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『Away』はなぜアニメーションとして画期的なのか VTuberにも通じる“即興性”を読み解く

リアルサウンド

20/12/18(金) 10:00

 「即興芝居」という言葉には、特別の響きがある。

 映画には、基本的に脚本があり、脚本に沿って段取りがあり、あらかじめ予定していた通りに撮影が進められる。映画という「プロダクト」は基本的に事前に作った設計図に基づいて予定調和的に作られる。

 しかし、即興はその基本から逸脱し、予定にないものを映画に加える。そうすることで「プロダクト(製品)」に生っぽい感情が加わる。前述した特別な響きというのは、その生っぽさのことだ。

 即興は、「創造的な偶発性」を映画に与える。それは時に綿密に練られたプランを凌駕する効果を作品にもたらすことがある。それは、一回限りの瞬間で再現性がない。もう一度同じことをやらせたら、それはもはや「段取り」であり、即興で生まれた新鮮な感動は失われる。その新鮮さに、脚本に書かれた段取りよりも深い人間の真実が宿ることがある。

 そんな即興が実現できるのも生身の人間がカメラの前で演じていればこそだ。全てをゼロから作り上げるアニメーションには即興はできない。

 これまでは、基本的にそう考えられていただろう。

 しかし、それを覆す作品が現れた。ラトビアのアニメーション作家、ギンツ・ジルバロディス監督が一人で作り上げた『Away』だ。この映画は、脚本も絵コンテも書かずに即興で物語が紡がれた。キャラクターの行動も展開も、ジルバロディス監督が「現場」で全て考えたのだそうだ。

 このアニメーションの新機軸と言える即興重視の作品をジルバロディス監督の証言を中心に語り、さらに近年日本で台頭するポップカルチャーのひとつであるVTuberとも絡めて、アニメーションが即興を獲得したことで何が起こるのかを論じてみたい。

即興がもたらす創造的アクシデントとは

 ジルバロディス監督の証言を紹介する前に、即興演出について振り返りたい。

 即興芝居を中心に映画を組み立てる作家は、古今東西数多く存在する。基本的に脚本通りに撮る監督でも、全く即興を認めない監督はそれほど多くないだろう。ある意味、即興自体は実写映像作品においてありふれた演出ともいえる。

 現在の日本映画界で即興を好む映画監督と最も有名なのは、是枝裕和だろう。テレビドキュメンタリー出身の是枝監督は、脚本を書かずに即興芝居のみで長編映画を作っていた時期がある。なぜそのような手法を試そうと考えたのか、是枝監督は自著『映画を撮りながら考えたこと』で以下のように語っている。長編映画2作目の『ワンダフルライフ』撮影中の出来事だそうだ。

「映画では思い出を語る一般の人として、夛々羅君子さんという七十七歳のおばあちゃんに出演していただきました。<中略>夛々羅さんは、ハンカチを子ども時代の自分を演じる女の子に渡し、椅子へと戻るのですが、その脇には寺島進さん、ARATAくん(現・井浦新)、小田エリカさんが並んで座っていて、彼ら全員で演技をしている女の子をやさしく見守りながら、赤い靴を一緒に口ずさみはじめたのです。それは僕の指示ではなく、自然発生的なものでした。その様子を見た僕は、正直感動した」※1(カッコ内は筆者が挿入)

 是枝監督は、この体験をもとに、「役者から自発的に、内発的に生成される感情を使いながら一本映画が撮れたらおもしろいかもしれない」(※2)と考え、次回作の『DISTANCE』を脚本なしで撮影した。是枝監督は、主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を最年少で受賞した『誰も知らない』でも、役者たちに台本を渡さず、各人に台詞のみを伝える「口伝え」という手法で映画を作っている。柳楽優弥は、現在ではクレバーな役者として様々なタイプの役をこなすが、当時カンヌを感動させた真実の感情が込められた芝居を引き出したのは、是枝監督の「内発的な感情」を引き出す演出プランにあったといえるだろう。もし、脚本を書き、段取り通りの芝居を当時の柳楽にやらせていた場合、カンヌという世界最高峰の舞台で賞を受賞することはなかったかもしれない。

