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音楽シーンを撮り続ける人々 第1回 cherry chill will.

ナタリー

18/11/5(月) 19:00

写真で初めてギャラを貰った渋谷HARLEMでのライブ撮影。(画像提供:cherry chill will.)

CDジャケットや雑誌の表紙、屋外看板などアーティストを被写体とした写真に心を奪われた……そんな経験のある読者も多いはず。本企画ではアーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺い、そのパーソナルに迫る。

初回はアーティストにとどまらずヒップホップシーン全体を撮影するcherry chill will.が登場。自らもDJ、ラッパーとして活動をしていたという過去を持つ“たたき上げ”のフォトグラファーだ。

洋楽ロックとヒップホップざんまいの幼少期

写真家としてはちょっと変わった経歴と言うか、写真の専門学校に通ったり師匠がいるというスタイルではないし、プロの写真家としてのキャリアはまだ10年くらいのものなんですよ。それまで紆余曲折ございまして……(笑)。

子供の頃はとにかく落ち着きのない目立ちがり屋で人と同じことをするのがあまり好きじゃなくて、自分で流行っていることを見つけに行くタイプでしたね。青森県八戸市出身なんですけど、東北って真冬は本当に寒いし空も暗いし色で表現するとブルーやグレーなんですよ。自分の根底にもそういう少しブルーでエモーショナルなところがあったような気がします。だから盛り上がっているけどどこか冷たい雰囲気のものが好きだったかもしれません。

子供の頃は親父が、近くに米軍基地がある街で軍人さんや若者が集まるビリヤード屋兼喫茶店みたいなお店を営んでいまして、そこの屋根裏部屋に家族で住んでいたんです。お店でMTVが流れていて、スティーヴィー・ワンダーとか当時流行っていたディスコミュージック、ソウルミュージック、ポップス、ロックなど、洋楽に自然と触れる環境で育ちました。その影響で幼稚園児の頃から「レコードが欲しい」と言うような音楽大好きな子供でした。最初に好きになったのはSex Pistolsです。小学3年生の頃に洋楽好きの友達が編集してくれたカセットテープで初めてピストルズを聴いて、何を歌っているのかはわからなかったけど「めちゃくちゃカッコいい!」と思って初めてCDを買いました。同世代の周りの子が邦楽を聴いているのを横目に自慢げに洋楽を聴いていましたよ(笑)。そこからThe Clushを聴いたりして。

小学生になると、当時テレビ放送されていた「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のコーナー「ダンス甲子園」で流れる音楽がカッコよくて夢中になりました。使われた曲をレンタルCD屋さんで借り漁って、同時に親父の友達が営むレゲエのレコードショップに通ってレゲエを教えてもらいました。小学6年生の頃はDJをやりたいって思っていたんですけど、だんだんとラップにも興味が出てきて東京のアンダーグラウンドにMICROPHONE PAGERとかカッコいいラッパーがたくさんいるって知って、中学生の頃からはアメリカのヒップホップを聴きながら日本語ラップをやるようになりました。

高校の進学祝いで親父にターンテーブルを買ってもらってからはもうヒップホップにどっぷりですね。自分でバイトして高いアンプやスピーカーを買ったりしていました。実は高校には野球の特待生で入学したんですけど、高校1年の夏には野球部を辞めて毎週クラブ通い(笑)。先生に「野球をやらないなら1回でも赤点を取ったら即退学」って言われていたので必死で学業と両立してなんとか卒業しました。当時の一番の思い出は自分でパーティをやったことですね。大人たちがやっているパーティに混じるのが嫌で自分でやりたいっていろいろと働きかけて。理解してくれるライブハウスの方が協力してくれて、15歳のときに初めて実現させました。バンドやDJ、ライブとかなんでもありで同世代の人たちがたくさん集まってもうめちゃくちゃでしたけどすごく充実した気持ちでしたね。

ホームレス生活を経てレコード店バイヤーに

漠然と「東京に出てヒップホップで飯を食っていきたい」と思っていたので18歳で上京しました。錦糸町にある住み込みの町工場に就職したんです。と言うのも、当時錦糸町にYOU THE ROCK★さんたちがよくイベントをやっていたクラブNUDEがあったので「熱いのは渋谷じゃない、錦糸町だ!」って(笑)。ところが上京して半年でそのクラブが潰れてしまうんですよ。ほかのクラブに行くにも渋谷は遠いから町工場を辞めたんですけど、同時に住む所もなくなって……友達の家を転々としながら職探しをしたんですけど、最終的に行くところがなくなって十代にしてホームレスになりました(笑)。

でも悪いことばかりでもなくホームレスにもコミュニティ的なものがあって、公園の縄張り事情や小銭の拾い方などを先輩ホームレスが教えてくれるんですよ(笑)。俺は上野や代々木、渋谷センター街あたりを拠点に転々としていました。2カ月ほど経ったある日、お寺の軒下で寝ていたら住職が出てきて、ありがたいことに「行くところがなかったらうちで寝床とご飯を出すからお寺の仕事をしなさい」と声をかけてくださって、そこで職探しをしながら働いたんです。そのおかげで当時憧れだったCISCO RECORDSで雇ってもらえることになって。お店に立ちながらバイイングをするという仕事に就くことができました。

