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指原莉乃を特別な存在にした2つの力 AKB48から“国民的アイドル”になった理由

リアルサウンド

19/3/29(金) 19:00

 指原莉乃は表現するのに難しいアイドルだった。数年前、ある論説で、「世界はまだ彼女の定義を知らない」とその個性について書いたことがある。いまもその評価は同じままだ。指原はAKB48グループの“顔”で、その卒業は日本のアイドルシーンの中でも大きな出来事だ。

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 だが、過去のAKB48のメンバーに比べて、彼女の卒業というのは、いまいちピンとこないものがある。もちろんAKB48グループとしての活動は事実上終わる。だが、指原にとってAKB48は、すでに彼女のひとつの活動領域でしかない。卒業した後も、それ以前と同じように様々なバラエティ番組やアイドルのイベントで彼女の活躍は続くだろう。

 特に演劇やモデル、歌手への専業の意思もないようだ。例えば、最大級のアイドルイベントに『TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)』がある。指原は今年も“チェアマン”としてアイドル界全体の顔として登場する。AKB48をやめても、彼女は相変わらずアイドルシーンを支え続けるだろう。

 指原には、異なる人たちを結びつける「媒介」としての能力がある。その一つの表れが、アイドルのプロデュースにも活かされている。代々木アニメーション学院とのコラボである“声優”アイドルグループ・=LOVE(イコールラブ)はその典型だろう。また最近、亡くなった内田裕也との「シェキナベイベー」は、内田自身のベストパフォーマンスといっていいくらいの歌曲だった。それを導きだしたのは指原の「媒介」としての個性だった。このような媒介としての活動が、これからの指原の展開する方向になるだろう。

 指原をセンターにした最新曲「ジワるDAYS」のMVは、過去に彼女たちが着た3450着の衣装を背景にした、まさにAKB48からの卒業ソングというイメージである。ところが、私はこのMVをみて指原の卒業という感想とは違うものを抱いた。それは「AKB48グループにはまだこんなに素晴らしい人材が豊富にいるのか」というものだった。なにをいまさら、とファンであれば思うだろう。

 だが社会的には、AKB48グループには衰退のイメージが色濃い。NGT48の山口真帆暴行被害事件で、その運営母体であるAKSへの批判はまったく鳴りやまない。いままで蜜月関係にあったスポーツ紙などのメディアも手のひら返しで、AKSを当然ながら批判している。国民的な行事であった選抜総選挙も今年はなかった。女子アイドル界の中では、乃木坂46の方が、いまや人気の点では上だろう。その中での指原の卒業は、AKB48の人気の翳りをさらに加速させるかもしれない。

 ところが、「ジワるDAYS」での、松井珠理奈、小栗有以、向井地美音らの姿をみていると、なんて可能性のあるアイドルが多いのだろうか、と素朴に感銘してしまう。それに比して運営の現状は情けないという思いもまた強くなる。

 NGT48の問題についても指原は、テレビ番組などでグループを代表する形で、運営に苦言を呈している。総合プロデューサーである秋元康がまったくこの件でコメントしていないのと対照的である。指原のAKB48グループ全体を担う意志の強さは、卒業間際になりより強くでている。それに比して、秋元康総合プロデューサーは、責任逃れという批判を免れないだろう。これは狭い業界の話ではなく、社会的な常識としていえることだ。

 指原のアイドルとしての魅力はさまざまあるだろう。私は次の二点を指摘したい。ひとつは、スキャンダルを芸能価値に転換することができたこと。もうひとつは、絶妙な間の取り方である。

 スキャンダルは経済学の課題になりうる。例えば、指原が男性スキャンダルで博多のHKT48に左遷的に移籍したのは、アイドル史に残る事件のひとつだった。このとき、指原がスキャンダルを引き起こしたことで失う「機会費用」を考える必要がある。機会費用というのは、もしスキャンダルを起こさなければ得たであろうさまざまな潜在的な経済価値のことだ。例えば、テレビ番組や映画などへの出演自粛、あるいはCMの打ち切りなどは、典型的なスキャンダルの機会費用だ。一般人でももちろんスキャンダルに直面すれば類似の機会費用が発生する。だが、芸能人にとっては、スキャンダルを逆手にとって自らの商品価値に転換できることもある。この商品価値のことを「スキャンダルがもたらす追加的な芸能人価値」とでも名付けよう。この「追加的な芸能人価値」が「スキャンダルの機会費用」を上回ると、スキャンダルは、アイドルとしての位置を向上させることができる。

 実際に、指原は過去のスキャンダルを芸能価値に転換することに成功した。むしろスキャンダル後の方が、選抜総選挙で1位をとるなど、その人気を高めた。おそらく昭和・平成を通して、スキャンダルを糧にして、さらに人気を得たアイドルとしては、松田聖子と指原莉乃はその双璧をなすだろう。AKB48グループ全体がスキャンダルに直面している今、指原が卒業を迎えていることは象徴的な出来事かもしれない。

 またバラエティ番組などで発揮されているのが、指原の独特の間の取り方だ。バラエティ番組は、いわば弱肉強食的な世界に近い。反応の速さとその中身が問われる選手権のようだろう。もちろん指原の瞬発力も早いことは間違いない。しかしそれには独特の間がある。社会学者の古市憲寿が「芸能界でこれからどんなポジションになりたいとかあるんですか? 上沼恵美子さんですか?」という変化球にも、半拍おいた苦笑とともに、「しようもないニュースの記事みたいなこと言う」と答える。この独特の笑みと間の取り方が、指原のよさだ。おそらくこの半拍の間と笑みがなければ、ただの反射神経のいいコメンテーターになってしまうだろう。この間にこそアイドルとしての指原の魅力がある(と思う)。

 指原が去った後のAKB48グループは試練を迎えることは間違いない。ミリオンセラーを出しても、それは国民の関心事ではない。あくまでもアイドル市場という狭いムラ社会の出来事でしかなくなっている。AKB48グループで、“国民的アイドル”と呼べるただ1人の存在だったのが指原だった。ただしここまで書いたように、指原はこれからも国民的な“アイドル”で居続けるだろう。AKB48をやめてもアイドルとしての価値が変わらない。その意味では、AKB48からの“卒業”というイベントそのものが終焉を迎えつつあるのかもしれない。(田中秀臣)

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