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まもなく世界初の大特集開催! タイの俊英・ナワポン監督インタビュー

ぴあ

(C)Very Sad Pictures (C)2018 BNK48 Office & Salmon House Co., Ltd. All Right Reserved. (C)2019 GDH 559 Co., Ltd.

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各国の映画祭でひときわ存在感を放っているアジアの映画。その中でも、タイの監督作品群は3大映画祭はもちろん、ここ日本の映画祭でも真っ先に紹介されてきた。昨年日本で公開されてスマッシュヒットを記録した『ハッピー・オールド・イヤー』の監督ナワポン・タムロンラタナリットもそのひとり。デビューから約10年、長編を7本も手掛け、コンスタントに新作を発表し続けている注目の監督だ。そんな彼の長編・中編・短編・CM群を一挙上映する企画「ナワポン・タムロンラタナリット監督特集」が、世界で初めてぴあフィルムフェスティバル(※以下、PFF)で行われることになった。そこで、監督自身にこれまでのキャリア、日本とのつながりなどを聞いた。

――監督の作品は東京国際映画祭だけでなく、大阪アジアン映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭と、日本での主要映画祭と非常に深いつながりを保っています。そこを踏まえ、今回のPFFでの特集上映という企画にはどういうお気持ちがありますか?

僕は日本映画を観て育ってきたので、映画製作を始めた当初から、自分の映画を日本で上映したいとずっと思っていました。でも、今回の上映は特別です。他の映画祭では一部の作品や、そのときどきの新作しか上映してないんですけれども、今回は私の作品のほぼすべてを扱う、大きなパッケージ上映ということで、特別なことだと思っていますし、とてもうれしいです。これまでの日本の映画祭をたとえると、作品1本の上映が1スタンプで、スタンプカードをためてきた感じ。それが満タンになったので、今回特別の上映になったかなって思っているんですよね(笑)。

監督に影響を与えた意外な日本映画とは……

ナワポン・タムロンラタナリット監督

――監督ほどの人がスタンプカードなんて集めないで大丈夫ですよ(笑)。ベルリンやベネチアなど、他の国の国際映画祭でも注目されているのに日本の映画祭にそれだけ肩入れしてくださっているっていうのは、日本映画が好きだったからなんでしょうか?

日本映画を観て育ったことは大きな理由になっています。日本の映画は、自分の映画作りのベーシックな部分で影響を受けているからです。もちろん、日本映画以外にも日本の文化にもとても影響を受けているので、自分がもともと影響を受けた場所で上映することには喜びを感じています。

――以前お伺いしたときには、是枝裕和監督の作風の話をされたことがありました。映画監督を志す前から観ていた作品で、一番影響あったのはなんでしょう?

観始めたときのことを考えると、是枝監督よりも前、すなわち2000年以前の作品になります。当時の監督ですぐに思い浮かべるのは、岩井俊二監督、北野武監督。今でもとても影響を受けていると思いますよ。

――北野監督のようなバイオレンスなところはどこにも感じませんが、どういう影響を受けたと思ってらっしゃいます?

北野監督の映画からはコメディのセンス、それから編集のタイミング、ドライな雰囲気、役者の顔の撮り方など影響を受けています。

――北野監督がビートたけしとしてコメディアンだったこともご存知で、コメディのセンスを読み取りましたか?

はい。じつは子供のころ、テレビのバラエティ番組『風雲!たけし城』がタイでも放送されていたんですよ。もちろん当時は子供だったので、殿が北野監督だってことはわかりませんでしたが(笑)。タイでは休日に放送されていた番組なので、子供たちは全員見なきゃ! くらいの人気があった番組でした。そのころ僕も単純に面白い、と思って見ていましたね。北野武監督と『…たけし城』の殿が同一人物っていうのを知ったのは、自分が映画を作り始めてからです。また、コメディのセンスは、北野監督作品だけでなく、他の日本映画からも影響を受けました。たとえば石井克人監督ほかのオムニバス『ナイスの森/The First Contact』とか、すごく日本らしいコメディのセンスのある作品でしたよね。

