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小西康陽 5243 シネノート

3月から10月

毎月連載

第22回

20/10/19(月)

『月世界の女』

 今週も観たい映画が多かったり、とても悲しい報せを受け取ったり、要するに原稿を書く気が全く起きない。どうして引き受けてしまったのだろう、などと考えているうちに、また映画を観に出掛ける時間が迫ってきている。
 たしか4月の初めに、よく通っていた名画座が営業を休止して、それでもまだ上映を続けている劇場もあるにはあったのだけれども、こんどは周囲がうるさく言うようになって、それでじぶんも部屋に籠って暮らす生活に入った。たしかそんな感じだった。
 予定の入っていた仕事も全て中止、レギュラーで入っていたDJの仕事も休止、近所のスーパーマーケットの他はどこにも出掛けず、映画を観ることもしなかった4月、そして5月。いま思い出すなら、あの2ヶ月間は、寝たいときに寝て、起きたい時間に起きて、お腹が空いたら台所で何か買い置きのものを食べ、好きなレコードを聴いて、そのレコードのことを調べては別のレコードに興味を持ち、また眠くなったら寝て、という自堕落な生活のループ。けれども振り返ってみれば、あの2ヶ月間がここ数年のうちでもっともリラックスしていて寝不足もなし、ストレスもまったくなし、の健康的な日々だった。
 いったい、映画に行ったり、お金にもならないDJをしたり、その準備に明け暮れたりするのは義務なのか。そんなことを考えてしまうこともあった。
 思えば二十代前半、かなり集中して映画館に通っていた時期も、ときどき生活のスケジュールが映画に縛られてしまうことが苦痛になったりした。行きたくなければ行かなければよいのに、なんとなく行かなくては、観なくてはいけない、という気持ちになるのがいつも不思議だった。
 だから、この「世界/同時/春休み」のようなロックダウン、とは我が国では言わなかったのか、半強制的外出自粛・営業自粛要請の時期というのは、じぶんの心の健康のためには案外と貴重な時期だった、と考えている。
 とはいえ6月。劇場の営業が再開すると、けっきょく足を運んでしまう。まだ両隣りの席を使用禁止として、入場者数を半分ほどにしている。たしか営業再開してから最初にラピュタ阿佐ヶ谷に行ったとき、満員札止めで入場できずにすごすごと帰ったのは、何という映画だったか。
 上映中もマスク着用、ロビーでの食事は禁止、会話もお控えください。最終回の上映は休止。こちらも戸惑ってしまったが、劇場側の困惑はもっと大きなものだったに違いない。いつもの劇場のいつものスタッフの方々が、上映が終わる度に、劇場のドアや座席の肘掛けを拭いて消毒している。仕事は何倍も増えたのに、入場者数は半分。やってられない、ですよね。だが、やってられない、と閉館してしまった劇場がなかったのは感謝するほかない。
  劇場に戻ると、久しぶりにお見かけする知り合いの方々の、お元気そうなお顔が嬉しい。いっぽう、このコロナ禍以降、すっかり劇場で見かけなくなってしまった人も。そういうじぶんもどこかのタイミングでぷい、と劇場に行かなくなる日がいつかきっと来る。

  さて、6月から観ていた映画について思い出して書くのは割愛、7月の新文芸坐における幕末を舞台にした映画の特集、そして国立映画アーカイブの松竹映画の特集で観た松野宏軌『いも侍・蟹右衛門』という作品、8月のシネマヴェーラにおける【ナチスと映画】の特集が素晴しかったことだけを記しておきたい。いや、もうほとんど忘れてしまいました。
 9月は忙しかったはずなのに、かなりの本数の映画を観ていた。その中でもとくに感銘を受けたのはシネマヴェーラ渋谷の特集【素晴らしきサイレント映画 II】と神保町シアターで行われた【生誕百年記念 映画女優・原節子】という特集だった。

