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さらばわが愛、北朝鮮

20/6/25(木)

『さらばわが愛、北朝鮮』 (C)822Films+Cinema Dal

頼る人などいない異郷の地で暮らすことになった時、人は何を考え何を成し得るでしょうか? 1952年に北朝鮮からモスクワ国立映画大学に留学したエリート学生8人は、当時の金日成首相を独裁者と批判しソ連に亡命したため、広大なユーラシア大陸の各地に分散移住せざるを得なくなりました。その後望郷の念を募らせつつ死ぬまで変わらぬ友情を確かめ合いました。映画作りへの熱い思いも堅持し、監督や俳優、作家として活躍する人材を輩出したのです。 本作はキム・ソヨン監督が2015年の撮影当時、まだ存命中だった2人と亡き夫への変わらぬ愛を語るロシア人女性の計3人から行った聞き取り調査を基に構成されています。祖国に帰れば出世も約束されていた彼らですが、家族の安否を懸念しつつ重い決断を迫られました。当時ソ連は北朝鮮の友好国。亡命者を大使館のある首都モスクワにまとめて置くわけにはいかず、北極圏のムルマンスクや中央アジアのアルマトイ(カザフスタン)など広大な国土に分散して移住させました。やがて彼らは培った能力を活かし始めます。 最長老だったチェ・グギンは地元カザフスタンの映画当局からの要請でウイグルのレジスタンス運動に結束を呼びかける『龍の年』の共同監督を担いました。俳優としても活躍し映画作りの面白さにのめり込む一方で、祖国から遠く離れた場所で暮らす朝鮮人が自分たちのための映画を作ることができないことにもどかしさを感じていました。またハン・デヨン(ハン・ジン)の書いた『38度線』の映画化も望んでいましたがその夢が叶えられる機会はありませんでした。 そのハン・デヨンはロシア人女性ジナイダ・イワノフナと結婚、テレビ局に勤めたものの、規制の多いテレビに嫌気がさして辞職。カザフスタンのレーニン・キチ新聞社(現・高麗日報)に文芸部記者として入社します。62年に短編小説『ムクドリ』を発表。以後高麗人(朝鮮人)2世の文学をリードしました。46年『継母』の公演を機に高麗劇場に加わり、劇場の文芸部長に任命され、その後も多くの作品を創作しました。 またホ・ウンベは82年、イム・ウンの名義で『北朝鮮王朝成立秘史-金日成正伝』を出版し在ロシア高麗人協会会長や高麗日報会長を務めました。このほかドキュメンタリーや映画の特殊効果部門を担当する人もいて、時には旧交を温める写真なども紹介されています。ソ連という大海に飲み込まれながらも、8人は結束し、慰め合い、さらにその何人かはカザフスタン人の映画を作るという行為を通じて朝鮮人としてはもとより映画人としての心意気をも示すことになったといえるでしょう。

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