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ビリー・アイリッシュ、なぜ“普段着”でステージに? 女性アーティストによる衣装の変革

リアルサウンド

19/5/11(土) 8:00

 ステージに立つビリー・アイリッシュを思い浮かべてみてほしい。大方そのイメージ図が身に纏っているのはTシャツやフーディー、はたまた月野うさぎがプリントされたセットアップか。いずれにせよステージ衣装らしい服装ではないだろう。

(関連:『コーチェラ』に感じた時代の変化 ビリー・アイリッシュ、BLACKPINKら1週目ステージ振り返る

 ビヨンセのような布面積の少ないレオタード、テイラー・スウィフトが着ていたスパンコールの施されたドレス、アリアナ・グランデのとびきりガーリーなミニ丈サーキュラーワンピース。それらをビリー・アイリッシュが纏う姿をイメージしようとしてもなかなか脳が像を結ばない。ビリー・アイリッシュはレオタードもスパンコールもワンピースも着ない、スウェット地の普段着でステージに上がる新しい女性ソロアーティストだ。

 この記事では、ビリー・アイリッシュが衣装らしい衣装を纏わずステージに上がることを通して浮かび上がらせたものについて、その背景や世のリアクションに触れながら考えていく。

・”セクシー”という第一党

 大雑把なカテゴライズにどれだけの意味があろうかというのはあるが、最低限の整理のために女性ソロアーティストの衣装パターンをいくつか挙げてみる。

 真っ先に思い浮かぶのはいわゆるディーバ的なもの。これが一番多いパターンだろう。ドレスやレオタードをベースにしたきらびやかな衣装だ。ビヨンセやリアーナ、カーディ・Bなど、ボディラインや肌の露出を強調し、女性の身体のフォルムにフォーカスしたセクシーなものが目立つ。

 もう1つのパターンは、ビョークやレディー・ガガなどに見られるような、衣服よりも舞台装置寄りの、アート作品としてのアティチュードやコンセプトを色濃く感じられるもの。こうした”アート”寄りの衣装が(意図したものかはさておき)”セクシー”な衣装へのアンチテーゼとしての役割を担ってきた面は少なからずあるのではないかと想像する。

 第3のパターンを挙げるとするなら、歴代フィメールラッパーたちのストリート系ブランドで固めた装いや、エイミー・ワインハウスがソウルの諸先輩方へのR-E-S-P-E-C-Tを示すように鬼盛りした髪、ロードのゴススタイルなど、特定のクラスタの伝統に根ざしたもの。

 だいたいこんなところか。どのパターンにせよ、アーティストのファンダムの規模にそぐう、きらびやかな衣装が用意されるのが常だ。アーティストの活躍規模が拡大していくにつれ、プロモーション、セット、衣装とさまざまな面で投資がなされるのは自然なことで、もしステージ衣装を着ずに普段着でステージに上がろうとするならば、それはどうにも貧乏くさく、ショウマンシップに欠けた姿勢に映りかねない。そこには特別な意味が生まれるわけだ。それなりに”あえて”の意味付けがなされない限り、先に挙げたような強固なファンダムを持つアーティストたちが街中で買い求められるようなカジュアルウェアでステージに立つことはないだろう。

 その”あえて”の意味づけがなされている好例が”Beychella”として親しまれているコーチェラでのパフォーマンス時に、ビヨンセが着用していたあの黄色のフーディーだ。

 あれはBALMAIN(バルマン)というブランドのもので、ライブ冒頭で纏っていたボディスーツと同ブランド。単に同じブランドで固めたというだけでなく、ビヨンセのファングループ”BeyHive”を象徴する黄色であり、カジュアルなフーディーの形をとることでファンと同じ目線に立っていることを示す意図を推測できる。

 ちなみにボディスーツのほうにも興味深い意味付けがなされているのだけれど、本稿では言及を割愛する。気になったら調べてみてほしい。

・一方その頃、男性は

 大丈夫、もうちょっとでビリー・アイリッシュの話に戻る。でもここで一度、同時代の男性ソロアーティストに思いを馳せておきたい。ドレイク、ケンドリック・ラマー、The Weeknd、ジャスティン・ビーバー、エド・シーラン……多少派手だとしても、そのまま街中を歩いていて不自然でないくらいカジュアルな衣装のアーティストばかりだ。街中を歩いていて「何だあいつ」となるほど衣装らしい衣装なのはブルーノ・マーズと数人くらいか。いわゆる衣装らしい衣装を着る男性ソロアーティストとなると、マイケル・ジャクソンやプリンスなどまで遡ることになりかねない。

 さて、ここで試してみたいのが、男性ソロアーティストも女性ソロアーティストの”王道の衣装”と同じ考えかたの衣装を着るとしたどうなるか、という思考実験だ。つまり男性の身体のフォルムにフォーカスした、マスキュリンなセクシーさを志向した衣装。ドレイクやブルーノ・マーズがビヨンセやリアーナのようなアティチュードで自分自身を打ち出す衣装を着るとしたら?