『サンライズ』

 シネマヴェーラのサイレント映画特集は2019年に続いての企画。前回は、行ってもどうせ寝落ちするだけだろう、とパスしてしまったが、最終週に掛かった『つばさ』という作品だけ、ゲイリー・クーパーを観たさに行ってみたところ、これがおもしろい。なーんだ、次回があるのなら観に行きたい、と考えてから一年後の特集だった。
 ちょうど夏の疲れがあったのか、この頃はサイレント映画であるなしにかかわらず鑑賞中、やけに寝落ちしていた時期だったのだが、寝落ち完落ちした作品はフリッツ・ラングの『死滅の谷』、エルンスト・ルビッチの『思ひ出』、F.W.ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』、そしてジャン・ルノワールの『水の娘』の4本。なんだ、巨匠の作品ばかりではないか、と呆れる方も多かろう。『水の娘』などは寝落ちから覚めて調べてみると、なんと以前にもシネマヴェーラで観ている。つまり前回も寝落ちして何も憶えていなかったのだ。
 いや、寝落ちしたのはたった4本、あとは大いに楽しんだ。とくによかったのは、F.W.ムルナウの『都会の女』『サンライズ』『人生の乞食』 、ラウール・ウォルシュの『バグダッドの盗賊』、D.W.グリフィスの『イントレランス 』、ジョゼフ・フォン・スタンバーグの『暗黒街』、そしてフリッツ・ラングの『月世界の女』。
 こうした傑作の数々を初めて観てようやく知ったのは、映画の話法というものがサイレントの時代に出来上がっていた、ということ。トーキーになってから映画が成熟したかのように考えていたけれど、そうではなくて、はやくも大人になってしまった映画はサウンドが完成するのを待っていたのだ。そんなことを目の当たりにして、ほんとうに驚いてしまった。いまごろ何を言ってるの? とバカにされても仕方がない。なにしろこの歳になるまで観ていなかったのだから。

『都会の女』

 とりわけ感動したのはF.W.ムルナウの『都会の女』とフリッツ・ラングの『月世界の女』だった。『都会の女』の、恋人たちが麦畑を走る幸福なシーン。そして終盤、父親が自動車で逃げる息子をライフルで撃つ場面。ごぞんじのとおり、息子は凶弾に倒れることなく父親と和解するのだが、あれが1960年代以降のハリウッド映画なら、そのとき劇場でスクリーンを見つめながら不意に浮かんだ名前を挙げるなら、たとえばテレンス・マリック監督のような作家なら、父親のライフルは息子の命を奪っていたのではないか。
 そしてフリッツ・ラングの『月世界の女』。ほぼ3時間に近い長さのサイレント映画ということで、まあ寝落ちしても仕方がないさ、と覚悟して鑑賞したのだったが、これがスマートでモダンでスピーディでダイナミックで楽しく、寝落ちどころかまったく退屈させることがない。そして、そして、そして。あの壮大な設定の話にして、まるで短編小説のような、ささやかでさりげない、やさしくて切ないラスト。これはけっして映画史上の名作、というような教科書的に、通過儀礼的に観るような映画なんかではなく、ただのセンチメンタルで愛おしいラヴ・ストーリーなのだった。じぶんはこういう映画に弱いのだ。この映画を観た帰り道、「前澤さん」という人のことをなぜか思い出していた。その人はかつて月旅行に行く、と宣言していたのではなかったか。本当の恋人を探すためにロケットに乗る、こころ淋しき億万長者。そう考えると、なんだかその人が好人物に思えてくるではないか。

