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太田和彦の 新・シネマ大吟醸

神保町シアター「映画女優原節子」の伊丹万作『巨人傳』と国立映画アーカイブの松竹映画100周年記念特集で観た『風雲金毘羅山』。

毎月連載

第27回

20/10/2(金)

特集「生誕百年記念 映画女優・原節子」のチラシ

『巨人傳』
神保町シアター 特集「生誕百年記念 映画女優・原節子」(8/29~9/25)で上映。

1938(昭和13)年 東宝 127分
監督・脚本:伊丹万作 原作:ビクトル・ユーゴー 撮影:安本淳 美術:北猛夫 音楽:飯田信夫
出演:大河内傳次郎/原節子/丸山定夫/堤真佐子/佐山亮/小杉義男/清川虹子/汐見洋/御橋公/英百合子/柳谷寛/滝沢修

太田ひとこと:役者はすべて適役。というか監督の俳優造形のうまさだろう。伊丹万作のあまり語られていない『気まぐれ冠者』『権左と助十』『故郷』については小著『シネマ大吟醸』(小学館文庫)をご参照ください。

九州のある町で、多大な社会貢献により推されて市長になった大河内傳次郎が挨拶している。市民の一人は「どこの馬の骨」かわからん奴と陰口を言う。警官・丸山定夫は市長をどこかで見た気がするが思い出せない。

火事に駆けつけると火の手は二階にまわり、助けを求める男は鉄格子で出られず、大河内ははしごをかけさせて上がり、怪力で鉄棒を曲げて救い出したのは陰口を言った男で、涙で感謝する。警官丸山はそれをじっと見ている。

夜の執務室に戻った大河内は一本の燭台を見て回想する。

彼はニワトリを一羽盗んだだけの罪で島流しになり、脱走を繰りかえして刑も長期になっていた。ある嵐の夜、そのころの監視人・丸山の目をかすめて怪力で鎖をはずし、舟で島脱けに成功する。本土に戻ったが怪しい格好は気味悪がられ、困り果てて寺に入ると、和尚は何も言わず食事も寝床も与えた。しかし大河内は深夜、高価そうな燭台を盗んでゆく。それも捕まり寺に連行されるが、和尚は「これは与えたものだ」と警官を帰し、対になるもう一本も差し出して「自分の本当の心を大切にせよ」と諭す。とぼとぼ行く道に子供が落とした金を探しているのを踏んで隠していたが、やがてたまらず返そうと追っても子供はもう見えなかった。大河内は道端に燭台を置いてひざまずき、わが心を恥じて号泣する。そんな過去があった。

警察の牢で「私は何もしていない」と訴える不幸な病気女を入院させ、自分には幼い一人娘がいて、ある所に預けてあるのが生き甲斐だと聞かされる。

つきまとう丸山は市長が島脱けの本人と確信したが、その犯人が捕まって裁判にかけられると知り、疑ったことを詫びる。そのままにしておけば大河内の過去は消える。しかし裁判所に出向き「自分が本人、その人は無実」と告白して鉄棒を曲げて見せ、丸山はしてやったりと縄をかける。再び島送りになったが舟は難破、囚人らは死んだと報告された。

数年後。ある町で大河内は困った人を助ける金持ち篤志家となっていた。強靭な彼は難破した舟から一人逃げのびていたのだ。かつて入院させた女はすでに亡く、娘を探し出すと、強欲夫婦(小杉義男・清川虹子)に虐げられており、大金で引き取る。

娘は大河内のもとで目も醒めるお嬢様(原節子)となった。雇った英語の家庭教師・佐山亮はりりしく、互いに心を寄せてゆく。しかしここにも丸山の目がちらつき、黙ってまた引っ越しを余儀なくされる。佐山は父代わりの祖父・滝沢修に原との結婚を願い出るが身分が合わないと拒否され、では勝手にしますと席を立つ。