 どうだろう。筆者の脳裏に浮かんだのはあのユニタード姿のフレディ・マーキュリーだ。あれはセクシュアルな表現をしようという明確な意図に基づく衣装だし、当時それなりに大人の眉をひそめさせるものだった。程度はそれぞれにせよ、プリンスやマイケル・ジャクソンの衣装にも同様のショッキングなリアクションはあっただろう。男性アーティストがそういった衣装を纏おうとするときには、かなり強いセクシュアルな意味が生まれる。

 となると、女性ソロアーティストが極めて王道の選択肢としてセクシーな衣装を着ることを、いつまでも当然視していていいんだろうか? それに、セクシー路線でないにせよ、何らかの衣装らしい衣装を着る女性ソロアーティストがほとんどだ。男性ソロアーティストはほぼ普段着でステージに上がるのに。これって当然なんだっけ?

 ようやくビリー・アイリッシュの話ができる。

 女性ソロアーティストといえばセクシーな衣装、まあセクシー路線でなくとも何らかの衣装は着るわな、といった連綿と続く”当たり前”が抑圧として機能していた面がないか? そう気づかせてくれたのがビリー・アイリッシュだ。

 新顔の女性ソロアーティストである彼女自身そうした抑圧に直面し、その回答としてカジュアルウェアを着てステージに上がっている側面があることは、彼女のこれまでの言動から推測できる。

・特別な意味を持たないという意味

 ビリー・アイリッシュはあまり笑顔を見せない。それは単なる性癖ではなく「女の子は笑顔でいることを強いられるから(そのアンチテーゼ)」と、明確な意図のあることだと語っている。また「声を上げられない人たちの声になること」を意識して活動しているとも話しており(参照:https://realsound.jp/2019/03/post-339716.html)、衣装についても同様に意図を持って臨んでいると考えるのはそう不自然なことではないだろう。

 これまたざっくりなカテゴライズだけれど、ビリー・アイリッシュのファッションはラグジュアリーストリートと呼ばれるスタイルを基調にしたものと認識している。

 ラグジュアリーストリートは、一見ストリート系ブランドのものに見えるようなハイブランドのカジュアルアイテムでコーディネートを構築したり、ストリートファッションとヴィトンのモノグラムのアイテムをかけ合わせたり、Off-White(オフホワイト)やA-COLD-WALL*(ア コールド ウォール)といったストリートとコレクション双方にアクセスできるブランドのアイテムを使ったりするようなスタイル。2014年頃からカニエ・ウエストやジャスティン・ビーバーのスタイルを指してそう言われるようになってきたような……まあそんな感じだ。

 ラグジュアリーストリートの厳密な定義は今回の本題ではない。肝心なのは、ビリー・アイリッシュの服装はラグジュアリーストリートという体系の中にある(と考えられる)もので、彼女固有のファッションではないということだ。レディー・ガガのように彼女しかやっていない・彼女が始めたファッションではなく、同時代を生きる若者に広く普及しているスタイルの範疇。ファッション自体に彼女固有の強い自己主張があるわけではなく、同年代の他の若者と同じような普段着である。普段着であるということが肝要だ。つまり、普段着でステージに上がることで、前述の”ステージ衣装を着る”という慣習に対してアンチテーゼを提示していると考えられるということ。

 もう1点注目なのが、ジェンダーレスなサイジングとアイテム選びだ。ビッグシルエットのTシャツや厚手のスウェットシャツなど、ボディラインが見えないようなトップスが多く、スカートを穿いた姿もほとんど見られない。どこまで意図的なのかは本人以外知りえないが、そうした”セクシー”の価値基準に乗らない姿勢が見る人に開放的な印象を与え、エンパワメントとして機能している部分は大いにあるはずだ。

 さらに言えば、ファンと同じようなカジュアルな装いでいることで、身近な存在であり続けようとするアティチュードの発露とも考えられる。

 この点については、ロードが『Royals』で「キャデラックを乗り回したり、リッチなホテルで豪遊する生活なんて私たちのリアルじゃない」と歌って共感を得たところから地続きな若い時代感覚と言える。