神保町シアター「原節子特集」

 神保町シアターの原節子特集、未見だった吉村廉『女医の診察室』、そして稲垣浩『ふんどし医者』もほんとうに素晴らしい作品だったけれども、今回はなんとなく再見した小津安二郎の作品にすべてをさらわれてしまった。
 二十代の前半、集中して映画を観ていた時期に、小津安二郎の作品はひととおり観たはずで、7年前にふたたび名画座に足を運ぶようになってからは、取りこぼしていた作品以外はとりあえずパス、なるべく観たことのない映画、知らない作家の作品を優先して観ていた。なのに、なんとなく、今回の原節子特集では久しぶりに劇場で小津安二郎を観たくなって、まずは『晩春』に観に行った。そして完全にノックアウトされてしまった。若い時分にはわからなかった魅力に気づいた、などという月並みな感想だけは言うまい、と思っていたのだけれども。だが、くやしいけれど、まったくそのとおりなのだ。
 いや、若い時分にはわからなかった魅力に気づいた、というのもすこし違う。若いときから感じ取ってはいたけれど、それ以前に小津安二郎の映画を観て誰もがまず面食らってしまう部分に眩惑されて、魅力だと気づくまでに至らなかったところにたどりついた、という感じ。まわりくどいな。
 やはり小津安二郎は喜劇映画の作家なのだ。小さな笑いを積み上げて作られた物語。もちろん、それはむかし観たときにもわかっていた。けれども、まずはあのロー・アングルや不思議な切り返し、不思議なせりふの畳み掛けなどに惑わされてしまう。そして日本人が観てさえも強烈に意識させられてしまう「日本的な」「東洋的な」「禅のような」「ミニマルな」感覚。けれどもその演出は、じつはアメリカやヨーロッパの洒落たコメディ映画をたくさん観てきた人からしか出てこないような、ひどくソフィスティケイトされたスタイルだということ。やはり若いときは何か先入観のようなものに目くらましされていたのではないか。
 けっきょく今回の原節子の特集で掛かった小津作品は『晩春』『麦秋』『小早川家の秋』『秋日和』と4本すべて観た。この7年間、知らなかった邦画の傑作に何本となく出会ったけれども、やはり小津安二郎は別格なのだった。
 上記の4作、いずれも37年ぶりに観たのだが、これがほんとうにおもしろい。さまざまな俳優たちが出演していたこともすっかり忘れていた。『晩春』の三島雅夫、宇佐美淳。『麦秋』の菅井一郎、淡島千景、佐野周二、宮口精二、二本柳寛。『小早川家の秋』の森繁久彌、加東大介、山茶花究、藤木悠、遠藤辰雄。名画座ではおなじみの俳優たちが小津安二郎の映画の中ではすっかり小津調で演技している。それが愉快でたまらない。
 さらに個人的なことを書くなら、今回このタイミングで小津安二郎の映画を観直すことができたのは大きかった。ようやく自分のスタイルを完成させた作家がそのあと、どうするのか。守るのか。壊すのか。流し運転で仕事をこなして行くのか。それとも沈黙するのか。大映で作った『浮草』や東宝に招かれて撮った『小早川家の秋』は、やはり流し運転のように思える。
  2015年に作った『わたくしの二十世紀』というアルバムから5年、じぶんは今年の6月、ちょうどこの連載を休んでいた時期に『前夜』というライヴ・アルバムを出した。もちろん、じぶんを小津安二郎になぞらえるわけではないけれども、さてこれからどうしよう、と考えていたところだったのだ。もちろん、このまま沈黙、このまま忘れられてしまう、というのでもかまわないと思っている。もうすこし小津の映画を観直してから、と、判断を留保している。

『いも侍・蟹右衛門』
1964年/日本
監督:松野宏軌
脚本:犬塚稔
出演:長門勇、小畑絹子、宗方勝巳、倍賞千恵子ほか
※国立映画アーカイブ「松竹第一主義 松竹映画の100年」

『サンライズ』
1927年/アメリカ
監督:F・W・ムルナウ
脚本:カール・マイヤー
出演:ジャネット・ゲイナー、ジョージ・オブライエン、マーガレット・リヴィングストンほか
※シネマヴェーラ渋谷「素晴らしきサイレント映画 II」

『都会の女』
1930年/アメリカ
監督:F・W・ムルナウ
脚本:ベルトルト・フィアテル、マリオン・オース
出演:チャールズ・ファレル、メアリー・ダンカン、デヴィッド・トレンスほか
※シネマヴェーラ渋谷「素晴らしきサイレント映画 II」

『月世界の女』
1929年/ドイツ
監督:フリッツ・ラング
脚本:フリッツ・ラング、テア・フォン・ハルボウ
出演:ヴィリー・フリッチ、ゲルダ・マウルス、フリッツ・ラスプほか
※シネマヴェーラ渋谷「素晴らしきサイレント映画 II」

『晩春』
1949年/日本
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:笠智衆、原節子、月丘夢路ほか
※神保町シアター「原節子特集」

『麦秋』
1951年/日本
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:原節子、笠智衆、淡島千景ほか
※神保町シアター「原節子特集」

『小早川家の秋』
1961年/日本
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:中村鴈治郎、原節子、司葉子ほか
※神保町シアター「原節子特集」

『秋日和』
1960年/日本
監督:小津安二郎
脚本:野田高梧、小津安二郎
出演:原節子、司葉子、岡田茉莉子ほか
※神保町シアター「原節子特集」

プロフィール

小西康陽

1959年、北海道札幌生まれ。1985年にピチカート・ファイヴでデビュー。作詞・作曲家、DJ。

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