――84年生まれということは、90年代のハリウッド大作も、日本映画と同様にかなり大きな影響を与えているんじゃないでしょうか。

90年代のハリウッドは、CGIを使うのが主流になってきましたよね。『タイタニック』や『マトリックス』などのブロックバスター映画のすべてがCGIの最新技術を取り入れていました。それと重なる時期に日本映画を観始めたんですよ。たとえば『Shall we ダンス?』や『キッズ・リターン』なども、国際交流基金(ジャパンファウンデーション)のバンコク日本文化センターで上映していたので、観に行っていたんです。90年代のハリウッド映画と日本映画はほぼ同時に体験しているので、両方の影響を受けていると思います。

「新しい時代が始まる予感がする」タイ映画界

ナワポン・タムロンラタナリット監督

――その当時は、タイ映画が今のようには盛り上がっていない時期でしたよね。監督からみて、タイ映画の今と当時を比べると、どう感じられます?

あのころ、タイ映画は年間製作本数が少なくて、10本未満でした。現在は1年に40本から50本です。ただ90年代から2000年にかけてのタイ映画界は、ニューウェーブと呼ばれる監督たちが現れてきた時期でもあります。例えばアピチャートポン・ウィーラセータクン監督(『ブリスフリー・ユアーズ』など)、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督(『6IXTYNIN9』など)、それから『ナンナーク』のノンスィー・ニミブット監督、『アタック・ナンバーハーフ』のヨンユット・トーンゴーントゥン監督など。それ以前のタイ映画は、若者の青春映画しかなかったので、これらのニューウェーブが出てきたことで、すごく新しい風が吹きましたね。そんなバラエティ豊かにはり始めた時期にタイ映画を観てきた僕は、とてもラッキーだと思います。

今の状況は、ちょっとしたピークかな、と思っています。残念ながら、パンデミックによって先に進むに進めない状況もあるんですが、これからそのピークを超えて、新しい時代が始まる予感がしてるんです。というのも、昨年から今年にかけて久しぶりにタイ映画が世界で上映される機会が増えているから。『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』のナタウット・プーンピリヤ監督の最新作『One for the Road』がサンダンス国際映画祭で上映されたり、バンジョン・ピサヤタナクーン監督の韓国とタイの合作『The Medium』が公開されたり、アピチャートポン監督が韓国で賞をとったり。タイ映画界はいい波に乗ってますね。

――コロナ禍における映画製作の影響はいかがですか?

ほとんどの企画が延期されましたね。でも、企画が中止されたり、立ち消えになるっていうことはないです。自分の映画も来年に延期になりました。映画に携わるスタッフは常に何かつくっていないといけないので、中止ということはありえない。ただ適切な製作時期と公開時期を見極めないといけませんし、それと公開の形態をどうするか劇場にするのか、ストリーミングにするのかって考えています。視聴環境についても変化するタイミングなんでしょうね。

“メディア”を駆使し、コンスタントに作品を発表し続ける監督の原動力とは

――監督はこれまでずっと広義の“メディア”をテーマにしてきています。個人のメディアが発達することによって監督が描きたいものもどんどん変わってきていると思いますが、個人にメディアが与えられたことっていう功罪を考えていらっしゃいますか?

僕個人の話をすると、映画に限らずいろいろメディアを使って自分の語りたいことを伝えてきました。映画を撮る前は、雑誌や本で映画評論を発信していましたしね。映画専攻ではないので、メディアに対して自分はオープンで広く受け入れられることができます。今はいろんなプラットフォームがありますが、どんなものでも受け入れられると思っています。たとえば、過去に2年間、アートエクシビジョンをギャラリーでやったんですけども、これも新しいメディアのひとつだと思いますし、自分のテーマや伝えたいストーリーはどんなメディアを使っても伝えられると感じてます。今年はまた本を作りたいですね。

――たった10年で長編7本を手掛けられてるっていうのはなかなか他の国の監督でもいないんじゃないかなっていうスピード感ですが、そのスピード感を持続させている原動力っていうのはなんなんでしょう。

運命、ですかね(笑)。あと、人との出会いもよかった。たとえば、一番最初の長編『36のシーン』を撮ったタイミングは、ベネチア映画祭のプロジェクトでした。また、GDH 559という映画スタジオに作品を作ってみないかと誘われたときも、ちょうど自分が作ってみたいストーリーを持っていましたし、BNK48のドキュメンタリーを撮らないかと誘われたときも、やってみたいと思うものがちょうどありました。このように、なにかプロジェクトが舞い込んだときに、ちょうど自分の心の中に伝えたいストーリーがあったから作っている、という感じです。それにあえて理由をつけるとすると、自分が常に映画にしたいと思っているストーリーを持ち続けていて、そこにたまたまチャンスが訪れてきたっていうことだと思うんです。要はタイミングですよね。

BNK48のドキュメンタリー『BNK48: Girls Don't Cry』
(C)2018 BNK48 Office & Salmon House Co., Ltd. All Right Reserved.