おりしも西南戦争が勃発。佐山は原を呼び出して別れを告げ、同志と戦線に立つが撃たれ瀕死、大河内は一人で銃下を抜け道をかいくぐって担いで戻り、原に預ける。

後日、大河内は滝沢をうまく丸めこみ「老人は引っ込みましょう、若い者は若い者同士ですな、ははは」と縁談をむすばせる。

伊丹万作の現存作品は少ないが、諧謔の洗練をきわめた『赤西蠣太』、ナンセンス時代劇の極北『きまぐれ冠者』、軽快なルビッチ・タッチの『権左と助十』、真情あふるる『故郷』などは、知性とユーモア、卓抜な脚本演出で、比較する人のない映画監督だ。その最後の作、ビクトル・ユーゴー作『レ・ミゼラブル(ああ無情)』を翻案した『巨人傳』はあまり語られておらず、私には幻の作品だったのをようやく見られた。

後半の主人公はどこで得たかはわからないが、森に莫大な金を埋め隠し、それをもとに並外れた怪力と良心による善行は、言葉は少なくても威圧をそなえる。強欲夫婦にさらに金をせびられ、縄で縛られて無頼に囲まれても、ここまでと判断するとおもむろに縄をぶっ切り、「やめなさい」と一声して出て行き、無頼たちは手も出せない。

ひな人形にあこがれる幼い娘は、重い手桶で一歩一歩水運びをさせられていた。その手元に大河内の手がすっとのびて桶を持ってやる画面のうれしさ。 戦争で敵方に捕らわれた丸山は、現れた大河内に「さぞうれしいだろう」と最後の悪態をつくが縄を切って助けられ、執念でつけ回してきた男に救われたことにへなへなと座り込む。りりしい佐山亮を慕う町娘・堤真佐子は懸命に尽くすが、競争相手がお嬢様の原節子と知り、これは負けたと思い知ってなお二人のために影の力となるサブエピソードもいい。

前科で追われる身でありながら、不法らしき資金をもとに贖罪的行動をつらぬく影のある聖人に、次第に『巨人傳』という題名が理解されてくる。かすれ声の大河内の大きな器量は全く適役だ。大ドラマの劇的終わり方ではない、軽い茶飲み話での締めくくりは伊丹らしいかもしれない。

ユーモアもナンセンスも、超名作『無法松の一生』(脚本のみ/監督は盟友稲垣浩)もある伊丹のこれは、スペクタクルもドラマチックも備えた、たいへん映画らしい映画だった。すごく良かった。

『風雲金毘羅山』ー情緒たっぷり、こんな豊かな作品があるとは知らなかった。国立アーカイブに感謝!

特集「松竹第一主義 松竹映画の100年」のチラシ

『風雲金毘羅山』
国立映画アーカイブ 特集「松竹第一主義 松竹映画の100年」(7/7~9/6)で上映。

1950(昭和25)年 松竹 92分
監督:大曾根辰夫 脚本:鈴木兵吾 撮影:太田真一 美術:桑野春英
音楽:須藤五郎
出演:阪東妻三郎/山田五十鈴/黒川彌太郎/山路義人/井川邦子/清水将夫

太田ひとこと:黒川彌太郎の妹で出てくるのが、笑顔が大好きな井川邦子で、とてもうれしい。

久しぶりに故郷銚子のお盆に帰ってきた渡世人・阪東妻三郎は、村外れの川岸にたたずむ山田五十鈴を見て「はやまるな」と声をかけるが身投げではなく、「よしとくれ」とあしらわれ、「これは失敬」と去り、五十鈴は後ろ姿を見送る。

元親分の家で仏壇に手を合わせくつろぐが、親分の娘の表情はさえない。夫になった乾分・黒川彌太郎は、その後土地の顔役にのし上がった山路義人の悪行を抑えきれないでいたのだ。かつて娘に好意をもちつつも、夫には真面目な黒川がよいと自分は身を引いて渡世人になった阪妻は、複雑な気持ちになる。

