Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

世間を騒がせたライブにまつわる数々のエピソード 沢田研二騒動を機に振り返る

リアルサウンド

18/11/15(木) 8:00

 ジュリーこと沢田研二が、さいたまスーパーアリーナ公演を10月17日の開催当日に中止したことが騒動になった。チケットを買ったファンがすでに会場に集まり始めている段階で、プロモーターと約束したレベルの集客に届かなかったからという理由でドタキャンしたことに賛否両論が沸き起こった。プロ意識がないと批判される一方、自身のプライドを貫いたのは彼らしいと肯定する人もいる。

(関連:沢田研二と書いてロックンロールと読むーー80年代から現在に至るまでの活動を辿る

 この件で思い出したのが、沢田がかつて主演し、カルト的な人気を持つ1979年の映画『太陽を盗んだ男』だ。中学の理科教師が、小型原爆を手作りする。でも、特に目的がなかったため、警察に適当な要求をして脅迫する。要求の一つがThe Rolling Stonesの日本公演実現だった。1960年代のグループ・サウンズ全盛期に沢田がザ・タイガースでカバーしてもいたストーンズは、1973年に来日公演が決定したものの、メンバーの麻薬問題で中止になった。『太陽を盗んだ男』における要求は、その出来事を踏まえたもの。ドタキャンで注目された70歳で古希の沢田は、若い頃には中止になった公演のやり直しを求める脅迫犯役を演じていたわけで、それを思い出すとなかなか感慨深い。

 洋楽の大物でいうとポール・マッカートニーも1975年にストーンズと似た事態があり、1980年には成田空港に到着したもののマリファナ所持の発覚で来日公演がすべて中止された。彼は直後のアルバムに「フローズン・ジャパニーズ(原題:Frozen Jap)」(直訳「冷たい日本人」)なる曲を収録し物議を醸した。とはいえ、ストーンズもポールも1990年代以降はたびたび来日公演を行い、そこまで高齢になっても元気に海外ツアーをするのかと驚く状態になった。かつてのトラブルは帳消しになったかのような印象である。

 日本でも不祥事でスケジュールが白紙になり、謹慎期間を経てから、最近のASKAのようにライブ活動を再開する例はみられる。過去の悪評を払拭できるかは後の活躍次第だ。

 一方、沢田研二のライブに関しては、観客からの気に障るかけ声に対して怒る、説教する、「黙っとれ」、「嫌なら帰れ」とまでいうことが報じられている。彼の場合、1980年代まではヒット曲多数でテレビによく出演し、バラエティでコントもこなすアイドル、人気スターだったから、当時のイメージとの落差であれこれ書かれる。だが、彼は自分のライブに関しては昔から頑固だったのである。

 ステージでの態度という点では、エレファントカシマシ初期の宮本浩次も語り草になっている。観客の拍手や声援に「うるさい」と怒鳴りだすわけのわからなさが記事になり、それで注目され始めた面もあった。後にテレビ出演するようになった彼は、やたらと髪をかき上げる落ち着かない変わり者でありつつも、親しまれやすい風情になった。この点は、とっつきにくくなっていった沢田と逆である。

 観客とのトラブルといえば、2010年の安全地帯のライブも当時は大々的に報道された。ボーカルの玉置浩二のろれつが回らない、不満の声を上げた観客と彼が口論になる、ステージの途中でバンドの一部メンバーがいなくなるという異様な展開になり、途中で中止されチケット代は払い戻された。どう転がるかわからない生の雰囲気を大切にしたいと考える本人が体調不良だったこともあり、観客と感覚にズレが生じ、空回りしたらしい。だが、玉置は、以後も歌の上手い人と認められている。真剣にやっているからこそ、時には観客と摩擦が起きることもある——とファンを説得できるだけの地力があったのだろう。