CISCOではいろんな音楽をたくさん教えてもらいましたし、いろんな現場に遊びに行かせてもらいました。DJやラッパーがたくさん集まってくるから仲良くなれたし、自分のラップのテープを配ったりもしました。ラッパーとしてやっていくには最適の環境でしたね。で、CISCOで働いているときに初めてカメラを買うんですよ。

結婚、子供の誕生、勤務先倒産……

25歳頃の話ですが、その頃結婚して子供が産まれたんですよ。そこがターニングポイントでしたね。出産のとき、ものすごく感動して人生の一大事で最高潮に高揚した気分だったのに、その気持ちをリリックに落とし込めなかったんです。それですんなり「俺にはラッパーとしての才能がない」って認めることができて、同業者だったほかのラッパーたちを素直に尊敬できるようになって。ラップすることを辞めました。

それから子供と出かけることが増えて、そのシーンを撮っておきたいという気持ちから初めてデジカメを買ったんですよ。それまで写真に全然興味がなかったんですけど、昔嫁さんが使っていたPENTAXのフィルムカメラを借りていろいろ撮るようになって、それが面白くていろんなフィルムを使って子供と風景ばっかり撮っていました。そうやって日常的に面白いと思った風景の写真をブログに載せていたら、それを見たヒップホップ仲間が「いい」って言ってくれるようになっていったんです。

そして長女が生まれて3年後に2人目が産まれたんですけど、その1カ月後に突然CISCOが倒産しまして……貯金もないし子供が2人いて無職になって「これからどうすんだ」って頭を抱えているときに、RYUZOくんが「ライブあるから息抜きがてら遊びに来て写真撮んなよ」って軽いノリで誘ってくれたんです。その当時使っていたRICOHのGRっていうコンパクトデジカメを持ってステージの横から撮らせてもらったのが初めてです。

「こんな顔見たことない!」って表情がたくさんあって、そんなのをファインダー覗いて初めて見たもんだから、もう「すげー」って感じになっちゃって。その瞬間を収めたくて必死に撮ったけどピンも合ってないしブレてるし全然ダメ。でも自分が撮りたい形っていうのは出ていて、それを見てRYUZOくんが「次はちゃんと撮ってみてよ」って言ってくれたんです。でもまだその頃は再就職が決まったばったりで、お金がないから新しい一眼なんて買えず、しばらくはノーギャラです。サラリーマンをやりながら毎週のようにライブ写真を撮らせてもらったり、クラブに遊びに行ってひたすらいろんな人を撮ったりしました。

初めてギャラをもらったのは30歳のときです。CISCOの先輩だったDJ YANATAKEさんから連絡がきて、「渋谷HARLEMでWATARAIさんが『つつみ込むように… feat. COMA-CHI&DABO』のリリースパーティをやるからオフィシャルカメラマンをやらないか」って。その仕事では“楽しかったぜ、盛り上がったぜ”だけで終わらない写真を撮るということを意識しました。

カメラを始めたばかりの頃に、フォトグラファーの鈴木啓太さんが撮影したMUROさんが DJ をしている写真を見て、イベントの写真なのに見たこともないくらいアーティスティックで衝撃を受けたことがあって。そういう記憶に残る写真を撮りたくて、今まで誰も撮らなかったような写真を積極的に撮りましたね。足元や手元に寄った写真とか、レコードをディグしているシーン、何気ない会話シーン、ありとあらゆるものを撮りまくりました。当時はそういう写真があまりなかったので「見たことないぞ」って面白がってくれて、1年後にリリースされたDABOくんの「HI-FIVE」ってアルバムでそのときの写真(記事ヘッダの写真)を使ってもらって、そこから仕事が入るようになりました。

「やりたくない仕事はやらない」

俺、駆け出しの頃からやりたくない仕事はやらなかったんです。「イベントを撮ってください」ってオファーをもらっても俺はアーティストにしか興味なかったから「パーティスナップは撮りたくない」って言い続けたら「ライブだけでいいです」っていうオファーしか来なくなりましたし、ギャラがなくても撮りたいと思ったら現場に行きました。仕事に対する意識が、早くからプロのカメラマンとして活動している人とは違うかもしれません。現場は俺にとって遊びの延長にあって居場所っぽい感じなんですよ。だからアーティストとの距離が近くなりすぎてライブ中に目の前でシャッター切ったりして「お前じゃなかったらぶっ飛ばしてるわ!」って言われたこともあったり(笑)。もっとこの臨場感を伝えたいって欲が出てきて、ライブが終わって息が上がってひっくり返っている瞬間とか、ナチュラルな姿を隠し撮りしてドキュメントっぽい写真をアップするとそれをまた本人たちが面白がってくれて。