阪妻が立ち寄った居酒屋は五十鈴が女将だった。五十鈴は顔役山路の囲い者になってここをやっていたが気持ちは捨て鉢だ。しかし筋を通しながら情もある阪妻に心ひかれ、彼も五十鈴の真情を察してゆく。そこに来た山路は顔を知る阪妻に、俺の処に来いと誘うが、「三下だったお前が大きな顔をできるのは誰のおかげだ」と啖呵を切り、後ろに立つ黒川は身をすくめる。

散歩に出た浜で阪妻は土地の古老役人に、かつて出入りのはずみで斬ってしまった若者は五十鈴の弟だったと知りがく然とする。一方五十鈴も山路から「あいつはなあ」とそれを言われ、弟の仇と知る。

網元を牛耳る山路は、網代利ざやを大幅に上げて懐を肥やそうと決め、黒川の止めるのも聞かず、反対者を村外れに呼び出し、そこで切り捨てる策をたてる。もはや五十鈴には会えず、再び故郷を出ると決めた阪妻は土地の悪者を一掃しようと乗込んで刀を抜き、敵側で躊躇していた黒川もこちらに立つ。最後に山路を切り捨てようとする阪妻に「そこまでだ」と声をかけたのは彼を追っていた江戸の役人・清水将夫だった。阪妻を悪人と思わない清水は山路を捕らえ、阪妻に「これ以上罪を重ねずお縄につけ」と説き、村外れで待つから五十鈴のもとに顔を出して来いと去る。その阪妻を迎えた五十鈴は……。

冒頭は盆祭の夜。やぐらを中にゆっくり回る踊り、囲む屋台のそぞろ歩き、娘や子供たちが川に浮かべる精霊流しの行灯をカメラはゆっくりとどこまでも追い、なかなか本題に入らずに川下に佇む五十鈴に至る。思いに沈む五十鈴の背後から股旅姿の阪妻がさりげなく現れて声をかける。

故郷に帰ってきた渡世人が悪者を成敗してまた去るのは、名作『沓掛時次郎 遊侠一匹』(加藤泰/1966年)など股旅物のパターンで小林旭の渡り鳥シリーズも同じだが、この作はその通りの話を、広さのあるセット、丁寧な撮影で情緒たっぷりに描いてゆく。風呂から上がって縁側で団扇をつかう阪妻のロングショット、そこから立って別部屋にゆくのをゆっくり追い、終始遠景に繰り返される遠雷の稲妻が効果をあげる。

主人公阪妻をありがちなニヒル派にせず、例えば黒川にひざ詰めで意見し、俺の頼みだと頭も下げ、隠れて聞く妻に涙させる。一方居酒屋ではにっこりと愛嬌も見せていつしか五十鈴をひきつけ、もちろんいざとなれば立ち上がるのはわかっているから、文句なしに頼りになる。五十鈴はこれといった芝居はないものの、繰り替えされる顔のアップは、せりふなしで精密に微かな心情の移ろいを表してさすがの大女優だ。二人をまず同画面にアップにおさめ、片方が口を開くと、聞く側のアップに寄って言葉への反応を受け芝居で見せ、しゃべり終えるとややあってカメラはぐーっと退き、新たに生じた二人の関係を遠くから眺めるカメラワークの巧みさ。そしていざとなれば堂々とまん中に現れ「俺はここにいる、出てこい」と立ちはだかる。

渡世人はニヒル派になりがちだが、体を張った実行と人柄の温かさを両立させた像は、中村錦之助も市川雷蔵も勝新太郎も仲代達矢も菅原文太も、誰もできなかった板妻だけのもの。それを存分に味わえる。

大スターを粋と情の両面で生かし、情緒たっぷりに描いたこんな豊かな作品があるとは知らなかった。「松竹映画百年」で上映した国立アーカイブに感謝。

プロフィール

太田 和彦(おおた・かずひこ)

1946年北京生まれ。作家、グラフィックデザイナー、居酒屋探訪家。大学卒業後、資生堂のアートディレクターに。その後独立し、「アマゾンデザイン」を設立。資生堂在籍時より居酒屋巡りに目覚め、居酒屋関連の著書を多数手掛ける。



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