中に多少の不満があっても、それでもこの国で暮らすありがたみがあると考えていることがわかる。こうした考え方は、今の日本にも溢れているのではないか。

 彼にとっては、目の前の生活のほうが重要であり、それは当然のことにも思える。街でデモがあればタクシーの売上も激減、十分な収入がなければ家賃滞納も長引いてしまう。商売道具の車のミラーの修理代も値切る必要があり、娘の成長に合わせて靴を買い替えることもできない。そんな立場のマンソプからすれば、政治に対してアクションを起こす学生たちのことが“余裕”に見えてしまっても仕方のないことなのかもしれない。しかも、このときマンソプがいるソウルには、光州で起きている出来事は伝わってこないのだから、彼が危機を実感をすることが難しいというのもより一層理解できる。

 そんな考えの持ち主だったマンソプだが、あるドライバーが割りの良い仕事を得たことを小耳にはさみ、その仕事をこっそりかすめ取ったことで、彼の「巻き込まれ」がスタートする。それは、英語もほとんどできないというのに外国人の記者を乗せ、光州に行って帰ってくるという割りがいい以外は特殊なところのない仕事だった。

 だが、光州についたマンソプは、催涙弾が飛び交うデモ隊と鎮圧する軍の紛争に巻き込まれてしまう。それでもカメラを向ける記者に対して、「行ってもかわらない」と言い放つ。平和なソウルから来た者としては、そのデモもいつもの光景と変わらぬものに見えたからだろう。

 しかし、この映画を観ていくと、なぜ人が危険を冒してまで「報じる」必要があるのかということが、マンソプを通して理解できるようになるのである。

 1980年の光州で確実に起こっていた、軍による民間人への弾圧が、光州以外の地域ではある時期までまったく知られていないということは事実である。それが葬られるということは、光州や韓国だけの問題ではない。不都合な出来事が葬られるということが一つ許されれば、どの国でもほかの不都合も葬られてしまいかねないということなのだ。

 マンソプは、それを身をもって体験してしまった。彼は巻き込まれただけだから、記者を光州に運んだだけでもお役目の半分は果たしているとも言える。もともとは、自分の目の前の生活でいっぱいいっぱいだった人だ。光州にいる間にも娘のことは気にかかる。それが保守的な人のありかたであり、平和なときにはまったく問題はない。

 しかし、そんな保守的な、自分の半径数メートルの幸せを守るべきであったはずの善良な市民が、自分の半径数メートルの幸せすら守れなくなるのが、光州事件であり、さまざまな紛争なのであるということを改めて実感した。

 マンソプは、あまりにもひどい軍の弾圧に触れてもなお、「娘には俺しかいないんだ」と涙ながらに語り、夜中に1人光州を後にする。しかし、光州で見たあの軍の弾圧が、光州の外の新聞報道では、反社会勢力と暴徒化した市民が悪者になっている「フェイクニュース」を見て、真実を伝える手伝いをしなくてはという強い気持ちを抱くのである。最初はデモに無関心であったマンソプの理解が変わる瞬間である。

 ロングランのヒットを記録したこの作品だが、公開前には、日本で多くの人に観られる可能性は低いとみられていたと聞いたことがある。しかし、良い意味で予想を大きく裏切った。それは、この作品が、最初から政治的な主人公が主体性を持って解決に挑む、というストーリーではなく、デモに文句をつけるほどの政治に関心のない主人公を据えたことも大きいのかもしれない。日本の観客も、マンソプと一緒に、1980年の“光州事件”に巻き込まれていったのだ。

 これは、映画のヒットの話だけにしておくにはもったいない出来事ではないか。マンソプと同じように、政治に関心のない人もいる。また、デモに行く人は単に権利を振りかざすやかましい人として捉える人もいるだろう。もっと言えば、現状に不満を募らせる人は、努力や辛抱が足りず、不満に感じるということは自分の生き方や考え方が悪いのだ、それは自己責任だ、とみなす人がいることも感じる。しかし、この日本でも、考えなければ、報じなければ、自分たちの安全が危ぶまれるような段階にあると感じている人も多いからこそ、この映画の反響につながったのではないか。

 11月2日リリースされる本作のBlu-ray&DVDには、ソン・ガンホのコメントなどを収めた特典映像も収録されているが、その中でソン・ガンホは「韓国の重要な歴史を描いているので慎重にもなります」と語っている。映画はカーチェイスや、家族の絆、外国人記者との友情など、エンターテインメントの要素も多いが、ソン・ガンホの言うように、歴史の部分が慎重に描かれているからこそ、観て楽しんだというだけではない感情を持ち続けることができたのだろう。(西森路代)

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