ライブってアーティストが一番輝く場所だから、そこをしっかり収められる写真家でいたいと思っているんです。でも本当に素晴らしいライブだと最終的にこっちの意識も飛ばされちゃうんですよ。構図とか光の加減とか考える余裕すら与えてくれない、文字通り無我夢中に撮ってしまう。今までANARCHY、OZROSAURUS、THA BLUE HERB、KOHH、RHYMESTER、ロックならBRAHMAN、The BONEZ、RIZEなどのライブでそういう“ゾーン”に入ったことがありますけど、彼らのライブは「伝えよう」っていう気持ちが滲み出ているんです。それに引き込まれる、そういうマインドと言うか被写体への愛がないといい写真は撮れないと思っています。

「代表作は?」と聞かれたら間違いなくMAKI THE MAGICさんの追悼イベントで撮ったDEV LARGEさんの写真だと答えると思います。この写真を4年前に撮影したあと、しばらくしてD.Lさんは亡くなってしまって……でもこの写真が撮れたおかげでご家族や仲間との縁はずっと続いているんです。僕の人生に一番の影響をもたらしてくれたD.Lさんのことは永遠に語っていきたいですね。ほかのアーティストにも「あんなふうに撮ってくれ」ってオファーをもらうんですけど、感覚も上がっているしカメラのスペックも上がっているはずなのにまだ越えられていません。今もこの写真のような瞬間を追っかけています。

流されるのではなく信念を持つこと

成功の秘訣って言われても教えられないんですよね(笑)。カメラを始めたばっかりの頃から誰に教わったわけでもないし、本を読むのも嫌だったから全部独学でした。カメラ屋に行って1つひとつシャッター押してみて「これどう映るんですか?」「画素数? シャッタースピード? A? M? P? それ何?」って感じで店員さんに聞くレベルからのスタートで、現場で試して「こう映るんだ」って経験から学ぶスタイルしかできなかったんですよ。

でも漠然と「歴史に残るような写真を撮りたい」とか「流されるんじゃなくて記憶に残るような写真を撮りたい」という思いはありました。だからもしカメラを仕事にできた理由を述べるとしたら、自分がカッコいいと思うものにちょっとした信念を持っていたからかもしれませんね。

写真の仕事を始めてから“運命”を感じることが多くて「会いたい、撮りたい」と思った人とは時間はかかっても会えてきているんですよ。だから流れに身を任せている部分があります。神様が見てくれていると思うことがあると言うか。「すごく撮影したい海外アーティストが日本に来ているけど、声がかからない……」とかって神様が「今はまだ会うタイミングじゃないよ」って言っていると解釈しています。だからあえてがむしゃらに仕事を取りには行かないんです。最近は、アーティストから「家族写真を撮って欲しい」という依頼をもらうことが増えて。公園で遊んでいるときとか、七五三とか結婚式とかを撮るのが好きになりました。それを仕事にしたいとかではなくて純粋にステージ上とは違う表情や自然な家族風景がすごく素敵で、その家族の現場をそっと隠れて撮っています。怪しいですけどね(笑)。

これまでさまざまな経験をしてきましたけど、つらいとか苦しいという記憶はあまりないんです。予定外のことが起こってもワクワクしたし、常にその状況を楽しいと感じてやってきたので、挫折とか苦労とか、そういう悲壮感みたいなのはないかもしれません。カメラを始めたときは何もできなかったし、師匠がいてスタジオに入って技術を学んできた人たちをうらやましいと思うことはありましたけど、最近やっと俺は俺のやり方でいいんだって思えるようになったんです。ヒップホップの“何も持たないヤツがマイク1本で世界を変える”っていうマインドを俺に置き換えて、「技術がなくてもカメラだけでここまで来たんだぜ」って言えるようになりました。

俺にとってヒップホップは“ゲーム”ではなく“人生”になってしまっているんですよ。だからもう“ヒップホップ”という冠はいつ脱いでもいいと言うか、自ら名乗ることでもないと思っています。カメラって内面をえぐり出すツールだと思っていて。今はカメラ周りのスペックがどんどん上がって誰でもそれっぽいものを作れるようになりましたけど、その中でも見た人を一歩立ち止まらせ心を揺さぶるような写真を撮りたいし、よりえぐり出せるような写真家になりたいと思っています。風景や人物、人の深層心理を突けるような写真を撮って、さまざまな表現方法で作品をどんどん世の中に出して行きたいです。

これから先のことを考えても写真を撮る以外にやりたいことはないし、写真のおかげで大好きなアーティストたちと仕事ができてたくさんの人と知り合えて、海外でも仕事ができて……と、ここには好きなことが全部詰まっている。またDJをやりたいとも思わないし、撮りたいという衝動が続く限り何歳になってもずっと撮り続けたいです。

cherry chill will.写真展「RUFF,RUGGED-N-RAW -The Japanese Hip Hop Photographs-」Photo Exhibition in Kitakyushu City by cherry chill will.

2018年11月17日(土)~12月2日(日) 福岡県 Valley
OPEN 12:00 / CLOSE 20:00
入場無料
※11月17日19:00からは同会場でトークセッション「Photographer cherry chill will.×Stylist Ezaki Satoshi Special Talk Session」を開催。

取材・文・構成 / 中村佳子(音楽ナタリー編集部) 撮影 / タマイシンゴ 

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