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新撰組終焉の象徴的事件描く「CHAIN」予告公開、佐藤浩市や阪本順治のコメントも

ナタリー

「CHAIN/チェイン」

大人計画の上川周作が主演を務めた「CHAIN/チェイン」の公開日が11月26日に決定。予告編がYouTubeで解禁された。

本作は「嵐電」「のさりの島」などを世に送り出してきた映画制作プロジェクト・北白川派の第8弾作品。幕末の京都を舞台に、新撰組終焉の象徴と言われる油小路の変の内幕が描かれる。上川が無名浪士を演じ、高岡蒼佑、塩顕治、大西信満、山本浩司、渋川清彦らも出演。予告編には新撰組と御陵衛士が激しく斬り合うシーンや、油小路の変に巻き込まれる庶民たちの姿が収められた。

本作を鑑賞した俳優の佐藤浩市は「時代劇の約束事を反故にするオープニング(後に造り手の意図は伝わる)からどれだけ破天荒な世界観の映画が始まるのかと思いきや『CHAIN』は、諸国の事情を背負いながら目線は日本の夜明けからずれる事のない者、立身出世を目指す者、自身の足元を見据えるリアリストなど、新撰組という烏合の衆を消してステロになる事なく丁寧に描きながら油小路の変に進んでいく」と述べている。

また、「半世界」などで知られる映画監督の阪本順治は「私の同業者、つまり映画監督たちはこの作品を観て、誰もが驚嘆、共鳴、次なる道標のきっかけを掴むだろう。加えて、存じ上げない俳優さんがたくさん出演していたが、みんな、余計な熱演を避け、自然体で素晴らしかった」とたたえ、「のぼる小寺さん」などで知られる同じく映画監督の古厩智之は「血にまみれた幕末なのに、人が生まれて死ぬことそのものが、祝祭のような映画だった」と語った。

「愛してよ」の福岡芳穂が監督、「宮本から君へ」の港岳彦が脚本を担当した「CHAIN/チェイン」は、東京・テアトル新宿ほか全国で順次ロードショー。

佐藤浩市 コメント

時代劇の約束事を反故にするオープニング(後に造り手の意図は伝わる)からどれだけ破天荒な世界観の映画が始まるのかと思いきや「CHAIN」は、諸国の事情を背負いながら目線は日本の夜明けからずれる事のない者、立身出世を目指す者、自身の足元を見据えるリアリストなど、新撰組という烏合の衆を消してステロになる事なく丁寧に描きながら油小路の変に進んでいく。
最後の叫びは、いつの世も来世への希望であり、現世の絶望である。

阪本順治 コメント

劇中の菓子屋のせがれが志士たちに放つ「政治ってなんね!」という科白が心に響いた。
幕末において、おとこたちは、青臭いほどの論を説き、その熱情が自尊心をたぎらせ、血の匂いを求めて悦に入るバカどももいて、一方、おんなたちは、そんなおとこたちに哀れみと、強烈な違和感を示した。物語には、陰間も加わり、従来の志士だけに注目した幕末時代劇の作法を拒み、多様な視線をもって江戸の末路をえぐる。
観客が、大胆な転換や背景描写(ここでは云えない!)に「え、なんで」と驚くだろうが、この横紙破りこそ、監督が絶対譲らなかった狙いであり、その覚悟ある越境と自在な采配にこそ、いまの時代に問うべきイシューが含まれているのだ。
私の同業者、つまり映画監督たちはこの作品を観て、誰もが驚嘆、共鳴、次なる道標のきっかけを掴むだろう。
加えて、存じ上げない俳優さんがたくさん出演していたが、みんな、余計な熱演を避け、自然体で素晴らしかった。と、高岡蒼佑、またいつか戻ってこいよ。傑作です!

古厩智之 コメント

描かれるさむらいたち。いや、さぶらふ(従う、仕える)ことが叶わない居場所のないさむらいたち。
会津脱藩の無名浪士・桜七郎、新選組を抜け御陵衛士隊を結成する伊東甲子太郎、近藤勇の間者として衛士隊に潜入する斎藤一…。
彼らはみな確固たる自身がない。徳川の世が揺らぎ、佐幕を、勤王を語るけど、言葉は空転する。視線を合わさず、モヤモヤとみな地を這いずるようだ。
この空気、初めて見た。しゃっきりした幕末モノって嘘っぽい…と思ってたのだ。“自らを信じられない者たちの幕末”は、こんな空気の底を這い回っていたのではないか。
他方、刀を持たぬ者たちも描かれる。
まだ少女の夜鷹が死んだ弟の面影を語る。過酷な野外生活。肌はブツブツに覆われている。
キレイな顔立ちの青年陰間(男相手の男娼)は、ゴザの上で男に乱暴に抱かれる…。殴られ、弱く、加害されるばかり…。
男たちにアヘンを吸わせ、胡弓を弾く美しい女。京の夜に男たちを沈め自らも沈む…。
新選組たちの惨劇を町娘は格子の隙間から覗き見ることしか出来ない…。
迫害され、夜の狭間で生きるしかない弱い者たち。彼、彼女たちがアジール(避難所)を作っていく物語かと思いきや、そうはならない。いっとき寄り添いはするが、彼らはひとりのまま。日々は過酷を極めて行く…。
さむらいたちが追い詰められ、さらに地へ沈むころ。
夜鷹や陰間、アヘン窟の女たちも分断され、孤立し、ひとりになる。押し潰され死んでいく。俳優たちがとてもエモーショナルだ。映画を振動させるように感情を爆発させ、内側から鈍く光を漏らし、彼女たちは京の夜の隙間に消えて行く。
彼女たちに感光するように、さむらいたちも発光する。各々の交わらない大義を言い訳に刀を振るうとき、血しぶきが、居合の一閃が。それまでの勤王佐幕の議論を吹っ飛ばし、生き生きと画面を満たす。躍動する。
多くの悲惨な死の末、生きながらえた者の煩悶を叫び映画は終わる。でも不思議だ。なにかしあわせ。多幸感を感じる。なぜ?
空転する議論の末、血しぶきをあげるさむらいたち。叫び、泣いて死んでいく夜鷹。あちこちでロウソクの火がふいに明るくなり、消える。まっくらになって行く京の闇で、今までたくさんの火が灯っていたことに気付く。それが喜びそのものだったと気付く。ずっと謳われていたのは人間賛歌だったのだ。
「CHAIN」は、生をことほいで(寿いで)いた。
血にまみれた幕末なのに、人が生まれて死ぬことそのものが、祝祭のような映画だった。

(c)北白川派

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