 逆方向のエピソードもある。2012年の上原ひろみ公演で観客の携帯電話が鳴った。アーティストが怒ってもしかたがないシチュエーションである。だが、彼女は客席に笑顔を見せてから着信音のメロディを取りいれ、そのまま演奏を続けて笑いをとったという。ジャズ・ピアニストとしてユーモアを交えつつアドリブ対応力を示したわけで、一種の武勇伝となっている。

 ジャズ、フォーク、ロック、ヒップホップ、いずれも外来文化であり、観客が興奮して失神とか荒天での野外演奏とか、ライブでの出来事が伝説化されるパターンもあわせて輸入したようなところがある。予定は未定、開演遅延など当たり前といった洋楽の大物並みのわがままと無軌道といえば、X JAPANがまず思い浮かぶ。X JAPANの傍若無人ぶりをみて、日本のロックも立派になったものだと思った世代は存在する(たぶん)。

 滅茶苦茶をやるばかりが伝説への道ではない。中止になってもしかたがない状況なのにライブを決行した心意気が賞賛されることもある。LUNA SEAは1999年に東京ビッグサイトの屋外でライブを予定していたが、開催前に強風でステージセットが倒壊した。だが、当日は廃墟と化した残骸を背景にしてライブを実施し、約10万人の観客を動員した。

 LUNA SEAは開催会場の問題だったが、出演する本人の体調が悪いにもかかわらず、ステージを無事につとめあげて語り継がれるケースもある。昭和の歌姫と呼ばれた美空ひばりが、大腿骨頭壊死症などの闘病後、1988年に『不死鳥』と銘打った復帰公演を催した。それは同年完成した東京ドームでの日本人ソロアーティスト初公演だったが、39曲を歌った美空が脚の激痛に耐えていたことが後に報じられた。彼女は翌年、再入院し亡くなっている。

 また、X JAPANがデビューして破天荒なエピソードの数々で注目を集めるようになった1980年代末から1990年代の同時期に、海外で暴力沙汰、観客とのいざこざ、暴言などで悪名を轟かせていたのが、Guns N’ Rosesだった。その中心人物、アクセル・ローズは、2016年には初期メンバーを再結集してGuns N’ Rosesをリスタートさせただけでなく、喉の不調でボーカルが離脱したAC/DCのツアーへ代役として参加するワーカホリックぶりをみせた。その大変な時期に彼は足を骨折したが、特注の椅子に座って熱唱し、ステージでの役目を果たした。かつての悪童も心を入れ替えたようだったが、同様の奮闘は過去に日本の悪魔がみせてくれていた。

 1986年に聖飢魔IIが『蒜山ロックフェスティバル』に出演した際、デーモン閣下はオープニングで野外ステージの屋根からステージに飛び降りて早速骨折。1曲歌ってから「諸君、元気か。吾輩は元気ではなくなった」と明かし、それでもマイクスタンドを杖代わりにして持ち時間の出演をこなした。この時のことは、本人がネタにしてしばしば語っている。足の「改造手術」直後には、悪魔らしいゴスなデザインの車椅子(「スーパーデーモンカー・ターボGTロイヤルサルーン」)に乗って聖飢魔IIのライブを行っている(DVD『悪魔の黒ミサ』に記録されている)。

 とはいえ、蒜山の一件を美談として語るべきではないだろう。今年は女子駅伝で転倒した選手が右足を骨折したまま四つんばいになって進み、たすきをつなげたことで運営側が批判された。傷ついた体で無理をして後の人生に影響が出てもいけない(悪魔なら人生に配慮しなくてもいいのかもしれんが)。

 ライブに関しては、アーティスト、会場に来たファン、報道で現場のことを知る人々で同じ出来事でも受けとめかたが変わってくる。また、編集ができないライブはアーティストの素が出る場であり、生きざまが晒されると同時に、興行として成り立つかどうか、出演者の商品価値が問われる機会でもある。すべてを計算づくで整えることはできないし、きれいごとだけでもすまない。清濁あわせ呑むことを要求される。それだけに時々、予想外のアクシデントが発生する。だからこそ、ライブは面白い。(円堂都司昭)

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む