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“山田裕貴=川端悠理”の切実な叫びが響くーー前川知大『終わりのない』が描くのは“意識の旅”

リアルサウンド

19/11/4(月) 8:00

 もしかすると私たちは、いま旅の途上にあるのかもしれないーー。世田谷パブリックシアターにて幕を開けた舞台『終わりのない』の主演である山田裕貴の、語り、叫ぶ姿を見て、そうしみじみと考えさせられる。本作は、古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』を原典とした、前川知大の作・演出によるSF作品だ。

 私たち人間には「ひらめき」というものがある。これは、個人の「意識」、あるいは「無意識」から生まれるものなのだろうか。それは、どこから生まれてくるのか、果たして本当に「私」のものなのか。主人公の少年・川端悠理(山田)の意識を通して、私たちはともに旅に出ることになる。その旅先は、はるか遠い未来の宇宙であり、また、現在とは“ちょっとだけ違う”現在だ。

【写真】舞台上の山田裕貴と奈緒

■山田裕貴による、劇世界への誘い

 3年ぶりの舞台で山田が演じるのは、高校3年生のまだ未熟な少年。彼は水難事故によって、32世紀の宇宙船の中で目を覚ますことになる。意識は21世紀の彼のままだが、その肉体に関しては、どうやら“悠理にそっくり”なだけらしい。そこでは意識だけが共有された、“ユーリ”として存在するのだ。

 山田演じるこの悠理/ユーリは、主人公であるのと同時に狂言回しでもあり、彼が背負っているものは非常に大きく重いはず。彼は共演者たちだけでなく、客席に語りかけることによって、私たちとも文字通り対峙しなければならないのである。現在と未来、日常と宇宙とを往還する物語の核でありながら、複雑怪奇な劇世界へと誘い、観客の意識をナビゲートする役どころを山田は務めなければならない。彼が「僕の物語」として自身について語っていく構成となっているが、そこで語られる旅の過程と終着点で体現する成長は、“ささやか”ながらも、その果てに得た経験は“壮大”であることを思わせる。やがて劇場内に響き渡る“山田裕貴=川端悠理”の叫びは、それほどの切実なものとして、私たちの耳に残り、脳内で響き続けることだろう。

■奈緒の持つ、新鮮さと神聖さ

 悠理がユーリとして旅に出るきっかけとなるヒロイン・能海杏は、奈緒が演じている。一人の少年の未熟さに端を発する物語だが、それを誘引する役割を彼女が引き受けた。そんな奈緒にとっては本作が初舞台。筆者は、稽古が始まったばかりの彼女にインタビューをしたのだが、当初はやはり少なからぬプレッシャーを感じていたようだ(参考:「奈緒が語る、初舞台『終わりのない』に向けて)。しかしこのところ、次から次へと魅力を開花させている奈緒なだけに、いち観客であるこちら側としては楽しみで仕方なかった。実際、彼女の声や佇まいから感じられる透明感は、触れようとすれば離れ、離れようとすればそこに立ち現れてくるような、独特の新鮮さと神聖さが同居している。これは物語のテーマの一つである、「ノスタルジー」に通じるものとも思えた。

■『終わりのない』がもたらす、不思議な感慨

 そんな山田、奈緒を支えるようなはたらきを見せたのが、前川作品をよく知る前川作品経験者、仲村トオル、清水葉月、村岡希美の三人だ。今作で清水は悠理の幼馴染役に、村岡と仲村は両親役に扮している。幼馴染や親といえば、まだ幼い者にとって、“いつまでも一緒にいられる”という錯覚を起こしかねない存在だ。劇中の言葉を引くならば、“境界線のない一体感”を与えてくれる存在でもある。前川作品の持ち味であるシームレスな場面転換とともに、悠理に寄り添い、また反対に突き放すような関係性を、彼らだからこそ発揮できる安定感で作り上げた。悠理のささやかで壮大な成長を促す役回りである。前川ファンにとって、非常に安心できる三人だろう。

 そしてやはり本作を語るうえで、前川率いる劇団「イキウメ」の団員たちの功績について触れないわけにはいかない。前川との劇団活動において、共同クリエーションを重ねている安井順平、浜田信也、盛隆二、森下創、大窪人衛ら五名の劇団員。「イキウメ」の公演は彼ら劇団員に加え、作品ごとに異なる手練の客演陣を迎えて上演される。そこで毎度感じるのは、前川作品は俳優陣のチカラが対等でなければ成立しないのではないかということである。先に述べた三者もそうだが、シームレスに時間と空間を越境してしまう、有機的に機能していく“劇全体”を意識しなければならない。それは“個と全体”という関係が、“僕と人類”の関係へと飛躍する様を描いた本作とも通底し合っている。劇団員である彼らが作り上げる下地とグルーブ感、そして山田たちとのエンカウンターによって生み出される化学反応がなにより小気味よい。彼ら無くして前川作品は成立しないのだ。

 “少年の成長譚”という分類では小品に位置づけられるが、時空を超越する“意識の旅物語”という分類では、やはり壮大な作品である。“ユーリ”としての旅を体験した悠理は、それを自分自身の経験へと変えるに違いない。そうなれば彼は、肉体はそのままでありながら、もうかつての未成熟な高校3年生のままではいられないだろう。劇中に「…夏の空、田舎道、古い町並み、夕焼け、海…」といったワードが登場するのだが、いずれも初めて出会う光景であるにもかかわらず、どこか懐かしさを感じさせるものたちだ。これらだけでなく、なにかに対して、そして誰かに対してふと感じる懐かしさは、私たちが旅の途上、どこかで出会っているからなのかもしれない。本作で得た経験は、いずれどこかで「ひらめき」として現れそうである。それがいつになるのかは分からない。明日かもしれないし、1000年以上も先の宇宙でかもしれない。そんな不思議な感慨に打たれる。

(取材・文=折田侑駿/写真=大和田茉椰)

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