 近年の是枝作品は、『DISTANCE』や『誰も知らない』の頃と比べると脚本芝居の比重が多くなっているが、子役に対しては口伝えを実践している。『海街diary』の広瀬すずにも、脚本を渡さず口伝えによって芝居を引き出している。

 アメリカのインデペンデント映画の父と言われる巨匠ジョン・カサヴェテスも即興で映画を作り、映画史に名を刻んだ一人だ。カサヴェテスは、即興を「創造的アクシデント」と呼んだ。ほとんど全てを段取りどおりに進行させるハリウッド映画の対極のやり方を実践し、1959年、全編即興で撮影された『アメリカの影』を発表した。その映画は、ハリウッド映画に反旗を翻したような作風だった。

 16ミリフィルムで撮影された荒々しい画面、脚本のない即興芝居、音声もノイズまじり、オールロケーション。役者が事前にどう動くか決まっていないため、カメラワークも整っていない。しかし、それが逆にハリウッドの撮影システムに縛られていた役者を解放し、人間の実像に迫っていると評価された。

「『アメリカの影』は最初から最後まで創造的アクシデントの連続だった。ぼくらは自分たちのやっていることに興奮していた。そもそもぼくらには何もなかったから、創造し、即興しなければならなかったんだ」※3

 カサヴェテスの証言で面白いのは、デビュー作『アメリカの影』が評価されたポイントだ。レイ・カーニー編『ジョン・カサヴェテスは語る』の中で彼はこう証言している。

「ぼくらが誉められた点っていうのは、直そうとしてたところなんだ。ひどい音響とか……ドリー(上にキャメラを乗せる移動者)上の長焦点レンズ(望遠レンズ)とか、往来をはさんでの撮影とかいったもの――こういったものはみんな、天才的なひらめきじゃなくて、偶然から生じたものだった。<中略>イングランドで公開したときに、こう言われたよ。『我々がこれまで耳にした中で最も真に迫った音だ』」※4

 『アメリカの影』の制作クルーは、経験豊富なプロではなかった。撮影中、技術的なトラブルは日常茶飯事であり、ある意味、狙い通りに映像を作ることができなかったわけだが、そのアクシデント的な要素が逆に高く評価されたのだ。カサヴェテスのデビュー作は、役者も撮影クルーも即興的で、その全てが段取り通りにスタジオで撮影していたら得られない、「創造的なアクシデント」に満ち溢れていたのだ。

『Away』監督は創造的アクシデントをアニメーションに求めた

 これまでは、そのような「創造的なアクシデント」をアニメーションに持ち込むことは困難だと考えられてきた。何しろ、アニメーションのキャラクターは絵であったり、人形であったりするので自発的に動くことはない。また、通常アニメーション制作は集団による分業制であるため、一つのセクションが勝手に何かを変更したら、それに伴って他のセクションも変更を迫られる。それゆえ、あらかじめ綿密に様々なことを決め、その決められた通りの物を作るべく作業する。そこに即興が入り込む余地はなかった。

 しかし、『Away』はその壁を越えた。果たして、その画期的な映画はどう作られたのか、監督に話を直接聞く機会があったので、ここからジルバロディス監督の証言を元に紹介しよう。同氏はまさにカサヴェテスの言う「創造的なアクシデント」を求めてこの手法にたどり着いたということがよくわかるだろう。

「脚本も絵コンテも作らずに制作を進めたのは、ドキュメンタリー的に作品を作りたかったからです。通常、多くのスタッフを集めてアニメーションを作る時、意思統一のためにどうしても脚本や絵コンテが必要になります。本来なら、アニメーションほど緻密にプランニングしなければならないものはないでしょうが、今回、私はそういうやり方では到達できない作品を作ってみたかったんです。普通なら思いつかないユニークなアイデアやストーリーテリング、直観的なカメラワークを実践してみたかったんです」