監督が考える、チャンスを掴むための秘訣

ナワポン・タムロンラタナリット監督

――チャンスが巡ってくるタイミングがよかった、ということになりますね。そうやって声がかかる理由は、監督自身どのように分析されます?

ふたつ理由があると思っています。ひとつ目の理由は、自分がプロジェクトのスケールが小さかろうと大きかろうと柔軟に対応できるから。なぜなら、常に伝えたいストーリーをいくつか持っているから、そのプロジェクトのスケールにあったものを出せるんです。『マリー・イズ・ハッピー』や『あの店長』は小さいプロジェクトだったんですが、ぜひやってみたいことをすでに持っていました。また、『あの店長』を撮っていたときに、ちょうど『フリーランス』の脚本を書いていたんですけど、たまたまそれが大きな規模のプロジェクトにはまりました。

『あの店長』

もうひとつの理由は、柔軟に対応することによって、ほぼ毎年のように映画が撮れているということ。それによって映画を撮ってほしい人たちが集まりやすくなり、プロジェクトが成立しやすいんですよ。もしこれがアクション映画を中心に作られている監督だったら、僕のようにバンバン新作を撮ることは難しく、一作品でもすごく時間がかかると思うんですよね。

――ジャンル映画でいうと、ここのところ日本でも話題になっているボーイズラブがタイでは多く制作されていますが、お誘いはなかったんですか?

なかったですね〜(笑)。もしいただいたとしても、映画のプロジェクトのスケールには対応できるんですけど、あのジャンルは僕がもっと勉強しないといけませんよね。きっと受けていたら自分は楽しく作れると思うんですけど、出資者が喜ぶかどうかわかりません(笑)。

――GMMは喜ばないってことですね。

GMMTVは一度も僕に電話してきたことないですよ(笑)。BLでもし自由に撮らせてくれるっていうんだったらいいんですけど、タイのBLに関してはカルチャーが成立しちゃってまして。そこを理解してからやらないといけないんですよね。

――最後に、監督が手掛けた長編・中編・短編・CMが一挙上映される今回のPFFの大特集で、もっとも思い入れ深く、ここから観てほしいという作品を教えて下さい。

一本だけ選ぶとしたらやっぱり長編デビュー作の『36のシーン』です。この作品は、何かのチャンスを持っていたら映画なんて作れない、だったら自分ですべてをやろう、と手掛けた映画なんですね。自分で出資したし、自分のカメラを使ったし、自分でスタッフを集めたし、劇場の上映まで自分で手配しました。それが釜山国際映画祭で賞もいただけた。自分のキャリアの始まり、という思い入れがあります。もちろん他の作品でも特別な思い入れはあるんですけど、もっとも自分らしいスタイルが出ている映画だと思います。

『36のシーン』 (C)Very Sad Pictures

取材・文:よしひろまさみち

第43回ぴあフィルムフェスティバル

https://pff.jp/43rd/
開催:2021年9月11日(土)~25日(土)
場所:東京都 国立映画アーカイブ ※月曜休館
ナワポン・タムロンラタナリット監督特集~タイからの新しい風~
https://pff.jp/43rd/lineup/nawapolthamrongrattanarit.html
【上映作品】
『36のシーン』 
『マリー・イズ・ハッピー』
『あの店長』 
『フリーランス』 
『ダイ・トゥモロー』 
『BNK48: Girls Don't Cry』
『ハッピー・オールド・イヤー』
『ハッピー・オールド・フィルムズ1』
『ハッピー・オールド・フィルムズ2』
※9月12日(日)は『36のシーン』上映後にナワポン監督のオンライントークを実施。

チケットはチケットぴあにて発売中
https://t.pia.jp/pia/ticketInformation.do?eventCd=2122203&rlsCd=001&lotRlsCd=

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