・一方その頃、日本では

 では日本はどうなのか。衣装以外の部分も引きで見ながら、女性アーティストの”見られかた”を振り返る。

 本邦は、浜崎あゆみに続いてヒットチャートに定着した倖田來未以降、いわゆるディーバ的なインターフェースの女性ソロアーティストがヒットチャートで覇権を握らずに来たように思う。彼女らと入れ替わるように西野カナをはじめとしたカジュアルな装いの女性ソロアーティストが強い存在感を放つようになり、今日に至っているのではないだろうか。豪奢なドレスやセクシーさを強く打ち出すような衣装は、この共感の国の等身大の時代において感情移入の障壁に他ならないのでさもありなんといったところ。

 バンドシーンにも目を向けると、90年代終盤に現れたNUMBER GIRLの田淵ひさ子やSUPERCARの古川美季(現:フルカワミキ)によって、ある意味でビリー・アイリッシュと同質の変革が起こっている。それまでは女性のバンドマンというともっとロックミュージシャン然とした装いだったのが、男性バンドマンと変わらないカジュアルな服装でステージに上がる彼女らの登場によって、その後同様のスタイリングの女性バンドマンが増える契機になったと考えられる(参照:https://natalie.mu/music/pp/joseijouibanzai/page/2)。

 その後登場したチャットモンチーは、活動初期、侮りのニュアンスを込めた”ガールズバンド”や”ギャルバン”といった言葉を向けられることから身を守るため、ライブではスカートを穿かないと決めていたという(参照:https://natalie.mu/music/pp/joseijouibanzai/page/2)。同様の抑圧を受けた経験のある女性バンドマンはプロアマを問わず少なくない数いると想像できる。筆者の身の回りにもいたし、もっと前の時代へ遡ると、化粧をしてステージに上がることにすら快くない言葉をかけられたことがあるという先輩女性バンドマンの話もライブハウスの繋がりの中でたびたび聞くことがあった。

 また、先日筆者がある20代前半の女性メンバーで構成されたバンドのボーカリストと会話した際に「私はガールズっていうのをちゃんと打ち出して、女の子らしいかわいいことをやって、かわいいねって思われたい」と言われたこともあった。年上の女性バンドマンたちが戦ってきた歴史を知らないのだろうし、彼女の世界観にはあまり関わりがないのかもしれない。これはこれで開放的なのか? と考えたりもしたが、虚しさはある。

 だからこそビリー・アイリッシュのような、ソーシャルイシューにコンシャスでありつつ強いファンダムを持つ世界的なスターが次の世界を指示してくれると、視界が晴れるような心地がする。それに、いずれはそういうスターを国内で自給できるようにならないと、きっと立ち行かないのだろう。

・そんなこと言ってる場合じゃないんだよ

 コーチェラの中継でビリー・アイリッシュを観た一部の邦人のリアクションに筆者は心底がっかりした。「ビリー・アイリッシュ、意外と巨乳じゃん!」といった旨のツイートが少なくない数見られたからだ(検索してみるとわかる)。これ、まさにビリー・アイリッシュが過去のものにしようとしているリアクションじゃないのか。思ったとしても言わなくちゃいけないことなのか。そんなこと言ってる場合じゃないんだよ。

 ビリー・アイリッシュに限らず、開放的な感性を提供する人を指して「進んでる」「新世代」「今どき」と呼び習わして距離を取る姿勢が、こういった残念なリアクションに繋がっているように思う。「自分は追いつけないなあ」というポーズをとって感性のアップデートから一抜けを図っても何にもならない。何歳だろうが今生きている全員が現代人だ。

 ビリー・アイリッシュのやっているようなこととはまたまったく別軸だけれど、K-POPには”女が惚れる女”を意味する”ガールクラッシュ”という属性で語られる女性アイドルがいて、彼女らもまたエンパワメントとして期待できる存在。そして日本でだって、りゅうちぇるやkemioが時代を更新するような感性を発信している。もう「外国は進んでるなあ」で逃げようのない、今この国で”も”起こっている変化だ。

 ビリー・アイリッシュが提示しているものを多くの人が自分の感覚として持てるようになるまでまだまだかかるだろうけれど、彼女はまだ1stアルバムを出したばかり、キャリアの最初期だ。これからさらにどんどん影響力が大きくなり、世界のバランスをよりよいほうへ導いてくれる存在の1人になるはず。

 直近で現れるであろう変化として、今後普段着の女性ソロアーティストがぐっと増えるのではと密かに期待している。コーチェラのステージでスウェット生地を見かける機会が少しずつ増えていくかもしれない。

 彼女を見て音楽を始めた世代がデビューするのは2020~30年代か。その頃には今回書いたようなことが古臭い過去の話になっているかもしれないと思うと、たまらなくわくわくする。(ヒラギノ游ゴ)

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