 実際の完成作品は、4つのチャプターで構成されている。これも制作途中に思いついたそうだ。

「全体的な物語の骨組みだけは考えてありましたが、途中から4つのチャプターに分けようと思いました。最初のチャプターを作っているときには、まだ3チャプター目の構想は固まっていませんでしたね。最初の構想にとらわれず自由に発想して物語を展開させていくことを大事にしました。例えば、映画に小鳥が登場しますが、あの小鳥は最初の構想では出番は少なかったんですけど、最終的には主人公の次に重要なキャラクターになりました。それから、主人公の少年が黒猫に出会ったり、飛行機の残骸を見つけるといった展開は最初は全く考えていなかったんです」

 なぜ、即興的に物語を組み立てることができるのだろうか。本作はMayaという3DCG作成ソフトを用いて制作されている。3Dで舞台となる世界をまず作り上げ、そこにキャラクターを配置し、カメラポジションとキャラクターの動きを決めていく。本作において、3DCGソフトで作られたその世界は、撮影のためのロケ現場なのだ。

 「ロケ」という言葉を使ったのは、本作のカメラワークがまさにロケ撮影のような不完全さと計算外の動きに彩られているからだ。本作のカメラは全編、手持ちカメラのような手ブレが加えられている。

「コンピュータは正確に制御できるものですが、私は逆に不完全性をもたらしたいと考えていました。カメラがキャラクターの動きを追いきれていないような、まるで人間がカメラを持ってそこにいるような感じを出したかったんです。もう一つこだわったのは、長回しです。ひとつのショットが短く、編集されたものよりも長回しのほうが『記録』されたものという感じが強くなって、没入感が出るだろうと思ったんです。実際にカメラの動きも事前に計算せずに直観で動かしています」

 ジルバロディス監督が挙げた「不完全性」というキーワードは重要だ。それは作品の完成度が低いという意味では決してない。

 それは、例えばハリウッド黄金時代のスタジオ映画のような、全てが計算しつくされた作品に対して、荒い粒子の映像に、ノイズ混じりの現場音声、そして段取りを排した即興芝居で人間の生の感情に迫ろうとしたジョン・カサヴェテスの映画に通じる「不完全性」のことである。

 カサヴェテスの『アメリカの影』は明らかに技術的には、撮影も音響も完成度が高いとは言い難い。だが、前述した通り『アメリカの影』で評価されたポイントはまさにそこだった。それはカサヴェテス自身も予想していなかったことだ(なにしろ、彼は直そうとしていたのだから)。まさに作り手の意図を超えた偶然性が映画を傑作にしたわけだ。

 そして、『Away』においてジルバロディス監督は、そうした「創造的なアクシデント」をアニメーションにもたらそうとしたのだと言える。

 本作の3DCGは、ディズニーやピクサー作品に比べれば、技術的には荒い。実際、ディズニー作品ほどに細かいポリゴンで作ってはいないのが、それは即興を可能にするリアルタイムレンダリングを実現するためだ。CGは精密になればなるほど物理演算量が増え、レンダリングに時間がかかる。本作はあえてローポリゴンの荒いCGにすることによって、個人製作でもリアルタイムレンダリングを可能にし、即興を可能にすることによって「創造的なアクシデント」を持ち込んだ。まさに、高い技術を擁するハリウッドに、荒い画面で対抗したカサヴェテスと同じ構図になっていると言えるのではないだろうか。

二次元キャラが即興するVTuber

 『Away』の3DCGは計算量を少なくし、リアルタイムレンダリングを可能にするためにローポリゴンであると先に書いた。現在の日本のポップカルチャーでこれと同じ発想で人気を博しているものがある。VTuberだ。

 VTuberはCGでモデリングしたキャラクターをモーションキャプチャによって、即座に動かすことで、YouTubeなどで実況ライブ配信をしているわけだが、当然レンダリングがリアルタイムではなくては生配信できない。だからこそ、VTuberのキャラクターモデルは、ある程度物理演算量を抑えたものになっているわけだ。

 VTuberという存在もある意味、アニメキャラクターに即興をさせているものだと言えるかもしれない。アニメ的なキャラクターがライブ配信で段取りせずに動いてしゃべる点が、一般的なアニメ作品とは異なるVTuberの魅力のひとつだろう。

 そのVTuberの仕組みをそのまま映画制作に適用したのが、今年9月に公開された、登場人物全てがVTuberの映画『白爪草』だ。本作はキャラクターの動きも、カメラワークも一般的なアニメ作品とはかなり異なる印象を与え、どう動くかわからないスリルがある。モーションキャプチャで人間が演じているわけだが、この映画では演者の動きをかなり多くそのまま採用していると思われる。

 通常の商業アニメーション作品でモーションキャプチャを用いても、その動きをそのまま採用せずに、アニメキャラクターの動きらしくするために動きの取捨選択をして整えていくわけだが、『白爪草』はコロナ禍で企画が立案され、低予算かつ短期間で製作しているためか、人体の即興的な動きもそのまま残っている。その荒々しさに『Away』とも共通する魅力が感じられる。

映画『白爪草』予告【2020年9月19日(土)公開】

 モーションキャプチャはデジタル時代の新技術だが、アニメーションの古い手法でも即興的な動きを実現させることは可能だ。実写映像をトレースして描くロトスコープは、モーションキャプチャと同じことをアナログで行っているものと言える。

 ロトスコープを好んで用いるアニメーション作家の久野遥子は、筆者のインタビューでロトスコープの魅力についてこう語った(参照:岩井澤健治×久野遥子が語り合う、『音楽』に詰まったロトスコープアニメの可能性)。

「映画には偶然による奇跡ってあると思うんです。商業アニメの作り方だとそれが起きにくいとは思いますね。でも、ロトスコープはアニメーションでアクシデントを起こすために有効だと思います。『Spread』(久野氏が作ったMV)で赤ちゃんを撮ったのはそのためです。赤ちゃんは段取り通りに動きませんから」

 従来のアニメーションは、美しく計算された職人芸の世界だった。その職人芸を堪能する喜びが失われることはないが、アニメーションが即興という新たな武器を得た時、従来の職人的な美しさや完成度とは異なる、不完全なものにも魅力が加わることになるのではないか。それはカサヴェテスやヌーヴェルバーグが、実写映画の世界にもたらしたような革命なのかもしれない。『Away』やVTuber、久野遥子といった存在は後年、その先鞭をつけた存在として記憶されることになる可能性を秘めている。

引用資料

※1『映画を撮りながら考えたこと』、P126、是枝裕和、ミシマ社
※2『映画を撮りながら考えたこと』、P127、是枝裕和、ミシマ社
※3『ジョン・カサヴェテスは語る』、P42、レイ・カーニー編、ビターズ・エ
ンド発行、幻冬舎発売
※4『ジョン・カサヴェテスは語る』、P45、レイ・カーニー編、ビターズ・エ
ンド発行、幻冬舎発売

参考資料

アニメーションが手にした新たな「跳躍」 2019年のアヌシーから見えてきたもの(前編)注目されつつあるゲームとアニメーションの間
『メカスの映画日記 ―ニュー・アメリカン・シネマの起源 1959‐1971』|かみのたね
バーチャルモーションキャプチャーを使ってVtuberになる方法|STYLY
「東アジア文化都市 2019豊島」プロモーション映像・久野遥子監督インタヴュー|tampen.jp
キャラモデリングを“知ろう”|東京工業大学デジタル創作同好会traP
リアルタイム レンダリング|建築設計者向けソフトウェア | オートデスク
ポリゴンとは|3DCGデザイナー専攻|デジタルハリウッドの専門スクール(学校)
・『映画に目が眩んで』 蓮実重彦著(中央公論社刊)
・『シネマトグラフ覚書―映画監督のノート』 ロベール・ブレッソン著、松浦
寿輝訳(筑摩書房刊)
・『エクリヲ vol.12』「“異物”としての3DCG」所収、「アニメーションの歴史か
らみたVTuber」田中大裕(エクリヲ編集部発行)

■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報
『Away』
新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
製作・監督・編集・音楽:ギンツ・ジルバロディス
配給:キングレコード
配給協力:エスピーオー
後援:駐日ラトビア共和国大使館
2019年/ラトビア/カラー/原題:Away/シネマスコープ/81分/5.1ch
(c)2019 DREAM WELL STUDIO. All Rights Reserved.
公式サイト:away-movie.jp
公式Twitter:@away_movie

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